土曜日午前中伊丹市アイホールで行われている
老人体操に参加しました。
昨日は4回シリーズの第1回目でした。
指導してくださるのは、舞踏家ボヴェ太郎さん。
前に、小説「失われた時を求めて」の朗読を
背景に、音楽のないところで踊ったのを
見ました。それがきっかけで、アイホールと
親しくなりいろいろな行事に参加させてもらっています。
ボヴェ太郎の踊りは、飛んだり跳ねたりでなく、
ゆっくりと、ねばるように体を動かしていく踊りだと思いました。
そんな方に指導してもらうのは、光栄です。
とても、張り切っていたのに、10時から始まるのを、
10時30分からと勘違いして、30分も遅れていったのは、
ぼけ、です。
部屋に入っていくと、すでにみんなは床に仰向けに寝て、
両手のひらで顔を覆っていました。
ジャズダンスのところでするストレッチよりは、ヨガに
近いものでした。
ただ、ヨガでは聞かなかった、空気の存在を感じながら
動くということを、言われました。
水の中で、手を硬くして手を振り回せば、
ばしゃばしゃと音がし、抵抗が強いが、
力を抜いて、手を動かせば、抵抗がなくなめらかに動く。
空気の中でもそれと同じだと言うのでした。
空気を意識して、手で空気のボウルを作る。
それを、静かに人にパスする、と言うこともやりました。
ところが、空気のボールを受け取った私は
乱暴な性格が出て、それを激しく人様に打ち込んだのでした。
しまった、これはボヴェ太郎の欲するところではないと
思ったのも後の祭り。みんな、エネルギーの爆発に
飢えていたのか、次々と空気のボールを激しく
叩き込んでいました。
仕方ない、あきらめよう、成り行きに任せようと思ったとき、
ボヴェ太郎がボールを受け取って、「では、ここでいったん
ボールをしまいましょう」と、空気のボールを納めたのでした。
で、次は、背中から空気に押されている気持ちで
歩きましょうと言うのです。
背中から、押される空気を感じながらといわれても、
風に押されるのなら分かるけれど、
室内の、透明無色重力もないような空気が、
背中を押してくるなんて、感じられないのです。
仕方がないので、ただ、普通に歩きました。
さあこんどは、空気の中に分け入っているのを
感じながら歩きましょう、といわれても、
何もない空気にどうしてわけいっていいかわからず、
普通にただ歩きました。
私は自分の訳の分からないことは、「哲学的」
で、片付けます。
家に帰って娘にその話をし、「新進の舞踏家って、
哲学的なのね。実感できなかったわ」というと、
「そんなのは哲学的というのでなく、ベリーダンスだって、
そういうことをいろいろ考えながら踊ると、体の動きが
違ってくるのだ」とかいうのでした。
常識人の私には、なかなか理解できない世界でした。
ヨガも習ったことがあるけど、ヨガにも深い思想が
あるのでしょうけど、私が習ったのは、なになにのポーズという
ように、ポーズの種類をいっぱい習っただけでした。
ジャズダンスのストレッチでは、筋肉の動きとか
医学的に解明する方向の説明をしてもらいました。
だから、背中から空気に押されるように歩くは
哲学的となります。
受講者は、たった5人で、まだ余裕があるというのです。
興味のある方はいらしてください。
60歳以上の体操です。
参加者は、ボヴェ太郎さんが、舞踏家であるってことを
知らないでいらしていました。
私がボヴェ太郎さんのファンだから、待っていて来ました
などというと、周りが冷やかして、「追っかけ」とか。
「そうよ、追っかけなのよ」とか、年がいって言いたい放題、
シャイなボヴェ太郎さんを、恥ずかしがらせたかも。
また、みんな年だから、「イケメンだからモテルでしょう」みたいなことを
ご本人に言って、これも、ちょっとどうかな?
でも、イケメンです。正真正銘のイケメンです。また、私は前の公演のパンフで、
略歴も読んでいたので、「28歳よ」なんて、これも、
図々しい発言でした。辟易されたことでしょう。
今、40代のママが、ジャニーズにはまって、
追っかけをしている人が多いらしい。
東京から広島まで、見に行くとか、中学生の子供と、
飛び回っている話とか、嵐にお金使いすぎたので、
自分の稽古事するお金がないとか、言う人がだいぶ
いるのですって。私の40代を考えると、
子供相手でつまらないなと、いやになりながらも、
家でじっとしていた。今の人は自由でいいなぁ。
追っかけという言葉は流行語で、私も、冷やかされたのだ。
ボヴェ太郎はあの長い「失われた時を求めて」を
全部読んだのだろうか。読んでないと、渋谷はるかのその
朗読で、踊れるわけはないのだが。
実は、私も読もうと分厚い文庫本の上巻だけを買ってきたのだけど、
第1章か2章くらいで、積ん読している。
飛びつくわりには、根気のない私です。
一つ一つの文章は、味わい深い文章で、刺激を受けることがいっぱいなのに、
その文章が、延々と積み重なっていくと、ありゃりゃりゃら、私は、
投げ出してしまうのです。いつも。
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