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2009年6月29日 (月)

新人賞やら演劇やら

 5月から6月にかけて、3つも新人賞に応募したよ。

71歳にもなって、新人賞でもあるまい、のだけれど・・・

ネットで公募ガイド見ていたら、今まで書いたもので、

枚数が合致するものがあったので、少し手を入れて

応募してみたわけ。

 「銀の雫」と「銀の華」と、「さくらんぼ」

それが、おかしいんだけど、何故か「銀の華」は

45歳以上が、応募する資格があるわけ。

また、「さくらんぼ」は、女性のみ応募する資格が

あるわけ。

 笑っちゃうわ。こんな資格限定が6月末締切りで、

2つもあって、そんなのばかり、狙ったみたいに・・・・

 この間、ブログで読んで頂いた「やっかみの風」は

100枚くらいあったけど、「銀の華」が50枚だったから、

切って切って切りまくって50枚にしたわけ。

切ったらすっきりした。いらぬことばかり、

書いていたのだ。「夫に愛されなかったなんて、

ぐちぐち書くのは、前向きでなく、愚痴ばっかり

言っていて、すかん」という人がいたので、

その部分は全部カットした。匂わす程度にした。

息子のぐれる姿も、具体的な細部は書かず、

「ぐれていた」と、ひと言、書いただけ。

それで、100枚が半分の50枚になって、

応募企画にはまったわけ。

 「さくらんぼ」は、60枚から80枚。

「青いカンカン帽」が72枚だったので、

最後をすこし直して出したわけ。

 ご気楽、ご気楽。

 さて、話は変って、「老人演劇」もあと4回しか

練習できない。いよいよ迫ってきたわけ。

 インタビューの映像、前にも書いたけど、

折角窓際の綺麗なところをバックにして

撮って貰おうと構えていたのに、

生活感がある方がいいとか仰って、

きたないたんすの上に、ひな人形の箱が

乗っている暗い感じの部屋を背景にして、

うちが最低!

 まあ仕方ないか。

「老人演劇」が面白い面白いと出かけていたら、

「そんなんがしたかったん。それなら、もっと早く

したらよかったのに」と、娘が、ちょっと軽蔑の

眼差し。

「なに言ってんの。老人だから私みたいな

才能のない者も呼んでくれるけれど、

これが、40や50なら、誰も見向きもしてくれないわよ」

やーやー、老人もええ時もありますな。

 

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2009年6月27日 (土)

Oh,mistake!

 昨日、演劇の練習に行って、

初めて気づいた。

 95歳のご婦人は、台本を読むときは、

老眼鏡をかけていました。

 舞台上で、私は、後の席にいるので、

前が見えなかった。

 mistake です。

 その他にもブログで、mistake は沢山。

 前に、鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」のことを書いたけど、

その時の「三国ヶ嶽」の場所も間違っていた。

 場所くらい、原作を読めば分かるのに・・・

手抜きでした。あとから、読みました。

 場所は「越前国大野郡鹿見村琴弾谷」とちゃんと

原作に書いてありました。

「雲の峰を焼落した、三国ヶ嶽は火のようだ。

西は近江、北は加賀、幽かに美濃の山々峰々、

数万の松明を列ねたやうに、旱の(ひでり)の

災で取巻いた。」

というわけでした。

 また、いつぞやは、welcome を wellcome と書いているし、

ご教養のなさをひけらかす私のブログでした。

 mistake の綴りも mistake していたら、

それこそ!wobbly

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2009年6月26日 (金)

驚きの95歳

 今やっている「老人演劇」の中で、

大正3年(1914年)元旦生まれ、

寅年のご婦人がいます。

 95歳、にもかかわらず、週3回のレッスンを

一度も休みません。
 
 始まる時間の10分前には、部屋にきています。

この暑さでも、疲れたと言ったことがありません。

 老眼鏡もかけていないし、耳も良く聞こえます。

 今日は、私が何かをしてあげたお礼だとか言って、

半生のうどん3人前いりを2箱も持ってきてくれました。

何かして貰ったからと聞いたのに、何だったのか

私は聞いてすぐ忘れて思い出せないのです。

 重いのに、わざわざと恐縮しています。

私など、重いと、すぐに駅のコインロッカーに入れといて、

帰りに渡そうという横着を考えます。

 彼女と私は同じ駅、ご近所なので、電話下されば、

取りに行くのに、と、言いましたら、電話番号聞いてないから、

と言われました。そうなんです。まだ、電話番号いうのお互いに

忘れていました。

 舞台で、女優さんを、女6人で持ち上げて運んでいく

場面があるのですが、彼女もぎっくり腰になりますとか言わず

手伝うのです。さすがに私が、老女6人が女優さんを落としでも

したら、大変だからと、言いました。老人なんて、勿論自分を

含めてですけど、どんなハプニングが起るか分からない。

急に高血圧で倒れるかも知れないし。

 そこで、初めて、男性が「運ぶのを指揮するような」役をしていたのを、

入れ替えて、男性が運ぶのに加わり、95歳のかたが、指揮する

役に変りました。

 それで、私も、少し軽くなって安心安心。男の75歳は、まだ、

腕力がありますよね。81歳、82歳のご婦人も、何も文句言わなく、

力を抜かず運びます。自ら志願して集まってくる人は、

元気な方なのですよね。私は80歳になったら、「駄目、重い」

なんて、尻込みしそう。

 81歳、82歳の人は、戦争中、丁度女学校だった年齢なので、

戦争のことを、よく憶えています。記憶力抜群です。

 頭が下がります。

 阪急伊丹線の塚口駅は、電車とホームの間が、20㎝ぐらい?

あいていて、乗り降りがすごくこわいのです。まかり間違えば

足が、入ってしまうほど、あいているのです。

 95歳の方と帰るとき、ひやひやします。

ところが、当人は平気、ひょいとまたぎます。

 手をひかなければと思うでしょう。

彼女はそんなの嫌がるのですから・・・

 世には恐るべき人たちが一杯いるのですね。

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2009年6月21日 (日)

日々近づく

「老人演劇」の公演まで、あと2週間を切りました。

「当然のことながら、皆さんは俳優なのですから、

健康にも気をつけて下さい」と言われたら、

人混みに行って、新型インフルエンザを

もらってきたらどうしようと、急に萎縮して、

デパート、バーゲン歩きも、恐くなる始末。

意外と、あかんたれでした。

「服装は皆さんそれぞれよそ行き着を一度着てきて

下さい」といわれて、明日見せるのですけど、

急に思いついて、息子の結婚式に着ていった

ドレスを汗だくになって探し出して、着てみたら、

2001年のこと、いまでは、着てみると、

太りすぎて、体の線が丸出し。

家中メチャクチャのこととて、ドレスはあったが、

ショールがない。捨てるわけはないのだからと、

今から探します。

顔は明日、白塗りを試すのですけど、日焼けしているし、

白塗りならぬ、ネズミ色になりそう。

髪の毛は、今週中に染めてカットして、

4日と、5日は、ブローの予約かな。

行きつけの、パーマ屋さんもないし、

自分でも、どんな髪型が似合うかわからないし、

いきなり、わたしに似合う髪型お願いします、

でも、ないでしょうし、困った困った。

優柔不断。まだどこに予約しようと、決められない。

月日はどんどん経っていくのに。

病気はできない、洋服は自信がない、髪の毛は

どうしていいか分からない、難題山盛り。

きれいに見せようと言うのは大変なことだ。

うん、頑張ろう。

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2009年6月16日 (火)

私のこと

 私は昭和13年に生まれました。
 私の幼いときの記憶の中で、一番印象深いのは戦争のことです。
 私は、火の下をくぐって逃げたというような、恐ろしい体験はしていませんが、焼夷弾で家は焼け落ちました。7月3日から4日にかけての夜中の徳島の空襲によって、焼け出されたのです。ちょうど3日の夜、私は徳島市郊外の沖ノ洲の海岸にある別荘に、母と兄と妹の4人で避難しました。それは、母の虫の知らせというようなものに促されて、避難したのでした。おかげで、火の下を逃げまどうこともなく、死体を乗り越えて逃げるということもなく、無傷で助かったのでした。浜辺の松林の村の共同防空壕にはいって、そこで、徳島の市内が真っ赤に燃え上がっているのを、震えながら見たのでした。
 翌日、祖父母や、叔母たちの安否を、気づかいながら、家に帰りました。暑い夏の太陽が照りつける焼け跡に、祖父が、焼けた大きな庭石に腰掛けて茫然としていました。
 それから、吉野川を渡った向うにある親戚に、宿を求めて歩いていきました。
 私の父は私が3歳の時に肺結核で亡くなっていました。昭和16年のことです。
 で、祖父を中心に、祖母と3人の叔母と私達4人の、総勢9人が親戚を頼って行ったのです。そこには1、2日泊めて貰って、祖父は、自分の出里の、ずっと山奥にある美馬郡の家に家族を連れて行き、そこで座敷を改良して耳鼻咽喉科の診療を始めました。
 明治23年生まれの祖父は、戦災に遇ったとき55歳だったと思います。8人の家族を養いながら、財産を全て失って、1からやり直し、復興していったのは、大変なことだったと思います。戦災に遇ったとき2年生だった私は、苦労をしらず、田舎の庭の桃色や白や赤白の斑の山茶花の花を、拾っては遊んでいた記憶があります。
 祖父が医者であったおかげで、ひもじい思いはしませんでしたが、戦時中は甘いものはなく、どこかから羊羹を貰ったりすると、子供たちが取り囲んで、固唾を飲んで、羊羹を切り分けている包丁を凝視したものです。
 敗戦より1年経って、祖父は徳島市内の元の所に帰り、病院を建てました。
 祖父は、私が中学3年の時、脳梗塞で倒れました。それからは、祖母が田舎の家を売り、一時は、入院室を客室にしてホテルを経営したりしましたが、武士の商法みたいなものでうまくいかず、建物を改造して、何軒かの店として貸していました。
 そんな中でも、学問を重んじる家風があって、私は東京の大学に進ませてもらいました。私が大学に入るとすぐ、祖父は亡くなりました。昭和31年のことです。
 私は母が若くして未亡人になり、職業を持っていなかったので、実父の祖父にずっと経済的に頼っていた様子を見るにつけ、女でも職業を持たなければいけないと思っていたのです。それで、教員の資格をとり、4年ほど働きましたが、子供が生まれて、子育てと教師と、両立できなくなったのです。私の時は、確か産前産後併せて8週間しか、休暇がとれなかったと思います。その上に、0歳児を預かってくれるところは、ありませんでした。
 その上、私も古い考えだったのか、保育所に子供を預けるのが可哀相に思えたのでした。それで、ついに退職してしまいました。
 家事の嫌いな私は、主婦の生活はつらかった。自分の身を、「鯖の立ち腐れ」と、形容しました。生きたまま死んでいる。そんな気持ちでした。母親が「生きたまま死んでいる」と思いながら暮らしているとしたら、そんなそぶりは子供には見せなかったとしても、親の後ろ姿を見て育つ子供としては、何かの悪影響を受けていることでしょう。
 祖母や母に対しても、死に際に看病できたわけではないし、楽しい旅行に連れて行ってあげたこともないし、後悔することは一杯です。
 今度生まれ変わったら、ひたむきに生きるということをしてみたい。自分で自分が生きるに必要なだけの収入を稼ぎ出してみたい。
 そんなことを思う私です。

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2009年6月 7日 (日)

家のキー

 この間のインタビューにご近所の奥様に見に来てもらったあと、昨日初めて電話しましたところ、あの日(火曜日)は気持ちがよくて、ビールを飲んで寝て、夜中にトイレに起きたら、目が回っているので、常備薬を飲んだ。いつもは30分くらいでおさまると思って安心して寝たら、また、トイレで目が覚めてみると、まだ、目がまわっていたので、もう一度、薬を飲んだ。翌水曜、ヘルパーさんが昼頃来て、その時、少し膀胱炎ぎみかなと感じていたが、普通にお話しして帰ってもらった。その後、3時頃、手が震えだして止まらなくなったとのこと。恐ろしくて、誰かに来てもらおうと思っても、玄関まで鍵を開けに行くことも出来ない状態なので、辛うじて電話に辿りつき、ケーアーハウスなら、家の鍵を預けているので入って貰えると、そこに電話したとのこと。暫くして、ケアーマネージャーが来たときには安心もあってか、手の震えがおさまってきて、眠りに入ったらしい。もう大丈夫とみたのか、ケアーマネージャーは挨拶して帰った。さようならと自分が言ったのは憶えているらしい。
 翌木曜、近所の病院に行って調べて貰ったら、すごい膀胱炎だったらしい。夜中2回目、薬を飲んだとき、間違えて睡眠導入剤を飲んだのではないかと思って、薬の副作用かと聞いてみたら、膀胱炎でも手が震える症状が出ると言われたようだ。熱は出なかったようなのに。
 そして昨日私が電話をかけると、元気な声で出てきて、今日病院に行ったら、まだ、35%くらい菌が残っているので、抗生剤を飲み続けるようにと、薬が出されたということであった。
 手の震えは30分くらい続いていたらしい。
 ひとり暮らしは、そんな時には大変だ。鍵を開けに玄関までも行かれないと言うのだから。
 家人がいれば、落ちついて眠ったあとも、時々寝顔を見に行ったりして心配するのだけど・・・。
でも、子供がいなくてひとり暮らしを若いときから覚悟している彼女は、強い。
「さよなら」と挨拶したのは、憶えているとかいって、明るいのだ。ひとりが当たり前になっているのだろう。
 近くにいても、私などたまたまその時外出しているかもしれないし、当てにならない。彼女が公の力を借りてひとり暮らしをしようと考えたのは、賢明な選択であったと思う。

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2009年6月 5日 (金)

ネットでレンタル・DVD

 亭主が、「マジソン郡の橋」のDVDを借りてきて、

よほど感動したらしく、5回も見てしまったという。

私は、その映画も見たし、原作も読んだけれど、

そんなに感動しなかった。

 というのは、「待つ恋」「秘めた恋」は、うんざりだし、

恋なら、現実に日々に満たされたい。

 というわけで、亭主の方が、ロマンチシストなのかな?

それはさておき、その続きで、亭主はクリント・

イーストウッドの作品をもっと見たくなったらしく、

「父親たちの星条旗」を探していた。

近くのレンタルの店にはないというので、

前からテレビのコマーシャルを見て、やってみたい、

と思っていた「TSUTAYAでネットでレンタル」の無料

お試しコースに申し込んだ。

 このシステムはなかなか業者にとって、損しないように

考えられている。貸し出し期間の期限なしだけれど、

返却しないと、次の2枚が送られて来ないので、

業者は2枚だけとられても、後は損なしだ。

 月8枚の定額コースに申し込んだので、早く返さないと

2枚ぽっきりでは元が取れない。と言うわけで、返す

ことになる。

 「父親たちの星条旗」は、一度みただけで、「もういい、

返してくれ」。私も、一度でも充分すぎる。

 亭主は、82歳でも恋愛に憧れているのかな?

「星条旗」ぽい。「マジソン郡」well come! well come!

私は、映画館に行くと、途中で寝てしまうので、

DVDの方がbetter.話題からは大分遅れるけれど。

 私は月8枚も映画見ないので、孫たちに、見たい

ものあるかい?

 まあ、その答え。私ならそんなどぎついものと、

びっくりするようなポスターの絵。内容は知らない

けれど。ああこれは、余計なことと反省。

 勉強の邪魔だ。コースを変えよう。

月1,2枚でも見ない私。新しいものに好奇心はやめ、

レンタルビデオ店に、足を運んで借りに行くのが

bestとわかる。


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2009年6月 4日 (木)

箕面の滝

Minootaki


Monkey2


昨日、箕面の滝にハイキングしました。

巷の友と、巷はさまよわず、山の中へ。

箕面に住んでいるもうひとりの友と、3人で。

箕面駅から、2、8㎞。

舗装されたなだらかな山道。

階段や、足を高く上げて登る所は全然無いので、

散歩感覚で、行き着きました。

それでも、鬱蒼と繁った木々や、鳥の鳴き声が

聞こえて、オゾンを一杯含んだ空気を吸っている

という気持ち良さ。

昔は観光客にいたずらする猿が居たけれど、

今は山に追い返したから、と、私が言っていると、

どっこい、猿が、滝の脇の岩に座っていました。

右目が小さくなっている猿は、大人しく、

疲れたように、人間を見ている。

年老いたか、病気の猿かなと、可哀相になりました。

そこで、少しのま、滝を眺めて、箕面駅前に、

ランチを予約してくれていたので、引っ返しました。

往復、5,6㎞は歩いたことになります。

ランチでおしゃべりをして、しゃべり足りなく、

箕面の友のマンションに行って、3人だけで、

上等のソファーに座り、6時まで、しゃべっていたのでした。

女友達はいいなぁ。いくらしゃべっても、しゃべり足りない。

今度は、勝尾寺までバスで行って、そこから下る道を

案内してくれることになりました。

少しずつ、足を鍛えていきます。

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2009年6月 3日 (水)

昨日はインタビュー

 昨日はついに、「エルダー世代と演劇」 を プロデュースしている、相模友士郎さんと、カメラマンの遠藤さんが我が家に来ました。もう、私は4時から目が覚めて、家の片づけ。兎の糞の始末、トイレの掃除、庭の鉢植を、玄関に持ち込んで飾ってみる。バラの花を花瓶に活ける。カーテンレールに一杯掛かっている主人の洋服を2階に放りあげる。格好つけるために、獅子奮迅。
 それで、私はここに座って、と、バックのいいところに、椅子を置いていたのに、生活感のあるバックがいいとか言って、反対側の、古ぼけたたんすや、たんすのうえにひな人形の箱を積んである方をバックにして撮ったのでした。
 近所のひとり暮らしのご婦人、娘、主人もダンスに出かけるまで少し居て、ギャラリーが賑やか。インタビューが始まり、相模さんの質問に私が答える。緊張しているのか、面白い答え方が出来ない。「何々ですか」と聞かれたら、「はい」で答えが終る式の、盛り上がりのない返答。相模さんと遠藤さんが帰ったあとで、ご婦人と娘に、面白くないと言われました。反省。インタビューに答えるにも、「気働き」(新潟の方言?)が要るのですね。相手が何を聞き出そうとしているか、くるくると頭をまわして、聞かれた以上の答えを言うのが、面白いインタビューになるのではないかしら。本当に鈍感な私を自覚しました。娘曰く、「オーバーなくらいに話を誇張しなくっちゃ」ですって。
 それで、二人が帰ったあとに、ご婦人、娘、が、口々に、若い男の子はいいねえと言うのでした。主人も、出かける前に「君たちは若くて気持ちがいいなあ」と声を掛けていました。82歳のご婦人も、「若い女の子はざらにいるけど、若い男の子はいないねぇ」と、いうのですよ。「ざらにいる」という表現がおかしくて、笑ってしまいました。主人も、若い女の子は、毎日喫茶店で一杯見るとかいうしまつ。もう、二人の若い(26歳くらい)男の子は、大受けの、大人気でした。
 老人社会の現状です。

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