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2009年3月27日 (金)

幼時の記憶・2

Syukusyoumimoza


 これも、小学1年か2年のこと、遠足のことを「行軍」と言わされました。学校で教えられるまま、「明日遠足?」って、近所のお姉さんに聞かれたとき、「遠足でなく行軍よ」というと、お姉さんはびっくりして「この頃は遠足を行軍というの?」って、変な顔をしました。変な顔をしたお姉さんに私がびっくりしたのを覚えています。
 また、私の学年には、丑年と寅年がいました。私は寅年で、ある日、担任の先生が、ほっそりした女の人を連れてきて(それは、別のクラスの先生だったのかも知れません)「この人の弟さんが戦場に行くので、千人針を、してあげて下さい」と、特に寅年の子に期待をかけているように言うのでした。玉結びもままならない幼い生徒にも頼みに来るその女の人は、悲しそうで不安そうで、黙って教室の入り口に立っていました。不器用な私は、先生が言うように、もう一度糸を回してと言われれば言われるままに下手な玉結びを作ったのを覚えています。その女の人の悲しげな立ち姿が今でも、目に浮かびます。

写真(絢爛と花もたわわに咲き誇るミモザ・ニースのカーニバルでは、娘達がミモザの枝を車の上から投げれば、それを受け取った者には、幸運が訪れるそうな。今の私に一番欲しい物は、幸運だ。嗚呼)

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2009年3月25日 (水)

幼時の記憶

 私は昭和13年生まれ、71歳です。
 私の記憶の中で一番古いものは小学校1年生の時のことです。
いや、2年生だったかも知れないのですが、学校で、朝礼の時、3,4年生ぐらいの男の子が、どういう理由からかは知らないのですが朝礼台の前に立たされて、先生にびんたを食らったときのことです。その時、男の子は吹っ飛びました。よほど強い力で先生が殴ったのでしょう。恐ろしいと思って見ていました。
 その次の記憶は、空襲警報が出たとき、学校から家にみんな帰されたのでしょうか、防空頭巾を被って帰っている途中、母に会い、「今朝、もっと地味な洋服を着ていき、と、言ったのに、聞かずにそんな派手な、薄い洋服を着ていくから、目立つじゃないの」というふうにたしなめられたことを覚えています。私はあんまりだだをこねる性格ではないのに、その時は水色の大きい花柄のワンピースにこだわったのでしょうか。母の反対を押し切って出て行ったという記憶は、その時も今もないのですが、その言葉だけが思い出されます。(つづく)

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2009年3月17日 (火)

わびのメールとやさしいレス

さて、昨日の歌の発表会では、落ちこんで、

別れてから相方にわびのメールを送りました。

「今日はごめんね。お茶ももらいっぱなしで

すみません。ほんと悪かったです」と

私が打つと、帰りの電車でかなり落ちこんでいた

ことを知っていた相方は、やさしい返事をくれました。

「とんでもございません。とても楽しかったですよ。

出来栄えより時間を調整して一緒に一生懸命

練習した事の方が意義があったと思っています。

眉山さんとお知り合いになりましたし、今日は

これで十分満足しております。眉山さんあまり落胆

しないで下さい。私達は二人で一人前なんですから。

メールありがとうございました。ではまたお会い

いたしましょうね。さようなら。」

先生にも、メールしました。

「なんか、伴奏耳に入らず、突っ走ってしまいました。

すみません。遅れたらいけないと、それしか頭に

なくて。今から思えば、穴があったら、入りたいです。」

と打つと、先生も、丁寧に返事を下さいました。

「わざわざメールをありがとうございます。

気にしているんじゃないかとメールしようと思っていました。

伴奏に合わすのもメロディのリズムも難しい曲でしたが、

挑戦して下さったことホントにすばらしいことです。

本番にいつもの成果がでないことは皆つきもので、

音源とずれるのもありがちなことなんです。だから、どうぞ

気にしないで下さい。歌詞も忘れず、ハモリも

きれいにできて歌の入りも間違わずよかったですね。

練習の賜物です。お二人が歌っている姿を

見せて頂けてよかったです。

今日はとても楽しかったです。

ありがとうございました。」

二人からこんなに丁寧な心のこもった返事を頂いて、

少しほっとしました。

弟子の私がため口で、師が丁寧語。

これは年の功でしょうか。

相方にも、ため口。相方は丁寧語。

これも、恥ずかしい。

歌は「白い色は恋人の色」でした。

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2009年3月16日 (月)

悪の横行

今日、外出先から電車で駅に帰り着くと

駅前ロータリーにパトカーが止まっていて、

「最近、自転車に乗った人が、年配の婦人のバッグを

ひったくるのが、この辺で

横行しているので、バッグの持ち方に

気を付けて下さい」と、マイクで放送していた。

だいぶん前には、自転車の前籠からバイクに乗った人が

手提げ袋をつり上げて持っていくのが流行っていた。

その犯人が捕まってから、前籠の物の被害が減った。

ところがこんどは、歩行者からのひったくりらしい。

さて、今日、主人が中学1年生くらいの幼い顔をした男の子

と、自転車でぶつかって、主人は倒れなかったのに、

その男の子はひっくり返って、

「自転車を、立てろ!」と怒鳴ったらしい。主人は、

自転車を立ててやった。

すると、腕のところをおさえて、『痛い痛い』と

騒ぎ、どこか、ポケット辺りから取り出したような

部品を見せ、「これ、壊れた。どうやって弁償してくれるのだ」

とすごんだらしい。今にもなぐりかかろうとしているような、

素振りを見せたので、財布を出して、お金をやろうとしたら、

財布には5000円札1枚かなかったらしい。5000円はおしいと

思ったけど、殴られるよりましだと思って、それを渡したら

ニタッとして、札を受け取って行ったらしい。

周りには、成り行きを見守る人がぐるっと

取り囲んでいたらしいけど、誰も、無言。

主人は、同人誌の発想をする約束が出来ていて

待ち合わせをしていた場所に急いでいたので、

踏切の警報が鳴っていたのに、猛スピードで渡ったら、

中学生とぶつかったということだ。82歳の主人は転んでないのに

向うは転んで、その後に、二人乗りした中学生の

仲間がいて、にたにた見ていたらしい。

「それは中学生の当たり屋だ」と私がいったら、

主人は人がいいから、自分は、すごく急いでいたので、

ガシャンとすごい勢いで当たったので、そこまでは、悪意はない

と思っているらしい。じゃぁ、その部品は?と聞くと、

地面から拾ったのではなく、ポケットからかもしれないけど、

どこかから出してきた、というのだ。そんなのおかしいじゃん、

警察に言っといたら、というと、そんなん、何の証拠もないし、

言ってもしょうがない、とか。だいたい、自転車を「立てろ」

なんて、中学生がおじいさんにすごむのからしておかしい。

はじめから、お金を取るのが目的だと私は思う。

主人も、子供みたいな顔して、すごむのがうまい奴だった、

といいつつも、最初に衝突したのは、偶然だと思っている

から、人がよすぎる。とは、思いませんか?

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アウト!

昨日の歌は、努力の甲斐なく、アウト!

舞台より降りるなり、先生に「ずっとずれていた。

眉山さん、相棒の方、全然見てなかったね」

と言われてしまった。

言われるまでずれていたと気づかない私。

言われて、そういえば、全然伴奏のCDの音が

耳に入ってなかったと気づく。

唯我独尊。出だしだけは間違えないようにと

音源を聞いたが、後は、自分で4拍子をとって、

自分で突っ走っていた。

相方がリズム感から何からずっと上なのに、

アイコンタクトをとるでもなく、

あがりっぱなしにあがって、一人で

大声を張り上げていたということだ。

それを言われるまで気づかない私。

3番だけは音源とあっていたらしい。

ずれていたので、舞台の袖でスタッフが

手拍子をとってくれていたのが、

相方には目に入ったらしい。

私は、前をにらみっぱなしで、

何も見えていない。

落ちこんで帰った。

滅多にないことだが、ご飯も欲しくないように

思ったけれど、お弁当やで、お弁当を二つ買って

帰った。相方も私も、家人が誰も見に来なかったのが

よかった。

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2009年3月15日 (日)

歌の発表会

今日は歌の発表会です。

12時、予約の美容院で髪。

2時より3時半まで、カラオケに行って二人で練習。

4時15分、集合場所に集まる。

5時、開演。

6時40分、リハーサルなしの本番。

7時15分、解散。

悪いことに、歯痛、風邪気味、

昨日より、風邪薬を飲みました。

体調管理って、むつかしいなぁ。

世のアスリート達は、禁欲の日々に

ならざるをえないのではないかと、実感。

こう書いていても、左下の奥歯が時々うずく。

もう一度、風邪薬「PL」を飲もうか。

前にもらっていた歯医者の痛み止めは捨ててしまった。

我慢できないほどの痛みではないので、

このまま出かけよう。

幸運を!

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2009年3月11日 (水)

『声紋都市ー父への手紙』 作・演出 松田正隆

演劇のことは、余り知らないけれど、伊丹市の演劇ホールの催し、エルダー世代のワークショップで、相模友士郎さんを知り、相模さんが、写真を撮ってポスターを作っている、『声紋都市ー父への手紙』という演劇が、伊丹アイホールで上演されたので、見てみることにしまた。
何の前知識も持たず行ったのに、すごく感動したのでした。
帰ってきて、ネットで調べてみると、松田正隆は岸田国士戯曲賞とか読売演劇大賞とか、数々の賞を取っている劇作家なのでした。何よりも驚いたのは、映画「紙屋悦子の青春」の原作者だったのです。これは松田自身の母をモデルにしたものらしいです。この映画は私は見てないのですが、友が見て「よかった、よかった」というので、筋を聞いてみると、筋は特に面白そうにも見えないのですが、大体筋は?なんて聞く方が間違っているようです。もっと心象風景とか、そのようなことを問題にするべきかも。
で、父への手紙は、元日本軍兵士だった実の父に取材・イタビューしたものでした。国家・国民・法・政治・母国言語、など、あらゆる父的なるものを抽出し、日本における「父なるもの」を暴き出そうとしたのらしい。(ネットより引用)
そこに、私は感動したのでした。
(次回に続きを書きます。外出の時間になってしまいました)

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2009年3月 6日 (金)

家族の会話

会話1
 
 私、所かまわず、アカペラで歌の練習。

 孫 「そんなんで、発表会に出るん? かわいそうやな」

 ママ「かわいそうって、誰がかわいそうなの? 聞いてる人?」

 孫 「おばあちゃんや、おばあちゃんがかわいそう」

 私、心の中で。なんじゃいな、ほっといてんか。

会話2

 私 「ちょっと、奈良に佐紀山ってあるの知ってる?

   それ、おばあちゃんの名でしょ。だから、小学校の国語の

   時間、佐保山、佐紀山っていうのが、教科書に出てきたら、

   皆がどっと笑ったんよ。春休み、佐紀山みにいかへん?

   1dayチケットで、バスと電車の乗り放題あるの、電車の

   広告で見たんよ。40年も関西に住んでるのに、行こうと

   思ったまま1度も行ってへん。どう、行く?」

 孫 「ええわ、ええわ、それはええわ。遠慮しとく」

 私 やっぱりなあ。行かへんと思ったけど、言うてみてやろと思ったら、

   やっぱし行かへんかった。

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2009年3月 5日 (木)

大阪城梅林

Siroume


Umebayasi_2


Umenoki_2

3月3日、寒い寒い日、友達3人で大阪城の梅林に梅見に行きました。

満開。種類によっては、もう終っていました。

曇天。ちょっとした空き地やベンチを見つけて、ミニ宴会とまではいかないけれど、仲間で車座になってお弁当を食べている人もいました。

けれど、大半は、ぞろぞろ歩くだけ。

友達は懐炉を三つも貼り付けてきたとか。

梅見は1時間で切り上げて、ニュー大谷で、昼食、喫茶。

4時間半もしゃべっていました。

コーヒーも2杯ずつおかわりして、水は度々ついでもらって、あつかましい老女3人。

35年のおつきあい。5人のグループが3人に減って、俳句の指導をしてくださっていた方がこの間亡くなって、折角始めたばかりなのに、中心がなく、下手な俳句を持ち寄って、「気が抜けちゃった~」とぼやいている。

「死んでしまったら、何も出来ないのね。もう、自分で、第2句集のための選句をすることもできないし・・・」と彼女のことを思っていうと、「熱烈な弟子がいて、後で、その人のことを世に広めて、後世に残るということがあるから、そう言う人の存在が大きいのよ。ゴッホだって、宮沢賢治だって、死んだ後、世に高く評価されたでしょう」と友が言う。

それはそう、ほんとにそうだけど、私の場合、生きている間のことしか考えてないので、例えば、例えばの話、家族が、遺稿集なんてものを出してくれるといっても、いらないわというでしょう。でも、残された者にしては、せめてそういうことをして、偲びたいと思うんじゃないかなとも思います。

この年になると、梅見にも、風流一途でいかなくなって、死の話で、締め括られてしまいます。

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