2009年11月10日 (火)

芭蕉展

 柿づくしの「2」を書こうと思ったら、メモ書きを捨てられたらしい。

いい加減な広告の裏の様な物に書いていたので、反古と間違えられたらしい。

幸い、そのとき、柿衞文庫で「芭蕉」展をしていたので、図録を買っていた。

その芭蕉展のことを書きます。

 まず、芭蕉の字と蕪村の字、芭蕉の細い女性的かとも思われる字よりも、蕪村の力強い個性的な字が、印象に残りました。そして、蕪村の字のほうが好きとか思っていたのですけど、いまこうして書きながら芭蕉の字を思い出すと、その細い曲線美が捨てがたく思い出されるのです。不思議なものです。

 芭蕉は、「新しみは俳諧の花」と言っているそうですが、この言葉も、私の心を高めていくようです。

大いなる刺激を受けます。

 今年は芭蕉の「奥の細道」の旅から数えて、320年になるということです。柿衞文庫も、今秋は会館25周年の記念すべき年のようです。そこで、特別企画、「芭蕉の直筆作品と、現代作家とのコラボレーション」が行われたのでした。

 以下、図録の「ごあいさつ」からの引用です。
「現在活躍中の、ジャンルの異なった10人の作家をつのり、当文庫所蔵の芭蕉の直筆作品にじかに対峙して、そこから得たインスピレーションに基づいてそれぞれの分野で作品を制作、基礎となった芭蕉作品とともに展示しようというものでした。作家側・文庫側ともに初めてのことであり、とまどいや不安もありましたが、数回の会合を重ねていくなかで、「新しみは俳諧の花」と文学的脱皮への精進を常に自らに課した芭蕉の、時空を超えた広さと深さにあらためて感嘆させられながら、ようやく開催にこぎつけた次第です」

 そう言う企画が好きでない人もいるらしいけれど、私は、現代作家などというと、喜んで飛びつくのです。とても、刺激を受けるのです。

 芭蕉筆「山吹や宇治の焙炉のにほふ時」という句の自画賛から刺激を受けて、大野俊明が描いた屏風、「山吹の咲く」という作の、淡い色の美しさに私は癒されました。芭蕉筆「許六離別詞」懐紙よりインスピレーションを得て書いた、高木義隆作の、空を飛ぶ燕のすがすがしさ。「笈の小文」の旅への出立吟を題材にした、斉藤典彦の岩絵の具の色の奥深さ、私はどれも大好きでした。そして芸術的刺激のようなものを受けるのでした。

 川端龍子の描いた、奥の細道の後をたどったときの短冊も、55葉並んでおり、圧巻です。

展覧会の会期は11月23日まで、私はもう一度独りで行ってゆっくり見て来たいと思っています。 

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2009年10月31日 (土)

楽しい一日でした

今日は風邪気味で、鼻がつまっているにもかかわらず、ボヴェ太郎さんの老人体操に出かけ、2時間たっぷり、床に寝たままの体操をしたにもかかわらず、嫌と思うことがなかったのです。ボヴェ太郎さんの、あの静かな物腰は、どこから来るのでしょうか?体操の指導者というと、大きな声で号令をかけるというイメージできたものですから、ボヴェ太郎さんの物静かな声で、効くかしらと思っていたのですけど、体の道理にかなっている体操なので、終ったあとは、確かに体がしっかりしたと思うのです。最近右膝を痛めてから、歩くのもよろよろすると感じていたのですが、ボヴェ太郎さんの体操をしたあとは、大地に足がしっかりついて歩けるように感じます。エルダー世代の演劇のときの最高齢の95歳の方も参加しています。
体操が終ったあと、95歳のご婦人を誘って、YAHOOブログでお目にかかっていた、鈴木朝潮さんの銅板画を、夙川のギャラリー「SHIMA」まで、見に行きました。夙川に住んでいる、「エルダー世代演劇」で一緒だった、油絵を描いている方とも落ち合って。この方は、「エルダー世代の演劇」の顛末を、自費出版で本にすると言うことで、だいぶ、事が運んでいます。表紙を見せて貰ったり、中味のゲラを見せて貰ったり、話は尽きませんでした。彼女の行動力、詩的な洞察力、演劇の作成経過についての記憶力、それに何よりも、100部100ページで、100万という本を製作して、書店で売るのでなく、知人に配るだけという、気の大きさに、たまげ、賞賛する私でした。夙川駅近くで食べた、イタリヤ・トスカーナ地方で修業したというシェフによるスパゲッティも大変美味しく、ギャラリーのオーナーの奥様も、明るくて話し好きの方で、話が盛り上がって、長居をしてしまいました。今日はとても楽しい一日だったのです。

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2009年10月25日 (日)

老人体操

土曜日午前中伊丹市アイホールで行われている

老人体操に参加しました。

昨日は4回シリーズの第1回目でした。

指導してくださるのは、舞踏家ボヴェ太郎さん。

前に、小説「失われた時を求めて」の朗読を

背景に、音楽のないところで踊ったのを

見ました。それがきっかけで、アイホールと

親しくなりいろいろな行事に参加させてもらっています。

ボヴェ太郎の踊りは、飛んだり跳ねたりでなく、

ゆっくりと、ねばるように体を動かしていく踊りだと思いました。

そんな方に指導してもらうのは、光栄です。

とても、張り切っていたのに、10時から始まるのを、

10時30分からと勘違いして、30分も遅れていったのは、

ぼけ、です。

部屋に入っていくと、すでにみんなは床に仰向けに寝て、

両手のひらで顔を覆っていました。

ジャズダンスのところでするストレッチよりは、ヨガに

近いものでした。

ただ、ヨガでは聞かなかった、空気の存在を感じながら

動くということを、言われました。

水の中で、手を硬くして手を振り回せば、

ばしゃばしゃと音がし、抵抗が強いが、

力を抜いて、手を動かせば、抵抗がなくなめらかに動く。

空気の中でもそれと同じだと言うのでした。

空気を意識して、手で空気のボウルを作る。

それを、静かに人にパスする、と言うこともやりました。

ところが、空気のボールを受け取った私は

乱暴な性格が出て、それを激しく人様に打ち込んだのでした。

しまった、これはボヴェ太郎の欲するところではないと

思ったのも後の祭り。みんな、エネルギーの爆発に

飢えていたのか、次々と空気のボールを激しく

叩き込んでいました。

仕方ない、あきらめよう、成り行きに任せようと思ったとき、

ボヴェ太郎がボールを受け取って、「では、ここでいったん

ボールをしまいましょう」と、空気のボールを納めたのでした。

で、次は、背中から空気に押されている気持ちで

歩きましょうと言うのです。

背中から、押される空気を感じながらといわれても、

風に押されるのなら分かるけれど、

室内の、透明無色重力もないような空気が、

背中を押してくるなんて、感じられないのです。

仕方がないので、ただ、普通に歩きました。

さあこんどは、空気の中に分け入っているのを

感じながら歩きましょう、といわれても、

何もない空気にどうしてわけいっていいかわからず、

普通にただ歩きました。

私は自分の訳の分からないことは、「哲学的」

で、片付けます。

家に帰って娘にその話をし、「新進の舞踏家って、

哲学的なのね。実感できなかったわ」というと、

「そんなのは哲学的というのでなく、ベリーダンスだって、

そういうことをいろいろ考えながら踊ると、体の動きが

違ってくるのだ」とかいうのでした。

常識人の私には、なかなか理解できない世界でした。

ヨガも習ったことがあるけど、ヨガにも深い思想が

あるのでしょうけど、私が習ったのは、なになにのポーズという

ように、ポーズの種類をいっぱい習っただけでした。

ジャズダンスのストレッチでは、筋肉の動きとか

医学的に解明する方向の説明をしてもらいました。

だから、背中から空気に押されるように歩くは

哲学的となります。

受講者は、たった5人で、まだ余裕があるというのです。

興味のある方はいらしてください。

60歳以上の体操です。

参加者は、ボヴェ太郎さんが、舞踏家であるってことを

知らないでいらしていました。

私がボヴェ太郎さんのファンだから、待っていて来ました

などというと、周りが冷やかして、「追っかけ」とか。

「そうよ、追っかけなのよ」とか、年がいって言いたい放題、

シャイなボヴェ太郎さんを、恥ずかしがらせたかも。

また、みんな年だから、「イケメンだからモテルでしょう」みたいなことを

ご本人に言って、これも、ちょっとどうかな?

でも、イケメンです。正真正銘のイケメンです。また、私は前の公演のパンフで、

略歴も読んでいたので、「28歳よ」なんて、これも、

図々しい発言でした。辟易されたことでしょう。

今、40代のママが、ジャニーズにはまって、

追っかけをしている人が多いらしい。

東京から広島まで、見に行くとか、中学生の子供と、

飛び回っている話とか、嵐にお金使いすぎたので、

自分の稽古事するお金がないとか、言う人がだいぶ

いるのですって。私の40代を考えると、

子供相手でつまらないなと、いやになりながらも、

家でじっとしていた。今の人は自由でいいなぁ。

追っかけという言葉は流行語で、私も、冷やかされたのだ。

ボヴェ太郎はあの長い「失われた時を求めて」を

全部読んだのだろうか。読んでないと、渋谷はるかのその

朗読で、踊れるわけはないのだが。

実は、私も読もうと分厚い文庫本の上巻だけを買ってきたのだけど、

第1章か2章くらいで、積ん読している。

飛びつくわりには、根気のない私です。

一つ一つの文章は、味わい深い文章で、刺激を受けることがいっぱいなのに、

その文章が、延々と積み重なっていくと、ありゃりゃりゃら、私は、

投げ出してしまうのです。いつも。

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2009年10月23日 (金)

笑いました

今日、中2の孫が言った。

「体育の先生(女性)が、『男はやってぽいだから』って言ったのよ」って。

私、驚き。

セイ教育で、そういうことを教えておかないと、

今は、すべてが早熟な時代だから、と、先生は考えたのかしら?と、

解釈した。

孫、母、祖母で、あきれたり、笑ったり、侃々諤々しゃべり合った末、

私が「そういうことを言うにしても、もっと、きれいな上品な言い方が

あるとおもうわ」と言った。

孫。それを上品にいうとしたら、どんな言い方があるの?

と聞く。

私、とっさに思いつかない。

孫。「行なって捨てる」とか・・・。

わはは、もう、私は笑い転げた。

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2009年10月20日 (火)

ヤモリか?怨霊か?

 夫の話。

昨日はものすごく恐ろしかった。

(その日は妻は外泊、夫は独りだった)

寝る前、炬燵に入って坐っていたら、

天井、蛍光灯の所から、ぼたって何かが落ちてきた。

みると、△の頭で、足が4本あって、

ものすごく気持ちの悪い色のものが、

しばらく、じっと動かないでいたので、

にらみ合う形になったんだが、

すぐ、さっと動き出して、すごい速さで、

本箱の奧に入っていった。

夜中にそれがでてきて、

噛まれて、毒で死ぬかも知れないと

思ったけれど、死ぬなら死ぬでいいさと、

寝た。

しかし、あんなものは見たこともない

気持ちの悪いものだった。

何か怨霊が化けて出てきたのかと

思ったほどだ。

 妻。

それは、ヤモリと違う?

 夫。

ヤモリは、腹が赤くて太い。

 妻。

それは、イモリの方よ。

 夫。

いや違う。ヤモリは腹が太くて赤い。

何かおれを恨んでいる女の怨霊かもと

思ったほどだ。

 註)夫は今源氏物語に夢中。

夕顔があばら屋で、六条御息所の怨霊に

殺されるところを、読んだばかりだ。

 妻。

女の怨霊に殺されるほど、いい男でもなし

っていうところよ。

 夫。

いや、自分が知らない間に、恨みを買ってる

場合もある。

 妻。

しょってる(笑)

 田舎育ちの夫にして、イモリとヤモリの

区別が付かないらしい。

 私も、田舎の都会育ちで、イモリを

知らなかったが、ずっと前に赤倉温泉に

旅行したとき、イモリ池というのがあって、

イモリを見たくて期待していたのに、

イモリは全然見えなかった。

見たことのある友人は、

あんな気持ちの悪いもの見なくっていいよって、

忠告してくれた。

 私も、あんまり物事を知らない人間なので、

イモリとヤモリをネットで調べた。

 案の定、夫の言っている腹が太くて赤いのは、

イモリだった。

 ヤモリが家にいるなんて、つぶれかけの家の

象徴だと思っていたが、ネットにこう書いている

人がいた。

「ヤモリは守り神?」

アジアでは家の中にヤモリがよくいます。

日本ではヤモリが家にいる間は、

その家には悪いことがおきないと信じられています。

東南アジアでは、赤ちゃんが生まれるときにヤモリが鳴いていると、

その子は幸せになるといいます。

 妻の心境。

ああなんという幸せ。このボロ家。

危うしと思っていたのに、

悪いことは起きないのだわ。

 (これも、あほな考え。つま(夫)がつま(夫)なら、

つま(妻)もつま(妻)。馬鹿さ加減が似ている)

 また、ネットで見ると、ヤモリは毒は持っていないそうです。

寝ているとき顔の上を、ヒヤッとさせて走っていっても、

気持ちが悪いだけで、噛まれて毒で死ぬことはないと

知ると、安心して寝られます。

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2009年10月15日 (木)

びっくりしたわⅡ

文芸思潮のホムペに行って、

過去の文芸賞の1次通過者の

名簿を見て、驚き。

第4回も、第5回も、1次通過者は270人くらい

いました。

今度の応募者数で考えると、半分が1次通過?

むべなるかな。むべなるかな。それで通ったのだ。

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びっくりだわ

ちょっと驚きません?

「やっかみの風」という小説を、

要らないところを削って半分にして、原稿用紙50枚で、

第6回「銀華文学賞」というのに、応募しておいたら、

「第1次予選を通過」って手紙が来たのです。

こんなことは初めて。

応募数は526編ですって。

NHKの「銀の雫文学賞」は、1013編の応募だったかな。

これは、見事、1次も通らず落ちました。

「銀華」の方は、確か45歳以上の女性のみ、

応募の資格があったのかな?

もう、忘れてしまった。

asiawave.co.jp/bungeishichoo/

で、調べてみます。

文芸思潮というところの、文学賞です。

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2009年10月11日 (日)

こんなこと考えたわ

 いつも娘が、財布の汚いのを出すのは恥ずかしい、

一番目立つものだから、というのですが、

私の財布はよれよれになりました。

 いつのまにか、しみが付いて拭いても

とれない。形も崩れてきました。

 本来なら買い替えの時期だけど、何故か

ゆとりがなくて(経済上の)買い替えに

踏み切れない。恥ずかしいなと思っていたのですが

あるとき、こんな汚い財布を出すのをみたら、

見た人が(この人、貧乏なのかしら、汚い財布を持って)と

心で思いながら見るだろうなと思ったら、

なにやら、それを楽しみたい、愉快だって、

思ったのです。そのことをまた娘にしゃべったら、

「それなにぃ? そんな心の動き解からんわ」

といいました。

 さて、この間、稽古事に行って、新参者の私から

先輩を誘って、お茶してもらって、いざ、帰るとき

レジで財布を出したのですが、まっさらのヴィトンの

財布を出すのを見て、貧乏と思われるのを楽しむ

どころでなく、ちょっと、隠し気味にぼろ財布を

私は出したのでした。

 なあんだ、大きいことの言えない私だなって、

私は思ったのでした。

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2009年9月27日 (日)

胸ドキドキ・血圧上昇?

 今日は武庫公民館のお祭り。

公民館で、サークル活動している人たちの

舞台発表がありました。

 私は40歳から60歳くらいまで、そこのジャズダンス

サークルに入っていました。

 やめて10年。今年の春、10年のブランクを越えて、

ストレッチだけでもと、また、入れてもらったのですが、

寄る年波には勝てず、右膝に水がたまって、

やめたのでした。

 でも、20年来の友や、先生も出演するので、

見に行きました。

 パートの仕事で出られない方もいて、

先生を入れて5人の出演です。

 出演者5人の家族の方も見に来ていない様子で、

私はいきなり、携帯で舞台をビデオにとるように

頼まれたのでした。

 若い人にはなんでもないボタンを押すだけの

操作。だのに、私にはそれが大変。

 もうすぐ始まると言う寸前に、携帯を開けて押したら、

どこをどう押したのか、チューニングという英文字が

画面をぐるぐる回っている。もう、それを消すのに大慌て。

 席も後ろしかあいていなかったので、真ん中の通路に

走り出て、しゃがみこんだら、前に行き過ぎていて、

画面から舞台の両端が切れそうになる。

 どこを押したら、遠くに離れてくれるのか、わからないし、

しゃがみこんだ体は、おいそれと後ろに行ってくれない。

 画面を目に近づけて、少しでも舞台から離そうと、

より目になって、ようやく、両端の人もこぼさずにとれたのでした。

 その間、胸はドキドキ高鳴りっぱなし。

さぞかし、血圧も上がっていただろう。

ぶっ倒れなくってよかった。

 自分が舞台に上がった時より、ずっと心拍数が

多かった感じだ。

 年寄りはダメだなあとつくづく思う。

全然踊りも見られなかった。

 話は変わって、亭主、社交ダンスを習って20年。

個人レッスンで、ワルツばかりを何年も習っている。

 先生が、デモンストレーションにでようと、

ずいぶんとさそってくれているらしいけど、

踊っている最中に興奮して血圧が高まって

ぶっ倒れるのではないかと、心配で、

断り続けている。

 デモンストレーションぐらいで血圧が上がるなんて、

あほらし!と思っていたけれど、今日の自分の

ことを思えば、年寄りってどうにもならない生き物なんだなって

思ってしまう。

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2009年9月24日 (木)

金次郎

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京都の町の真ん中でも、少子化やドーナツ現象で、

廃校になった校舎が沢山あるそうです。

これは、タクシーの運転手さんの話です。

20日に見そびれた、杉原邦生演出の

「エンジェルス・イン・アメリカ」という

演劇が行われていたのは、

廃校の有効利用の「京都芸術センター」という

ところでした。

なんとそこにはまだ二宮尊徳のかわいい石像が

あったのでした。

びっくり!


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舞妓さんと金次郎

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京都「みやこめっせ」で見た舞妓さんです。


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空振り

9月20日の予定は、京都市美術館でルーブル美術館展を見て、

その後、演劇を観て帰ることでした。

会期終わり近く、日曜、しかもシルバーウィークの

上々の天気の日に、駆け足で美術館を見る

なんて計画は、甘かった。

1時前に着いてみると、

美術館は1時間20分待ち、

建物の周りを待ち人が一周しているのでした。

待っていては3時からの演劇に間に合わない。

ルーブルはあきらめて、時間つぶしに、

そばの京都市勧業館「みやこめっせ」という

所に時間つぶしに入って、催しものの物産展を見、

舞妓さんの踊りを見てから、あわてて、

タクシーを飛ばして演劇を見に行ったら、

満員で、キャンセル待ち、8番でした。

そこで、もうあきらめて、電車に乗って

帰ってきてしまったのでした。

 チケットはあるものと思って、行くと決めた時点で

電話したらよかったのに、電話もしないで行ったのは

馬鹿でした。

 結局、ルーブルも演劇も見られなく、空振りでした。


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2009年9月20日 (日)

レストランで食べる

昨日はとてもいい天気だし、

久しぶりに、「最後の抱擁」の

モデルの奥様を誘って、ランチをしようとした。

 電話をかけると、「外でのランチは、駄目だわ。

手が震えるので、汚い食べ方になって、

人に見せられない」と言うのでした。

 そこで、奥様の所のチャイムが鳴り、

一旦電話を切りました。

 次にかけてきたとき、

「向かいの○○さんが、来たのだけど、

『今友達にランチ誘われたのだけど、

食べ方が汚くて、行けない』と言ったら、

『カレーなら、大丈夫』と言ったので、

カレーを食べに行くわ」と言うのでした。

 じゃ、カレーにしようと出かけたのですが、

歳をとると、そんなことまで、気を使わなければ

ならないのかと、目から鱗のような気持ちでした。

今の私は、まだ、当たり前にお箸も使えるし、

美しくはないけれど、向かいの席の人は、

こんな人と食べてもおいしくはないかもと、

思わないでもないけど、

平気で食べています。

 奥様は、人目を気にするだけ、まだ、

配慮の出来る、素晴らしい人だと思います。

このことは、頭が下がります。

 奥様は、歩く練習に天気のいい日は、

駅前までバスに乗って、モーニングを

食べに行くそうです。

そこの店は、ワッフルのモーニングだから、

柔らかいので、手で、小さくちぎって

食べていると言うことでした。

手で小さくちぎるのもかっこわるいけど、

自分一人だし、柔らかいのでちぎっても、

そんなに不格好にはならないというように、

言っていました。

奥様の向かいの○○さんも、82歳の

一人暮らし。カレーなら食べれると

即座に解答が返ってくるとは、

やはり、同い年の方は、常々同じことを

思索しているのでしょうか。

もし、私なら、

「食べ方なんか気にしないで、行って来たら」

くらいしか、言えないと思いました。

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漢字練習帳

孫の漢字練習帳を覗いたら、

「おくまんちょうじゃ」の書取りの所に、

「億万兆者」と書いてあった。

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2009年9月18日 (金)

本の山

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 毎日忙しく走り回っているうちに、

ブログを10日近くさぼってしまいました。

 今日の写真は、うちに並べられた古本の山。

これで、もう、どれだけ、売ったかしら。

いよいよ、売る作業はお終いらしいです。

 最初は東京の古本屋が無理して

買っていてくれたけど、断られて、次の東京の

古本屋でも断られたけれど、

関西のインターネットで商売している

古本屋を、2,3軒教えてくれて、最初に

電話したところは、断られて、いま、

甲子園の古本屋が、4回目取りに来て

くれました。その古本屋は、おじいさんの

代で創めて、今の当主で3代目ですって。

 うちは、文科系の跡継ぎがいないから、

だれも、本を読む人がいなくなる。

 無用の長物になるのです。

主人も83歳。あと時間的に読める量が

見えてきたらしいです。

 意外とあっさり未練たらしくなく、

売るのに熱中しているのには、

私が驚くほどです。

 いつも、亀の甲羅のように本がついているので、

ややこしくて、すっきりいかなくて、

これは一生続くと思っていたのに、

ほんまに驚き。

 本にさえ固執しなければ、老人ホームにでも

小さいマンションにでも引越しできるのですから、

先が明るい(?)です。

 80を過ぎると、みんな先を考えるのか、

横浜の長電話の婦人は、あとからお先にと、

本を処分したようです。

 71歳の私は、まだ、そこまで考えていなくて、

のんべんだらりと生きています。

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2009年9月 8日 (火)

「最後の抱擁」4

 最後まで一挙掲載と予告したのですけど、

半分しか直せませんでした。中途半端ですが・・・。

掲載します。

 「最後の抱擁」4 

 翠には、心当たりがあった。夫の死後、家の名義を夫から自分に移したり、

貯金の名義を変えたりするのが煩わしくて、ケアーマネージャーに相談して、

弁護士を紹介してもらい、その人に手続きを全部お願いした。その孫のように年の若い弁護士は、

なにか福祉の関係の資格も持っているときいていた。

その弁護士なら、安心して全財産を預けられるのではないかと思った。

 翌日、翠は、ケアーマネージャーに相談したいことがあるから来て欲しいと電話をかけた。

女性のケアーマネージャーは、すぐ訪ねて来てくれ、

あの方はいい弁護士だから適任だと思うので、

頼んであげましょうと言ってくれた。

 翠は、これで一つ肩の荷が下りたと思った。

夫の生前から、夫が亡くなった後は、財産管理の後見人がいると思っていた。

療養中の夫に相談したことがあったが、夫は、弁護士といえども、

全面的に信頼できるとは言えない、悪い弁護士もいるので、

慎重にしなければいけない。まだその必要はないと言われた。

夫は経理畑を歩んできたので、数字にめっぽう強かった。

翠はその庇護の下にいたので、

ますます家計のことがうるさく面倒だと思うようになっていた。
 もう、贅沢も望まないし、足腰がしっかりせず、

派手な外出もしたいと思わなくなっているので、

生活できる最低限のお金があればそれで充分だと思っている。

あとは、自分が施設に入らなければならないようになったとき、

困らないように、預金を置いておけばいいのだ。

それをしっかり守ってくれて、ぼけたとき、

施設に入れてくれる公的な管理人が必要不可欠だとずっと考えていた。

ぼけてしまったら、自分で何も決められないのだから今がチャンスだと思った。

 年が明け、二月に入ってから、ケアーマネージャーから連絡があり、

件の弁護士と、その他に二人の弁護士、

それから包括支援センターから一人と、五人の人が翠の家に来た。

 翠は、説明を聞いたが、細かいことは解らないので、

全部信頼して任せることにし、裁判所に行く必要もあるらしいので、

割と手続きが面倒なんだなと思ったけれど、

これから、言われるとおりに体を運んでいたら、全部解決するのだと、嬉しくなってきた。

これで安心して秀さんの所に行けると思った。

 翠は、かねがね、老いの自立とは、身の回りのことが自分でできることと、

経済面で、生活に必要な最低額が保障されることと思っていたが、

足腰の弱った今は、身の回りのことが全て一人でできるというわけではないが、

公的介護制度で、要支援二となり、ヘルパーが週に四時間、

家事を助けてくれることにより、なんとか過ごせている。

次に金銭的なことでも、年金と、弁護士の力で解決できそうだ。

 翠は、一から十まで自分でやろうとせず、割り切って、

公的な力を借りて、ある程度他人を信頼して老後を生きていく道を見つけた。

 翠は最大の気がかりが片づきそうになったので、

ほっとして、もう一つの気がかりなこと、「目」を見て貰いに出かけた。

 診察を終えると先生は、

「意外に進んでいませんよ。前と同じ感じです」

と、言ってくれた。

「嬉しいです。先生。あのう、私、パソコンゲームが止められないのですが、

目のために止めた方がいいでしょうか?」

「いやあ、好きな事を無理にやめなくても、いいです。

したらいいですよ。長時間続けないで、休みながらやればいいです」

 翠は、そう言われて、嬉しいと同時に、高齢者だからなんでも好きにしたらいいと、

見放されたような気もした。でも、それでいいのだと納得した。
                               (つづく)

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2009年9月 7日 (月)

ミス

最後の抱擁が、中断しています。

美江さんのコメントで、私が最終稿を

掲げず、ひとつ前の稿を出しているのに気がつきました。

で、最終稿の保存を探したのですが、ない。

どうして、消えたのか?不思議だけど、

保存しなかったのかも。

幸い、印刷したものがあったので、

それと対照して、直していこうと思っているのですが、

いかにも忙しい。

ゆっくり、対照する暇なく、

徒に月日が過ぎるのみ。

ちょっとここでことわりをいれておいて、

明日あたり、残り全部掲げます。

「アマルフィ」を映画館で見て

「黄色い涙」と「オーストラリア」をDVDで見て、

映画づけになっていました。

今日もこれから三宮に出かけます。

エネルギーが足りませんです。

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2009年8月24日 (月)

「秋川雅史 コンサート」

 今年の8月は色々予定がつまっていたので、

秋川雅史のコンサートのチケットは申し込み

してなかったのですけど、ピッコロさんという方が、

急に行かれなくなった友達のチケットがあるからと

誘ってくださったので、22日土曜日の夜、

京都会館まで行ってきました。

 2千人以上の席が満席。6歳から94歳までの方が、

聞きに来ておりました。90歳以上の方は7,8人はいました。

 その前日21日には、私の住居の隣の駅の、兵庫県立芸術文化

センターで、コンサートがあったのですが、私は8月の予定が立たず

チケットを買いそびれたものですから、誘われるまま京都会館に

行きました。追っかけをしているかたは、2夜連続

コンサートに行ったそうです。その方は、兵庫芸文センターの

コンサートは素晴らしかったと言っていました。

あそこは、すごく音響効果がいいので、声が

よくのびたのだと思います。行かれなくて、

とても残念でした。

 帰りに京都のタクシーに乗ると、運転手が、京都会館は

音響が悪いことで有名だと言いました。

 古いから悪いのでなく、初めから建築に失敗しているとか。

そんなことを聞くと、隣の芸文センターを逃したのが、

すごく残念に思えて来たのでした。

 ともかく、ピッコロさんの側にいると、熱烈なファンが

いっぱい集まってくるので、情報がわかって面白い。

 私が経てきた世界とは別世界なので、目を見張るばかりです。

今年もう30回も秋川のコンサートに来ている人もいて、

私には考えられない世界。自由奔放にいきているのだなぁ~。

ちょっと真似をしてみたいけど・・・。

 京都では、帰りのタクシーが心配で、出待ちもせず、

お先にと帰ってきて、自分の車でどこまでも

走れる世代との違いを感じました。

なにせ、自分にはエネルギーがたりない。

もっとばんばん生きてみたいなぁ。

 AKKI の周りには、元気のいい女性が一杯です。

ファンというのはそういうものなのですね。

 「千の風になって」の日本語の作詞者であり作曲者である

新井満の「トークと歌」を聞きに、友に誘われて行った事があります。

新井満にも、ファンはいます。こちらの方は、

静かに潜行するタイプのファン。

シャイで、口にも出さず、行動にも出さず・・・。

 秋川も新井も両方いいなと思っているのが、

ひよってる私の思い。新井満自身が、ユーモアを

こめて言っていたのは、自分のCDは、葬儀屋で売れるとか。

確かに確かに秋川のでは、お葬式には朗々と

し過ぎているかしら。

 年間100回近いコンサートをこなす秋川。

働きすぎではないかと心配です。

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2009年8月20日 (木)

NHK銀の雫文芸賞

 「銀の雫」に応募していたら、結果の通知がきて、

勿論落選。応募数は、1107編だったそうです。

 なんと、最優秀賞は、大阪の13歳のお嬢さんでした。

 題は「手の記憶」

 あらすじを書き写しておきます。

 「両親が共働きの小学5年生、優香は幼少時から

祖母タキに育てられる。一緒に出かけた夏祭りの夜、

タキが脳梗塞を発症し、入院する。見舞いに行った優香は、

家に帰りたいと暴れるタキの手にぶたれ、ショックを受ける。

退院後、優香と久しぶりに散歩に出たタキはふらつき、

とっさに優香の手をつかむ。これまで守ってきてくれた

タキへの切なさがこみ上げる。翌日、タキは倒れ、

そのまま亡くなる。焼き場で優香はこれまで育て、守って

きてくれたタキの手指の骨を拾う。

 また、夏が来た。遺影の前で今年の夏祭りも一緒にでかけよう、

とタキに語りかける優香。ふとカレンダーを見ると、

誰がつけたのか祭の日に赤丸がついていた。」

 あと優秀賞が2人いて、ひとりは香川県の50歳の女性、

もうひとりは、東京都の50歳の男性でした。


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2009年8月15日 (土)

ライスカレー

 私の小さい時は「ライスカレー」と言いました。それがいつの間にか「カレーライス」。
「ライスカレー」などと言えば、時代遅れと笑われそう。
 それが、ついこの間軽井沢に行った95歳のご婦人から、「金谷ホテルの百年ライスカレー」と言うのをお土産にいただいたのでした。明治以来のメニューを研究して、100年前の味を復活させたらしいです。
早速いただいて、とてもおいしかた。さすがプロのシェフが研究した甲斐があります。
 おとどしの夏だったか、海軍経理学校出の夫が、靖国神社に行きたいとかいうので、上京したついでに付き添っていきました。そこでも、海軍が食べていたライスカレーの復元とか言って、レストランのメニューに出ていたので、どんな懐かしい味が出てくるかと、期待を持って食べましたところ、実にまずかった。今度も、そんなものかなと思って期待なしに頂いたのでしたが、とても、おいしかった。まだ、他に、ビーフシチューも頂いているので、これも楽しみです。
 老人演劇の時「わたしは、軽井沢に行きたいといって、娘に笑われています」と、言ったら、軽井沢からのお土産は届くし、万平ホテルの割引券は富予算から頂くし、何でも言ってみれば実現に近づくものだと思いました。そのうちに「上海の路上でものを食べたり」「パリのカフェテリアでコーヒーを飲んだり」しているかもしれない。老人演劇で、そんなことをしてみたいなあと、言っておいたから(ニコッ)

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2009年8月10日 (月)

元気なお年寄り達

昨日、「老人演劇」で一緒に出演した人たちが

集まりました。私達の演劇のDVDが出来たので、

一緒に見る会があったのです。出演してから

一月が経ちました。

 この一月、私は、膝が痛くて、大したことも

出来ませんでした。やなぎみわの展覧会に行った

くらいです。

 ところが、95歳の奥様は、軽井沢に旅行されてました。

又、もう一人の絵を描く方は、奄美大島に旅行され、

もうすぐ、アラスカにも旅行するそうです。

 私より1歳下の70歳の方は、まだ、週2日働いている上に、

自彊術を教えています。

 82歳の青春切符の好きな方は、夏休みは避けて、9月になったら

旅行するそうです。その方の青春切符の使い方は、友達と二人で、

一泊旅行に行き、4枚使い、あと、一人で日帰りを、

1枚使うそうです。「得でっせ」と言ってくれるけれど、

しり込みする若い私。

 もう一人の、81歳の方は、戦争中、電気に黒い覆いをかけて、

その下で、靴下のつくろいをしたことや、戦後の闇市の様子を、

演劇にして、若い人に戦争のことを伝えたいとか、思いを

語ってくれました。みんな前向き、意気軒昂たるものです。

 たった一人の男性は、どうしていたか、聞きそびれましたが、

きっと、株を、研究していたことでしょう。

 人生の先輩から学ぶことは沢山ありました。

 靴下繕いの方は、膝が痛いので、医者に行ってからきたと

前に言っていて、膝の白いサポーターも見せてくれたので、

聞いてみました。

 すると、答えはこうでした。

 「私は水が溜まったことはないけれど、軟骨が磨り減っている。

病院でのリハビリは、それはそれとして効果はあるけれど、

それよりも、自分でお風呂上りにマッサージをして、血液の

循環をよくしたり、ゴムを足にかけて、筋肉を伸ばしたりして、

自分で努力するのが一番」というのでした。

 その方は、自分で努力しています。えらいなぁと思ったのでした。

何も努力しないで、食べ放題、飲み放題、足は冷やしっぱなし、

NHKでみた膝にいい体操も、したりしなかったり、貰った薬は、

半分も飲まない。これでは、治ることやら治らないことやら・・・

なんとか、体重減らしと、運動は頑張って見ようと、

先輩に教えられる1日でした。

 

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2009年8月 8日 (土)

老人の道まっしぐら

 このところ、長年のほったらかしの悪い結果が出て、

肉体の衰えを感じています。

 まず、膝。右膝に水がたまって、1ヶ月。

水を、2度抜き、ヒアルロン酸を3回膝に注射して、

リハビリは、週2回、それでも、治りません。

リハビリは、右足のマッサージと、膝に電気みたいなびりびりしたものを、かけています。

 正座はまだ不可能。まっすぐでない角度で膝を使うと、

とても、痛いです。階段の上り下りはちょっと楽になりました。

 歯医者は週一回。そのうち、右上は部分入れ歯になります。

これも、手入れを怠った所為でしょう。

 次は血圧。朝は、155~165。夜も150を越えることが多いです。

これも、これから医者と相談して、薬を飲むなり何なりしなくてはならないでしょう。

 先人の歩んだ道は、自分だけ避けて通れるものではないと、つくづく思っています。

「老人の道まっしぐら」と言うのが、今の自分に対する感懐です。

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2009年8月 2日 (日)

「ドラマソロジー」 拾遺 Ⅲ

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一昨日、「老人演劇」に出た人3人で、「やなぎみわ」の展覧会に行って来ました。

何故かというと、老人演劇「ドラマソロジー」に出た、唯一の女優、若い増田美佳さんが、やなぎみわの「ウィンドスウェプト・ウィメン・シリーズ」のモデルをしたからでした。

増田美佳さん目当てに行ったのですが、誰がどれやら、さっぱり解らないくらいのメークがされた、写真でした。

結局、3人で考えた末、上の写真の、小さいのが5枚並んでいる一番右ではないかということになりました。

5枚とも、高さ4メートルもあるような、大きい写真です。

私からみると、なんとグロテスクなということになります。

前に話題になっていた、若い人が50年後の理想の姿をイメージして撮った「マイ・グランドマザー・シリーズ」の展覧も同時にしていたのですが、これの方は、カラー写真で、色も構図も、夢があってとても美しいのです。それが、何故、こんなところに行き着いたのでしょう。

ファンタジーの世界を、壊して壊して、常人ではとても受け入れられない、目をそらせたくなるような所に、人間の真実に迫る方法があるのでしょうか。

パンフレットの文から抜粋します。「荒野にすっくと立ち、はち切れんばかりの豊かな胸をゆらしながら、どこからか聞こえる音曲に体を揺らす老女の姿。一方でかつては豊かであっただろう胸を見せ、同じように髪の毛を振り乱しながら踊る老女。(中略)異なる世代の女性達の集いを家族写真のように見立て、老若、虚実、生と死の社会通念をかく乱させようと試みている。」


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2009年7月30日 (木)

「色気より食い気」

 もう色気なんてものは、とうに卒業。

常々男性に興味なしと言っている私。

 それだのに、夫は、秋川に夢中になっていると、

私のことを冷やかして、男性に興味なしというのは

嘘だという。

 それとこれは、違うじゃない。素晴らしい音楽に

憧れているのじゃない、といくら説明しても

わからないみたい。

 芸術というのが、解らないのかしら。

 もう!もどかしいね。

 それで、何故こんなことを今書くかと

いいますと、今夜10時から、NHKで、

夏川と秋川(あれ、夏の川と秋の川だ)が、

北海道を旅する番組がありますの。

 楽しみだぁ!

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2009年7月24日 (金)

吟行

 美江さんに本を届けて貰う用事があって、

折角なら、俳句で最近よく佳作に入る

美江さんと二人で吟行しようと、交通公園(通称)に

行った。交通公園から堤防に上がって、武庫川の河原に下りた。

 美江さんは、片っ端から5,7,5にしていくといいと

言うけれど、私にはそれができない。目の前の風景を見て、

考え込んで纏めようとするけど、頭がからっぽみたいに感じる。

これという感慨もないけれど、一寸ばかり感じたことを、

5,7,5,の中に言葉で表現しようとするけど、言葉が出てこない。

 美江さんは瞬く間に10句くらい作っている。素直にその時思ったことを

詠めばいいのだという。確かに確かに・・・。だが、難しい・・・。

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 美江さんの句
  濁流も 水わずかなり 武庫の夏     美江

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 葉子の句
    足冷やす 堰滔々と 武庫の川

 美江さんの「武庫の夏」をまねて、「武庫の川」でしめくくりました。
 そしたら、格好ついたように思います。さすが美江さん。
 悪しからず。

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2009年7月22日 (水)

西宮ガーデンズをうろうろ

 注文していたショスターコヴィッチのCDが

入ったと「HMV」から連絡が来たので、

ガーデンズに出かけた。ガーデンズの映画館で

昨日亭主が、イタリア・オールロケの日本映画を

ご近所の方達に連れられて見てきた。

イタリア・オールロケとうのが、私にはこたえられない。

「なんちゅう題名?」と聞いても「なんや、ややこしい

題名だ」とかいって、埒があかない。

行けば解るわ、と、たかをくくって、映画館階を、あれこれみるけど、

ふさわしいポスターがない。昨日はいやに早く朝8時半集合

とかで、行っていた。なるほど、9時台に1回しかない映画

というのも、多いんだな。それじゃ、あれかこれか、とみるけど、

どうも、ぴんとくるのがない。それじゃ、下の階の

BOOK 1st で、映画雑誌でも見て調べるか、なんて、

あほうな発想で、BOOK 1st に下りていったのが

運の尽き。映画雑誌なんて読んだこともないので、

簡単にわかるはずもない。

 そうだ、NHKの「きょうの健康」で、膝の痛みの

ことをやっていたと、教えてくれた友がいるので、

そのテキストを買おう、なんて、もう気はそちらへ。

7月号探していたら、8月号が目について、

「血管の老化を防ぐ!ダイエット」と出ていたので

それも買うことにした。そうしたら、近くに、英会話の

「リトル・チャロ」というテキストがあって、その上の方に

「プルースト『失われた時を求めて』を読む」という、もう、放送も

終ってしまっているようなテキストがあって、それも買った。

それから、ぶらぶらしていると、ガラス張りの外から覗き

たくなるような料理教室があるので、覗いていたら、

宣伝のお姉さんに呼び止められ、中に入ってシステムの

説明まで受けてしまった。なんでも、12回コースで、

チケット制だけど、6,7万かかる。材料費も含めてだけれど、

1回5千円にはつく。私の孫に食べさす料理は、

挽肉玉葱入りのオムレツと、すき焼きならぬ、

「すき炊き」の、2点しかないので、習おうかと考えたり、

もう、みんな料理なんてめんどうだとやめている

年なのに、と、思ったり、結局は1回5千円は出せないと

やめた。それから、ふらふらと、NHK文化教室に

行って、「シャンソン」を習おうかと、ちらしを見ると、

12回で、6ヵ月、3万なにがしだった。1回に割ると

3千円弱。この方が、さっきのほうより安いと、

比較の問題で安く感じて、見学をしに行くことにした。

 それから、友のブログに、阪急百貨店の1階の

ドンクのところの喫茶で、紅茶がおいしいと

書いてあったので、飲んでみた。

 頭は、もうちょっとで、料理教室にはいりそうになったことを、

あれこれ考えていたので、香りを楽しむことも忘れ、

ミルクどぼっ、さとう、ざざざといれて、ぐっと飲んでしまったので、

最初の一口香りがよかったな、くらいで、飲み終えてしまった。

膝が痛いのに4時間もひとりでさまよった。

 それに、外に出ると思いつきだけで、無計画にものを

買うので、おあしが出ていってたまらない。

 晩ご飯の時、「映画なんちゅう題?」ともういっぺん

きいたけど、答えは同じ。新聞見たらわかるよ、だって。

 その映画、きのうで終っていたのじゃないの?

さっぱりな、二人の会話でした。

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2009年7月20日 (月)

雷とペット

 夜中、すごい雷が鳴っていた。

昨夜は12時半くらいまでは、起きていた。

9時頃、マイケルジャクソンの30周年記念の

ライブの放送を見ていたときも、雷は鳴っていたけれど、

まあ、大したことはなかった。

 ところが夜中、バリバリと屋根を直撃するような

恐ろしい音が何度もしていた。

 夢かうつつか、という状態で、これが、昼間なら

どんなにか恐いだろうかなどと思いながら、半分寝ていたのである。

 また、ものすごい音がするけど、雷で家はつぶれない、

などとも、思って眠っていた。昼間なら、家の中のどこにいたら、

雷に打たれないか、電気の下は危ないのか、壁際は危険なのかなど、

いろいろ思うのに、雷で家はつぶれないなどと、暢気なことを

思って、寝ていた。

 朝起きて、廊下の兎はいつも通りだった。

ふと、前に飼っていた犬のことを、思い出した。

 犬は雷が大嫌い。雷鳴を聞くと、玄関のたたきに

入れていた犬が、廊下に飛び上がってきて、

くいーんというような声で鳴いた。

 震えてもいた。

 靴脱ぎのところの、縁の下に、頭隠して尻隠さずという

形で、頭をつっこんで怯えていたこともある。

 昨日の兎は、どうしていたのだろう?

兎は声がないから、兎のことなどわすれて、

夢うつつの世界を彷徨っていた。

 兎も犬も、多分雷は死ぬほどこわいかも。

多分、多分・・・

 今は元気に階段を上ったり下りたりしているが・・・。

 それにしても、私の住んでいる武庫川に近い

北部尼崎は、恐ろしい、大音声の雷がよく鳴るところである。

 私の育った徳島は、あまり雷がなかったように思う。

この地はあらくれ、かの地は、やさしい。

 

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2009年7月18日 (土)

『ビルマの竪琴』

自分も読んだことがなかったのに、

孫に読ませたらよかろうと思って

少年少女文庫みたいなもので、

「ビルマの竪琴」を買ってきて、

まず自分が読んだら、はまってしまった。

流行で騒がれていたときには、好奇心薄く、

なんでも、5、60年遅れで、ようやく流行が

入ってくる。その時はもう流行おくれ。

白黒の'56年版も、その後のカラー版も、見た。

両方とも、監督は市川昆だ。

白黒は、隊長、三国連太郎、水島、安井昌二。

カラーは、石坂浩二と中井貴一。

両方ともよかった。

隊員の合唱する文部省唱歌も懐かしい私たちの世代。

至る所に散らばって、鳥がついばむ日本兵の屍。

ビルマ戦線で、子供を亡くした親には、

見るに耐えない光景だと思う。

その屍を、丁寧に地中に埋め、一体一体を葬るために、

ビルマの僧侶となって、日本に帰らない決心をする水島。

最後に、竪琴で、「蛍の光」を奏でて去っていく。

肩に鸚鵡をのせて去っていく、その時の後ろ姿は、何とも言えない。

寂しさと神々しさを感じさせてくれる。

話は変って、徳島市の象徴的な存在である「眉山」、の、頂上に、ビルマのパゴダがある。

ビルマ戦線で亡くなった県出身の将兵を慰霊する平和記念塔パゴダ。

身近にビルマで戦った人がいたであろうに、一度も、その戦争の話は聞かなかった。

なぜだか分からない。うちが女系家族であったからかもしれない。

映画では仏教を重んじる国の、素朴なビルマ人が描かれているが、

今のミャンマーの人々は、どんな風に変ったのだろう。

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2009年7月15日 (水)

膝のことでわかったこと

 今日、丁度、前の治療から1週間経ったので医者に

診て貰いました。

 これといって、特別の治療法はないということが、

わかりました。まだ、水が溜っていたので、

水を抜き、変りに薬を膝に注射しました。

 この前と同じです。

薬も全くこの前と同じ。

 「こういうときは、膝を使わない方がいいのですか?

痛いけれど自転車に乗っていますが、タクシーに

した方がいいのですか?」

 「いや、自転車に乗っていいですよ。足を使わないと

筋肉が衰えるので」

(ほほうー、病気の足は使わない方がいいという

私の思いとちがうなぁ」

 「美術館に展覧会見に行くの、歩き回ったらいけないと

延ばしているのですけど、行ってもいいのでしょうか?」

 「いいですよ。使った方がいいです」

 歩こうと思えば、我慢したら歩けるという状態なので、

こんな質問も出るけど、痛すぎたら、そんな質問はない。

 そこを、見越して歩いてもいいといっているのだろうけど、

要は筋肉が衰えるのが一番いけないような答え。

 膝が痛くても筋肉を鍛える。腰が痛くても、筋肉を

鍛える。筋肉は大切。

 「骨はきれいから、治りますよ。リハビリに来た方がいいかも」

 「リハビリって何をするのですか?」

 「足を曲げたり」

 「自分で曲げるのですか」

 「いやそれは、ひとが、してくれます」

みたいなことを言われ、週に2回行くことにした。

 水を抜いたり、薬を入れたりは、れっきとした治療だけど、

要は日にち薬のような、気がしないでもない。

 いや、これは間違いだ。ほっといたら、今頃、

足がぶくぶくに腫れていたかも。

 「水を抜きますか?」って、

私が嫌といえば、やめとくみたいだったので、

 「水を抜いたら癖になるって言いますけど、

再々してもいいんですか?」

 「それは全く巷間の迷信ですよ。水があるから

抜くので、抜くから水が出てくるのとは違います。

さしさわりありませんよ。薬を入れても、こんなに水が

あったら、薄まって効果が少ないですよ」

 「そうですか。水を抜くのは良くないって、誰もが言うので、

信じていたのですけど、先生がそういうんですから、

抜いて下さい」

(実は、水をこの前抜いて、痛くなかったので、

あと1度でも2度でも、平気だったのです。

痛かったらやめたけど・・)

 前には、骨がきれいから、リハビリは要らないと言ったけど、

今日は骨はきれいだから治ると言ったのに、リハビリをすすめたのは、

ちと、矛盾と思ったけど、1週間であんまり治らなかったので、

そういうことになったのでしょう。

 今日は忙しかったので、リハビリは予約だけして帰りました。
 
 「どうして、水なんか溜ったのでしょう」

 「それは、使いすぎでしょう」

 使い過ぎなら、自転車に乗ってもいいし、

展覧会で歩き回ってもいいと、この時期に言うのは、

矛盾じゃないかと思うけど、いいらしいから、

してみてみましょう。

 2回目の膝に入れた薬が効いたのか、

治る時期に来ていたのか、夜から

大分、楽になりました。


 

 

 

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2009年7月14日 (火)

本の整理

 この暑いのに、亭主はせっせっと、日本の

作家の個人全集を、引っ張り出してきて、

処分のための目録を作っています。

 前に頼んだ古本屋は、10万円ほど、

買ってくれましたが、もう要らないと

断られました。

 日本書房も、今は国文学科が少ないので、

国文関係は売れないから、買っていない、

と、言って、関西の、ネットで商売しているところを、

2,3教えてくれました。

 亭主が、座敷に並べている全集を見ると、

保存状態が極度に悪く、箱にシミがついているのが

あるので、これは、売り物にはならないなぁと、

私は、納得しました。それでも、亭主は、めげずに、

奧から出してきては、並べ立て、中味の状態を

調べて、目録を作っています。

 阪神淡路大震災の時、本箱が全部倒れて、

その時、本を置くことの恐さに、一杯捨てました。

 それでも、また、十数年の間に、大分、増えました。

 研究者の死後、本の処理に困った話を沢山聞いたので、

余命と、読める本の数とを考え合わせて、

あっさりと、未練なく処分に励んでいるのだと、

見ている私の観察は、浅薄だろうか?

 私は、どちらかというと、未練たらしく、

何も捨てられないという性格です。

 亭主をみていると、あっさりかん、と、見えるので、

だいぶ、自分が亭主に対して考えていた性格と違うなぁと

思うのです。

 内心は身を切られるような思いがある?

それも、大袈裟かなぁ~~~。

 聞いてみてはおりません。

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2009年7月12日 (日)

「ドラマソロジー」拾遺Ⅱ

 この間の演劇の最後は、

シュスターコヴィッチ「ワルツ・ジャズ・2」

という音楽にのせられて、我々が、先に旅立った

若い女性(女優が演じる)に先導されて、

この世でない世界に連れ去られる、

というところで終るのだが、

一列に並んで連れ去られる姿が、

死者を見送る葬列のようでもあるという、

二面性をもっている。

 そこで、私は演じながら、最近見た映画の中の

葬列の場面を思い浮かべていた。

 「フラガール」の中の、炭坑落盤で死んだ父を

炭坑の人々で葬る場面。その葬列がとてもいい。

恐縮したように、少し身をかがめて、黒服を着て、

ひきしまった顔で歩いていく男の列。勿論女もいる。

葬列とは、さもありなんと思わせる演技だった。

 次に、おととい見た、1956年版の「ビルマの竪琴」

の中の、イギリス兵のお骨を葬る葬列。

それはハレーションを起こしそうな、まぶしい

白い色だったけれど、どちらも厳粛な気持ちに

させられる。

 「ビルマの竪琴」は未だ見ていなかったけれど、

「フラガール」の映画のように歩きたいと思いながら、

私はフィナーレを歩いたのだった。

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2009年7月11日 (土)

「ドラマソロジー」拾遺Ⅰ

横浜の長電話の婦人と亭主の会話。

「この間の、女房のでた演劇はよかった。

自分は、『額縁演劇』(これは造語かい?)しか、

見たことないけど、観客の席と、舞台がフラットで、

最後になると自分もその劇に参加している

ような気分になるのだ」

横浜のご婦人はこう言ったようだ。

「私はその種の演劇は見ている。

川俣さんの演劇で見た」

横浜のご婦人は、仏文学者故川俣晃自が、

大好きなのだ。

彼は戯曲も書いていたのだな。

(私は知らなかったけれど)

投げられたボールは必ず投げ返す、

彼女の意地の一端を垣間見た。

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2009年7月 8日 (水)

落ち目の肉体

昨日は、大変な日。

右膝が痛くなって、整形に行ったら、

膝に水が溜っていると言って、

水を抜きました。

骨はきれいだから、リハビリはしなくてもいい

ということでした。

水を排出する漢方と、痛み止め入り消炎剤と、胃薬を

朝晩飲んでいます。

一週間後、また、病院です。

昨日は歯医者にも行きました。

治しかけていた歯が、欠けてしまったので、

ブリッジが出来なくなり、部分入れ歯になるらしい。

歯をないがしろにしていたつけが、今出ています。

骨密度は、同年齢に比べると、99%。

若い人に比べると、71%。 まあまあ、容認できる数値ですとさ。

膝は昼はサポーターをつけ、夜はロキソニンテープ。

痛み止めと消炎のテープらしい。

老いが急速に押し寄せて来たのを

感じます。

足はぬくめておいた方がいいらしい。

夜中、冷房の部屋で、足を冷たくして、

素足でブログを頑張るのはやめよう。

老いには逆らえないのですよ、葉子さん。

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演劇「ドラマソロジー」の楽日

ああ、とうとう終ってしまいました。

楽日までは、風邪はひけない。

声が勝負なのだからって、やっぱ、

ちょっと気を使いました。

初日は夜だから、知り合いは誰も来ていませんでした。

日曜は、家族4人の他に、知り合いの方が8人来て下さいました。

大きな花束2つも頂いて、人生最大の晴れをしました。

席は満席。小さいホールだから、満席でも100人くらいかな?

でも、とても緊張です。

前日を超えなければと、思っていたのに、少しミスを

しました。前日は夜の公演だったので、その日に

リハーサルが出来たので、順序を憶えていました。

楽日はリハーサルはないので、ポカッと抜けそうに

なったところが、ありました。でも、すぐ気づいて

どうにか切り抜けました。

「おぼろ月夜」を、一人で歌ったのですが(バックミュージック的に)

実は、私は、音痴。ピアノが弾ける二人から、歌い出しの

「菜の花ばたけの」の「花の「は」」の音程が下がりすぎている

と指摘されて、休憩時間に特訓をうけたのですが、

それが気になって、「春風そよ吹く空をみれば」の歌詞を

忘れてしまったのです。なんか、勝手に歌詞を作って、

ごまかし、繰り返す次までの間に、真っ白の頭を

どうにか落ち着け、「春風を・・・」を、辛うじて

思い出しました。えらいことでした。

終ってロビーに行くと、

「スカート裏はいてたよ」って言う、二人の友がいて、

私はファッションや常識にうといところが

あるので、「ひゃー」って気が滅入って、

その後の友達への応答が、上の空状態。

楽屋に帰ってから確かめてみると、

私は間違っていなかったのでした。

「ヒロコ・ビス」のデザインは変っていて、

我々の年代にはなじまないのかなぁ。

楽日のトークも殆どの人が残っていて

嬉しかったです。

私が、私の人生を台本にした物を

朗読するとき、まともな朗読は、下手なので、

わざと、うらがえった声を使うことにしたのですけど、

孫が早速、「あんな声はおかしい。まともがいい」

とか、ゆうてきました。

下の孫は、「幽霊の踊り面白かった」って、

女優さんの脱力弛緩した歩き方を面白がりました。

亭主は、思っていたより、ずっとよかったと言いました。

さて、家族の批評を先に出して、失礼です。

 わがブログのコメンテーターの富予算は、

「お芝居というよりか、「詩」のような感さえありました。(中略)

演出家が26歳、出演者にとっては、孫のような存在。その人の目を通しての作品。

すべてのものがそうであるように、時間がいかに相互の理解を深めるのに必要なものであるか。(中略)

劇場に赴くというのは、やはりその時間を独り占めできるという利点があります。

最高の贅沢かもしれませんね。」と、

メールしてくださいました。

「詩」みたいって言われて、嬉しかった。

「スカート」の女史は、

「前衛アートというのかしら、

演出家の才能を感じました。

眉山さんの初舞台が彼のものだったこと

よかったね。

95歳のおばあさん、本物の役者みたい

だったよね」って、FAXくれました。

(初舞台とは、おかしいね。未だ、先があるみたい。一世一代

のことなのにね)

娘曰く、「相模さんは、大学で、映像と舞台を勉強した

だけあって、あれは大分、映像で舞台を補っているわね。

でも、才能あるんじゃない」とか。

まあよかった。

頂いた花を、たっぷり活けて、思い出にひたっています。


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2009年7月 4日 (土)

老人演劇・初日大成功

今日が老人演劇の初日でした。

とてもよくできた。

今までの中で、一番いいと、

演出家の相模友士郎さんに、

ほめられました。 

公演後にトークがあったのですが、

客席のほとんどの方がトークにも

残っていました。

気を抜かないで明日も頑張ろう!

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2009年6月29日 (月)

新人賞やら演劇やら

 5月から6月にかけて、3つも新人賞に応募したよ。

71歳にもなって、新人賞でもあるまい、のだけれど・・・

ネットで公募ガイド見ていたら、今まで書いたもので、

枚数が合致するものがあったので、少し手を入れて

応募してみたわけ。

 「銀の雫」と「銀の華」と、「さくらんぼ」

それが、おかしいんだけど、何故か「銀の華」は

45歳以上が、応募する資格があるわけ。

また、「さくらんぼ」は、女性のみ応募する資格が

あるわけ。

 笑っちゃうわ。こんな資格限定が6月末締切りで、

2つもあって、そんなのばかり、狙ったみたいに・・・・

 この間、ブログで読んで頂いた「やっかみの風」は

100枚くらいあったけど、「銀の華」が50枚だったから、

切って切って切りまくって50枚にしたわけ。

切ったらすっきりした。いらぬことばかり、

書いていたのだ。「夫に愛されなかったなんて、

ぐちぐち書くのは、前向きでなく、愚痴ばっかり

言っていて、すかん」という人がいたので、

その部分は全部カットした。匂わす程度にした。

息子のぐれる姿も、具体的な細部は書かず、

「ぐれていた」と、ひと言、書いただけ。

それで、100枚が半分の50枚になって、

応募企画にはまったわけ。

 「さくらんぼ」は、60枚から80枚。

「青いカンカン帽」が72枚だったので、

最後をすこし直して出したわけ。

 ご気楽、ご気楽。

 さて、話は変って、「老人演劇」もあと4回しか

練習できない。いよいよ迫ってきたわけ。

 インタビューの映像、前にも書いたけど、

折角窓際の綺麗なところをバックにして

撮って貰おうと構えていたのに、

生活感がある方がいいとか仰って、

きたないたんすの上に、ひな人形の箱が

乗っている暗い感じの部屋を背景にして、

うちが最低!

 まあ仕方ないか。

「老人演劇」が面白い面白いと出かけていたら、

「そんなんがしたかったん。それなら、もっと早く

したらよかったのに」と、娘が、ちょっと軽蔑の

眼差し。

「なに言ってんの。老人だから私みたいな

才能のない者も呼んでくれるけれど、

これが、40や50なら、誰も見向きもしてくれないわよ」

やーやー、老人もええ時もありますな。

 

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2009年6月27日 (土)

Oh,mistake!

 昨日、演劇の練習に行って、

初めて気づいた。

 95歳のご婦人は、台本を読むときは、

老眼鏡をかけていました。

 舞台上で、私は、後の席にいるので、

前が見えなかった。

 mistake です。

 その他にもブログで、mistake は沢山。

 前に、鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」のことを書いたけど、

その時の「三国ヶ嶽」の場所も間違っていた。

 場所くらい、原作を読めば分かるのに・・・

手抜きでした。あとから、読みました。

 場所は「越前国大野郡鹿見村琴弾谷」とちゃんと

原作に書いてありました。

「雲の峰を焼落した、三国ヶ嶽は火のようだ。

西は近江、北は加賀、幽かに美濃の山々峰々、

数万の松明を列ねたやうに、旱の(ひでり)の

災で取巻いた。」

というわけでした。

 また、いつぞやは、welcome を wellcome と書いているし、

ご教養のなさをひけらかす私のブログでした。

 mistake の綴りも mistake していたら、

それこそ!wobbly

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2009年6月26日 (金)

驚きの95歳

 今やっている「老人演劇」の中で、

大正3年(1914年)元旦生まれ、

寅年のご婦人がいます。

 95歳、にもかかわらず、週3回のレッスンを

一度も休みません。
 
 始まる時間の10分前には、部屋にきています。

この暑さでも、疲れたと言ったことがありません。

 老眼鏡もかけていないし、耳も良く聞こえます。

 今日は、私が何かをしてあげたお礼だとか言って、

半生のうどん3人前いりを2箱も持ってきてくれました。

何かして貰ったからと聞いたのに、何だったのか

私は聞いてすぐ忘れて思い出せないのです。

 重いのに、わざわざと恐縮しています。

私など、重いと、すぐに駅のコインロッカーに入れといて、

帰りに渡そうという横着を考えます。

 彼女と私は同じ駅、ご近所なので、電話下されば、

取りに行くのに、と、言いましたら、電話番号聞いてないから、

と言われました。そうなんです。まだ、電話番号いうのお互いに

忘れていました。

 舞台で、女優さんを、女6人で持ち上げて運んでいく

場面があるのですが、彼女もぎっくり腰になりますとか言わず

手伝うのです。さすがに私が、老女6人が女優さんを落としでも

したら、大変だからと、言いました。老人なんて、勿論自分を

含めてですけど、どんなハプニングが起るか分からない。

急に高血圧で倒れるかも知れないし。

 そこで、初めて、男性が「運ぶのを指揮するような」役をしていたのを、

入れ替えて、男性が運ぶのに加わり、95歳のかたが、指揮する

役に変りました。

 それで、私も、少し軽くなって安心安心。男の75歳は、まだ、

腕力がありますよね。81歳、82歳のご婦人も、何も文句言わなく、

力を抜かず運びます。自ら志願して集まってくる人は、

元気な方なのですよね。私は80歳になったら、「駄目、重い」

なんて、尻込みしそう。

 81歳、82歳の人は、戦争中、丁度女学校だった年齢なので、

戦争のことを、よく憶えています。記憶力抜群です。

 頭が下がります。

 阪急伊丹線の塚口駅は、電車とホームの間が、20㎝ぐらい?

あいていて、乗り降りがすごくこわいのです。まかり間違えば

足が、入ってしまうほど、あいているのです。

 95歳の方と帰るとき、ひやひやします。

ところが、当人は平気、ひょいとまたぎます。

 手をひかなければと思うでしょう。

彼女はそんなの嫌がるのですから・・・

 世には恐るべき人たちが一杯いるのですね。

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2009年6月21日 (日)

日々近づく

「老人演劇」の公演まで、あと2週間を切りました。

「当然のことながら、皆さんは俳優なのですから、

健康にも気をつけて下さい」と言われたら、

人混みに行って、新型インフルエンザを

もらってきたらどうしようと、急に萎縮して、

デパート、バーゲン歩きも、恐くなる始末。

意外と、あかんたれでした。

「服装は皆さんそれぞれよそ行き着を一度着てきて

下さい」といわれて、明日見せるのですけど、

急に思いついて、息子の結婚式に着ていった

ドレスを汗だくになって探し出して、着てみたら、

2001年のこと、いまでは、着てみると、

太りすぎて、体の線が丸出し。

家中メチャクチャのこととて、ドレスはあったが、

ショールがない。捨てるわけはないのだからと、

今から探します。

顔は明日、白塗りを試すのですけど、日焼けしているし、

白塗りならぬ、ネズミ色になりそう。

髪の毛は、今週中に染めてカットして、

4日と、5日は、ブローの予約かな。

行きつけの、パーマ屋さんもないし、

自分でも、どんな髪型が似合うかわからないし、

いきなり、わたしに似合う髪型お願いします、

でも、ないでしょうし、困った困った。

優柔不断。まだどこに予約しようと、決められない。

月日はどんどん経っていくのに。

病気はできない、洋服は自信がない、髪の毛は

どうしていいか分からない、難題山盛り。

きれいに見せようと言うのは大変なことだ。

うん、頑張ろう。

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2009年6月16日 (火)

私のこと

 私は昭和13年に生まれました。
 私の幼いときの記憶の中で、一番印象深いのは戦争のことです。
 私は、火の下をくぐって逃げたというような、恐ろしい体験はしていませんが、焼夷弾で家は焼け落ちました。7月3日から4日にかけての夜中の徳島の空襲によって、焼け出されたのです。ちょうど3日の夜、私は徳島市郊外の沖ノ洲の海岸にある別荘に、母と兄と妹の4人で避難しました。それは、母の虫の知らせというようなものに促されて、避難したのでした。おかげで、火の下を逃げまどうこともなく、死体を乗り越えて逃げるということもなく、無傷で助かったのでした。浜辺の松林の村の共同防空壕にはいって、そこで、徳島の市内が真っ赤に燃え上がっているのを、震えながら見たのでした。
 翌日、祖父母や、叔母たちの安否を、気づかいながら、家に帰りました。暑い夏の太陽が照りつける焼け跡に、祖父が、焼けた大きな庭石に腰掛けて茫然としていました。
 それから、吉野川を渡った向うにある親戚に、宿を求めて歩いていきました。
 私の父は私が3歳の時に肺結核で亡くなっていました。昭和16年のことです。
 で、祖父を中心に、祖母と3人の叔母と私達4人の、総勢9人が親戚を頼って行ったのです。そこには1、2日泊めて貰って、祖父は、自分の出里の、ずっと山奥にある美馬郡の家に家族を連れて行き、そこで座敷を改良して耳鼻咽喉科の診療を始めました。
 明治23年生まれの祖父は、戦災に遇ったとき55歳だったと思います。8人の家族を養いながら、財産を全て失って、1からやり直し、復興していったのは、大変なことだったと思います。戦災に遇ったとき2年生だった私は、苦労をしらず、田舎の庭の桃色や白や赤白の斑の山茶花の花を、拾っては遊んでいた記憶があります。
 祖父が医者であったおかげで、ひもじい思いはしませんでしたが、戦時中は甘いものはなく、どこかから羊羹を貰ったりすると、子供たちが取り囲んで、固唾を飲んで、羊羹を切り分けている包丁を凝視したものです。
 敗戦より1年経って、祖父は徳島市内の元の所に帰り、病院を建てました。
 祖父は、私が中学3年の時、脳梗塞で倒れました。それからは、祖母が田舎の家を売り、一時は、入院室を客室にしてホテルを経営したりしましたが、武士の商法みたいなものでうまくいかず、建物を改造して、何軒かの店として貸していました。
 そんな中でも、学問を重んじる家風があって、私は東京の大学に進ませてもらいました。私が大学に入るとすぐ、祖父は亡くなりました。昭和31年のことです。
 私は母が若くして未亡人になり、職業を持っていなかったので、実父の祖父にずっと経済的に頼っていた様子を見るにつけ、女でも職業を持たなければいけないと思っていたのです。それで、教員の資格をとり、4年ほど働きましたが、子供が生まれて、子育てと教師と、両立できなくなったのです。私の時は、確か産前産後併せて8週間しか、休暇がとれなかったと思います。その上に、0歳児を預かってくれるところは、ありませんでした。
 その上、私も古い考えだったのか、保育所に子供を預けるのが可哀相に思えたのでした。それで、ついに退職してしまいました。
 家事の嫌いな私は、主婦の生活はつらかった。自分の身を、「鯖の立ち腐れ」と、形容しました。生きたまま死んでいる。そんな気持ちでした。母親が「生きたまま死んでいる」と思いながら暮らしているとしたら、そんなそぶりは子供には見せなかったとしても、親の後ろ姿を見て育つ子供としては、何かの悪影響を受けていることでしょう。
 祖母や母に対しても、死に際に看病できたわけではないし、楽しい旅行に連れて行ってあげたこともないし、後悔することは一杯です。
 今度生まれ変わったら、ひたむきに生きるということをしてみたい。自分で自分が生きるに必要なだけの収入を稼ぎ出してみたい。
 そんなことを思う私です。

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2009年6月 7日 (日)

家のキー

 この間のインタビューにご近所の奥様に見に来てもらったあと、昨日初めて電話しましたところ、あの日(火曜日)は気持ちがよくて、ビールを飲んで寝て、夜中にトイレに起きたら、目が回っているので、常備薬を飲んだ。いつもは30分くらいでおさまると思って安心して寝たら、また、トイレで目が覚めてみると、まだ、目がまわっていたので、もう一度、薬を飲んだ。翌水曜、ヘルパーさんが昼頃来て、その時、少し膀胱炎ぎみかなと感じていたが、普通にお話しして帰ってもらった。その後、3時頃、手が震えだして止まらなくなったとのこと。恐ろしくて、誰かに来てもらおうと思っても、玄関まで鍵を開けに行くことも出来ない状態なので、辛うじて電話に辿りつき、ケーアーハウスなら、家の鍵を預けているので入って貰えると、そこに電話したとのこと。暫くして、ケアーマネージャーが来たときには安心もあってか、手の震えがおさまってきて、眠りに入ったらしい。もう大丈夫とみたのか、ケアーマネージャーは挨拶して帰った。さようならと自分が言ったのは憶えているらしい。
 翌木曜、近所の病院に行って調べて貰ったら、すごい膀胱炎だったらしい。夜中2回目、薬を飲んだとき、間違えて睡眠導入剤を飲んだのではないかと思って、薬の副作用かと聞いてみたら、膀胱炎でも手が震える症状が出ると言われたようだ。熱は出なかったようなのに。
 そして昨日私が電話をかけると、元気な声で出てきて、今日病院に行ったら、まだ、35%くらい菌が残っているので、抗生剤を飲み続けるようにと、薬が出されたということであった。
 手の震えは30分くらい続いていたらしい。
 ひとり暮らしは、そんな時には大変だ。鍵を開けに玄関までも行かれないと言うのだから。
 家人がいれば、落ちついて眠ったあとも、時々寝顔を見に行ったりして心配するのだけど・・・。
でも、子供がいなくてひとり暮らしを若いときから覚悟している彼女は、強い。
「さよなら」と挨拶したのは、憶えているとかいって、明るいのだ。ひとりが当たり前になっているのだろう。
 近くにいても、私などたまたまその時外出しているかもしれないし、当てにならない。彼女が公の力を借りてひとり暮らしをしようと考えたのは、賢明な選択であったと思う。

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2009年6月 5日 (金)

ネットでレンタル・DVD

 亭主が、「マジソン郡の橋」のDVDを借りてきて、

よほど感動したらしく、5回も見てしまったという。

私は、その映画も見たし、原作も読んだけれど、

そんなに感動しなかった。

 というのは、「待つ恋」「秘めた恋」は、うんざりだし、

恋なら、現実に日々に満たされたい。

 というわけで、亭主の方が、ロマンチシストなのかな?

それはさておき、その続きで、亭主はクリント・

イーストウッドの作品をもっと見たくなったらしく、

「父親たちの星条旗」を探していた。

近くのレンタルの店にはないというので、

前からテレビのコマーシャルを見て、やってみたい、

と思っていた「TSUTAYAでネットでレンタル」の無料

お試しコースに申し込んだ。

 このシステムはなかなか業者にとって、損しないように

考えられている。貸し出し期間の期限なしだけれど、

返却しないと、次の2枚が送られて来ないので、

業者は2枚だけとられても、後は損なしだ。

 月8枚の定額コースに申し込んだので、早く返さないと

2枚ぽっきりでは元が取れない。と言うわけで、返す

ことになる。

 「父親たちの星条旗」は、一度みただけで、「もういい、

返してくれ」。私も、一度でも充分すぎる。

 亭主は、82歳でも恋愛に憧れているのかな?

「星条旗」ぽい。「マジソン郡」well come! well come!

私は、映画館に行くと、途中で寝てしまうので、

DVDの方がbetter.話題からは大分遅れるけれど。

 私は月8枚も映画見ないので、孫たちに、見たい

ものあるかい?

 まあ、その答え。私ならそんなどぎついものと、

びっくりするようなポスターの絵。内容は知らない

けれど。ああこれは、余計なことと反省。

 勉強の邪魔だ。コースを変えよう。

月1,2枚でも見ない私。新しいものに好奇心はやめ、

レンタルビデオ店に、足を運んで借りに行くのが

bestとわかる。


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2009年6月 4日 (木)

箕面の滝

Minootaki


Monkey2


昨日、箕面の滝にハイキングしました。

巷の友と、巷はさまよわず、山の中へ。

箕面に住んでいるもうひとりの友と、3人で。

箕面駅から、2、8㎞。

舗装されたなだらかな山道。

階段や、足を高く上げて登る所は全然無いので、

散歩感覚で、行き着きました。

それでも、鬱蒼と繁った木々や、鳥の鳴き声が

聞こえて、オゾンを一杯含んだ空気を吸っている

という気持ち良さ。

昔は観光客にいたずらする猿が居たけれど、

今は山に追い返したから、と、私が言っていると、

どっこい、猿が、滝の脇の岩に座っていました。

右目が小さくなっている猿は、大人しく、

疲れたように、人間を見ている。

年老いたか、病気の猿かなと、可哀相になりました。

そこで、少しのま、滝を眺めて、箕面駅前に、

ランチを予約してくれていたので、引っ返しました。

往復、5,6㎞は歩いたことになります。

ランチでおしゃべりをして、しゃべり足りなく、

箕面の友のマンションに行って、3人だけで、

上等のソファーに座り、6時まで、しゃべっていたのでした。

女友達はいいなぁ。いくらしゃべっても、しゃべり足りない。

今度は、勝尾寺までバスで行って、そこから下る道を

案内してくれることになりました。

少しずつ、足を鍛えていきます。

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2009年6月 3日 (水)

昨日はインタビュー

 昨日はついに、「エルダー世代と演劇」 を プロデュースしている、相模友士郎さんと、カメラマンの遠藤さんが我が家に来ました。もう、私は4時から目が覚めて、家の片づけ。兎の糞の始末、トイレの掃除、庭の鉢植を、玄関に持ち込んで飾ってみる。バラの花を花瓶に活ける。カーテンレールに一杯掛かっている主人の洋服を2階に放りあげる。格好つけるために、獅子奮迅。
 それで、私はここに座って、と、バックのいいところに、椅子を置いていたのに、生活感のあるバックがいいとか言って、反対側の、古ぼけたたんすや、たんすのうえにひな人形の箱を積んである方をバックにして撮ったのでした。
 近所のひとり暮らしのご婦人、娘、主人もダンスに出かけるまで少し居て、ギャラリーが賑やか。インタビューが始まり、相模さんの質問に私が答える。緊張しているのか、面白い答え方が出来ない。「何々ですか」と聞かれたら、「はい」で答えが終る式の、盛り上がりのない返答。相模さんと遠藤さんが帰ったあとで、ご婦人と娘に、面白くないと言われました。反省。インタビューに答えるにも、「気働き」(新潟の方言?)が要るのですね。相手が何を聞き出そうとしているか、くるくると頭をまわして、聞かれた以上の答えを言うのが、面白いインタビューになるのではないかしら。本当に鈍感な私を自覚しました。娘曰く、「オーバーなくらいに話を誇張しなくっちゃ」ですって。
 それで、二人が帰ったあとに、ご婦人、娘、が、口々に、若い男の子はいいねえと言うのでした。主人も、出かける前に「君たちは若くて気持ちがいいなあ」と声を掛けていました。82歳のご婦人も、「若い女の子はざらにいるけど、若い男の子はいないねぇ」と、いうのですよ。「ざらにいる」という表現がおかしくて、笑ってしまいました。主人も、若い女の子は、毎日喫茶店で一杯見るとかいうしまつ。もう、二人の若い(26歳くらい)男の子は、大受けの、大人気でした。
 老人社会の現状です。

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2009年5月31日 (日)

ちらしが出来ました

Drama


Drama2


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2009年5月26日 (火)

写真と口紅

この前からちょくちょく書いている「老人の話から

演劇をつくる」会の、ちらしが出来て、見せてもら

いました。不意打ちで写真を撮られることがあって、

髪はサンバラ、化粧はしてないというので、慌てて

トイレに(化粧室に)飛び込んで、口紅だけ強く引く。

以前に、化粧気のない顔に、口紅を真っ赤につけて

笑ったら、とても華やかな写真が出来て、内心気に入って

いたものですから、まあ、そうしました。

ところが、わら半紙に、白黒の写真のちらし。

ちらしは、なるべく、汚く見せるというのが、主義かしらん。

まあ、白黒なら、まさか、人を食って、血を一杯

つけた唇に見えるなんて思いもしないでしょう。

それが、黒だのに、私の唇は、たった今、人を食い終えた

という血の色に見えるのです。

あらあら不思議、あら、不思議。

華やかな顔に写ろうとして、恐ろしい顔になりました。

人食い鬼。人の心の中には、鬼が住んでいるという

ことを表した、芸術的写真でしょうか?

ちらしが刷り上がってきたら、写真を撮って、

ブログに乗せてみます。


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2009年5月24日 (日)

古本の価値

以前は、国文関係の古本でも、

高く値の付くものもあったらしいけど、

今は、古本屋にいっても、「売れないから」と、

どこも、買ってくれない。

ある研究者の死後に2万冊の本が残り、

遺族が古本屋に頼んだところ、

200万円つけたら、引き取るといわれたという。

国文学者でなく、何か、農業関係の本だったらしいけど、

まさかと思ったものである。又聞きなので、しかとした

ことは言えないけれど。

それを聞いたせいもあるし、主人も82歳、

もう、研究できる分野も、生きられる時間を

考えると、わずかしかないと思ったのか、

蔵書を処分し始めた。

梅田かっぱ横町の古本屋街で、軒並みきいたけれど、

「今は国文学の本は売れないから買えない」と

どこでも断られたらしい。

それで、東京の古本屋に掛け合ったけれど、

しぶるのは、そこでも同じ。でも、まあ、安くても

送ってみて下さいということで、

第1回目は、ダンボール4箱。

作家の個人全集も入っている。

なんでも、読むときにシャープペンシルで

線を引く癖があって、本の価値は下がってしまう。

それでも、4万円の値が付いた。

第2回目。ダンボール4箱。これは1万円の値。

鴎外なんてもう誰も読まないらしい。

ろれで、鴎外全集なんて意味ないらしい。

第3回目、ダンボール4箱、査定中。

第4回目、ダンボール4箱、発送待ち。

主人が、ぼそっと。

「もう、古本に対する考えを、変えないといけないな」。

変えないとと考えて、実行している頭の柔軟性はえらいと思う。

私などは、中西礼の兄みたいに、

「鰊よ、もう一度」と、古い夢に固執して

人生を誤っていく方だ。

俊敏に時代を読み、頭を切り替えて行くよう努力し、

破滅への道を辿らないようにしよう。

とはいうものの、時代の流れを感得するのは

難しい。

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2009年5月20日 (水)

新型インフルエンザ

 東より西の方がやられていますね。

ずばり、うちは兵庫県だから、孫たちは

1週間休校です。先生が、宿題を持って

訪ねてきて下さいました。

 公民館での活動も1週間おやすみで、亭主は

ダンスができなくて、退屈の様子です。

 私も、伊丹市のアイホール主催の高齢者

演劇に参加しているのですが、ここも1週間お休み。

ずばり今日(19日)は、演劇に使う映像を、

若い演出家の相模友士郎さんと若いカメラマンの遠藤さんが、

うちに撮りに来るところだったのです。

それも、勿論延期です。

家の整頓とか、騒いでいたのも、そのことのためでしたhappy01

(大いなる泥縄)

 まあうちは、ここ5年以上、誰もお客さんが来たことがない。

K,K,Sとは、汚い、臭い、狭いで、とても、人を呼べるような

状態でなかったのでした。兎のキャンディがやってきて、4年半。

私の老後も台無しだワイと、悩むばかり。

 演劇のための映像撮りも、「家は×よ。交通公演で撮って下さいね」

って、言っていたのだけど、参加者7人のうち、そんなこというの

私だけ。多勢に無勢は勝てなくて、遂に、落城。

おかげで、ちょっとは片づいてよかったみたい。

足の踏み場もない状態で、お葬式なんてことに

なったら、困るものね。そんなことも視野にはいる

年齢になりました。

 また、交通公園で撮っていたら、ロケかって、

勘違いして、人だかりができるかも~~~。

それも、恥ずかしいよね。この顔で。

 演劇といっても、台本があって話の筋があるものじゃなくて、

過去の思い出を、単語ひとつでぽつりと言ったり、

ちょっと長い言葉で語ったり、お互いで会話したりと

いうものです。そうでないと、平均年齢78歳のわれわれには、

できません。既成の台詞なんて覚えられないですから。

 95歳のご婦人はじめ、82歳、81歳、みんな記憶力抜群です。

下から2番目の私は、たじたじ。負けています。

 男性はお一人。この方は、若いときから演劇が好きで、

今は古川ロッパの日記を、夢中で読んでいられるとか。

 この演劇のワークショップに志願して参加して、学ぶところが

いっぱいありました。7月4日の夜と、5日の昼が公演。

あがらないように訓練しなければ・・・。

 家庭で、インタビューに答えながら映像をとるという

今日(いやもう12時過ぎたから昨日)の行事が

延期になってよかった点は、まだ、完全な

設営ができていないと言うことです。

 まだ、隅の方にある本の山、衣類の山を、

2階に放りあげましょう。

 2階はどうなる???


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2009年5月16日 (土)

考えなし

 家の中が、小物いっぱいでほこりはかぶるし、

整理整頓ができないので、狭い部屋に家具を

買うことにした。宣伝に乗せられやすいたちなので、

前から、「北欧の洒落たデザイン」という宣伝文句に

憧れをつのらせていて、「イケア」に行って見たかった。

おととい、三宮で時間が余ったので、ポートライナーで、

ぶらり。スウェーデンの家具という言葉に夢が膨らむ。

けど、私はインテリアなんて、全然わからない。

自分の趣味というのも、持っていない。

だから、なにぃ、これが北欧調?なんていう程度の反応。

ま、安そうだから買おうか、くらいの気持ちで、選びぃ・・・

CDラック、テレビ台、収納三段引き出しの3点を買った。

ともかく自分で何でもしなければならない、ということを

知らなかった。レジの所に持っていく商品を、自分で

倉庫みたいな棚からカートに載せなければならない。

それが、CDラックなんて、2メートルもある木だから、

重くて取り出せない。しまった、もうやめようかと

思ったけれど、若い女子店員がいたので、

「あのう、これ、重くて、一人で載せられないんですけど。

年寄りですから~~」

「お手伝いいたします」

それで、カートには載せてくれました。

大きいカートを自分で押す。

これくらいはまだ出来ますよ。

送料。重さによりけり。で。4900円。

まあこれも仕方ないか。

組み立て。家に帰ってから、提携している

会社に電話できいたら、なんと、全部で

会員割引10%を引いても、15000円。

娘に言うと、「ああいうところは、若いファミリーが

行くところよ。若いお父さんが全部するのよ」とか。

若ぶって、ちょい馬鹿かなぁ。私は。

3点で2万円は安いかも、だけど、送料、組み立て料で

2万円では、4万円だ。

昔は、旦那が工作好きとかいって、組み立ての頭も

よく働いて、私は助手でよかったけど、82歳の今は

私が率先しなければならない。ぶきっちょな私は、

この前、旦那と本箱を組み立てて、うんざりだったのに・・。

でも、15000円はおしい。明日、娘と小4の男の子を呼んで、

旦那も巻き込んで組み立てればなんとかなるかなぁ???

獅子奮迅! キャスター付だぞぉ!

結果は月曜にでも書きましょうhappy01

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2009年5月15日 (金)

カラオケ

作曲家三木たかしが亡くなって、

友人と、この間、梅田のカラオケに

行った時のことを、思い出しました。

私が歌って、「眉山女史がが可愛い女に

変身した」と評されたのが、「つぐない」を

歌った時でした。テレサ・テンの歌は

三木たかしが作曲しているのですね。

知らずに歌っていました。

彼は一杯人の口に上りやすい曲を作っているのですね。

ご冥福をお祈り致します。

「眉山女史」と言われたのにはびっくりでした。

家では、娘から、「髪の毛ぐちゃぐちゃのおばさん」

と言われているので、35年以上つき合っている

いわば、お互い真相をよく知った友人の目に

私が「女史」に見えるのかなって?

これは、口には出さねど、仰天仰天。

「女史」といえば、外見からして、

すきっと女史らしくなくっちゃいけないでしょう。

眼鏡かけているからって、女史でもあるまいし。

言ってることも、理知的でなく

ぐうたらぐうたら世間話ばかりだし・・・。

どこが女史なんだろうって。

ところで、文学学校で知り合った3人。

遊びも知らず、いつも、俳句したり、

書いたものの批評をしたりばっかりだったのに、

突然カラオケに行こうと言い出して

茶屋町のシダックスに行きましたよ。

一人の人が、夕方5時になると、

雨戸を全部しめて、ご近所に聞こえないようにし、

毎晩、カラオケの稽古をしているというので、

されば、と行ったのでした。

この人が、歌が歌えるなんて全然知らないと

いうのも、35年もつき合っていて失礼な話でした。

まあ行ってみると、なるほど、毎晩練習するだけあって、

うまいし何でも歌えるし、びっくりでした。

彼女の歌った歌。

「二人でお酒を」

「メランコリー」「淋しがりや」以上梓みちよ

「LA LA LA」 研ナオコ

「ろくでなし」越路吹雪

「ひとり上手」「時代」中島みゆき

「シルエット・ロマンス」大橋純子 等々。

私は「白い色は恋人の色」「栄光の架け橋」(ゆず)

「なごり雪」(いるか)「異邦人」

「つぐない」「ラストダンスは私に」

「千の風になって」「翼を下さい」

で、私は、練習不足で、途中歌えないところが

一杯。もっと練習してきてね、とか、注文を受けて。

もうひとりの人は聞き役オンリィ。

で、二人が私に合う曲を選定してくれました。

はい!「つぐない」「いい日旅立ち」「瀬戸の花嫁」

「川の流れのように」

高橋真梨子の「for you」はどうかなぁ・・・って。

あなたまかせの自分だから「じゃ、それらを

練習するね」とか、迎合して。それで、ちっとも

練習しなくて、文ばかり先に書いてしまう。

うーん、自分は、人前で注目を浴びたいだけで

歌好きではないのだなぁと、今更自分の性格を

認識する。歌好きなら、練習とか言わずに歌って

しまっているでしょう。友みたいに、戸を閉め切って。

カラオケに行ったせいではないけれども、

この頃、心を開きあえるいい友を持ったと、

友歴35年で、思うようになりました。

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2009年5月12日 (火)

放浪記・2000回

Fumoko


Fumikocafe


F


Fumikocoffe


5月9日、森光子の放浪記・2000回、及び89歳の誕生日と騒がれていたので、去年11月尾道に行ったときの写真をアップいたします。まず、林芙美子の銅像、駅の近くにありました。小振りで可愛い像です。駅の近くを、ぶらっと歩いていたら、喫茶「芙美子」というのがありまして、芙美子の住んでいた家を公開、どなたでもどうぞとあるので、恐る恐る一人で入っていきました。喫茶店から、奥のガラス戸を開けて小さい庭を通って、すぐ、小さい家がありました。元々は、お米やさんかなんかで、土間を通って奧に、芙美子の借りていた家があったようです。喫茶店の部分は、前のお米屋の土間の所に当たるようです。2階建てで、1階一間、2階一間の小さい家でした。苦労しただろうなということが忍ばれるような借家でした。芙美子の作品にちなんだ名のコーヒーを売っていましたので、お土産に買ってきました。

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2009年5月 9日 (土)

形見分け?

文芸賞に応募する小説を3日で30枚書き上げ

ましたが、その題材は、ご近所の奥様の日常です。

その奥様の心情については、いつも聞いているし、

何よりも奥様自身がつけている、日記が役立ちます。

この場合、小説はモデルがあるので、モデルのいやな

書き方では、トラブルが起りますから、出来たものを持って行って、

目を通してもらって、いろいろ注文を受けて、書き直し

ました。書き直したのを、再び今日持っていきました。

今日も、付け加えるべき語句などの注文がありました。

話の大筋に関わることではない枝葉末節のことが今日は

多かったのですが、中でも面白かったのは、奥様の

夢中になっている、パソコンゲーム、「スパイダーズソリティア」

に関しまして、「中級」というのを、付け加えて欲しいということでした。

これは、奥様のプライド。中級とついてなければ、そんな簡単な

ゲームなら、誰にでも出来ると思われるということで、そこに

プライドをかけたのでした。

「確かちゃんと中級と書いてあるはず、見に行こう」って

2階まで上がって、二人でパソコンのぞいて、私が「どうやってやるの」

とかいって、奥様が教えて、私が習って、推敲をそっちのけにゲームに、

熱中する二人のお馬鹿さ。

途中で、中途と気づいて階下におり、読み合わせを続けました。

さて、推敲終えて、奥様が、手が震えるようになって、字が書きにくいから、

私に、宝石類の目録を、きれいに清書して欲しいと言い、

メモを書き写しているときに、「まだまだいっぱいあって、

書ききれていない」と奥様が仰り、たんすから、ネックレスや

イヤリングやブローチを出してきました。ネックレスやイヤリングは

もうしないから、いるのがあったら持っていって、とかいいだして、

目録作りそっちのけで、品定めをする二人。

これもいらない、あれもいらない、貰ってくれるとうれしい。

使い物にならないのは、捨ててちょうだい。

こんな具合で、仕事は一向先に進まず、です。

イヤリング、ネックレス、指輪、ブローチ、どれも身につけない

自然児といえば聞こえがいいが、およそ、人間らしからぬ

動物的な私が、一杯貰ってきたのでした。

「これから、外出するときは、取っ替え、ひっかえ、つけていくわ。

凡そ私の趣味から遠い、装身具。友は、葉子さん、最近、

どうなってるのっ、????って感じでしょうね」

とか、楽しくおしゃべりして、5時間近く奥様の家にいて、

検閲?済みの原稿を持って、ご機嫌で帰って来たのでした。

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2009年5月 8日 (金)

大笑い

今日は大笑い。

95歳のお元気な知人と会合から

帰る途中。

顔の話になりまして、私が、

「こんなめりはりのない顔で、舞台の上で

生い立ちなどしゃべっても、誰も喜ばないと

思うから、ハート型の赤い縁のおもちゃの

サングラスをかけようと思う」というと、

「そんなこと言ったら、私はどうするの」と

いうので、

「あなたは、鼻筋が通っていて美人よ」

というと、

「この頃、鼻の先が垂れてきて、魔女みたいに

なるから、鼻を指で突き上げると、今度は

鼻の穴が見えておかしい」というので、

「私は、何もしなくてそれだわ」と言うと、

「私はこの目尻の縦皺が嫌で、引き上げたらいいかと、

今日セロテープで、ここを貼ってみたけど、

おかしいんだよね。

セロテープは光るんだよね」

と、真面目に言うので、私は大笑い。

「家でそんなことしているの」って、

爆笑していうと、

「はあ、娘も勤めに行って誰もいないからね。

娘がいたら、お母さんおかしくなったって言うわ」

とか言うので、またまた大笑い。

「年をとると駄目よね。まぶたも垂れ下がってきて、

私、友達に、『そんな細い目で、見えてるの』って言われたわ」

と、私がいうと、

「はあ、私も友達に言われたことあるので、ほっといて、

見えてるんじゃって言ってやった」というので、

この、やり返す気力があるから、95歳まで、杖もいらず、

前期高齢者そこのけで、早く歩けるのだなって、

感心した次第。

何か言っても、ちゃんとした反応が返ってくるし、

笑うし、すごい人がいるものだと、感心しています。

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2009年5月 4日 (月)

3日で30枚

連休返上で、3日で30枚の小説を書きました。

「NHK銀の雫文芸賞」というのに、応募しようと

思いまして。

「高齢社会をどう生きるか?」っていうようなことが、

テーマの中に入っていたので、まぎれもなく

高齢者の私の出番かな?と、思って。(安易happy01

5月11日(月)消印有効です。

アマチュア小説家のみなさん、

まだ、間に合います。

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2009年4月30日 (木)

至福の時

 4月25日(土)、夕刻より、京都上賀茂神社で行われ

た秋川雅史のコンサートに行きました。世界遺産になっ

ているだけあって、なかなかの厳かさです。

Akkiが歌ったのは、細殿でです。わたし達は野外で、折

たたみ椅子の座席に着いて。

 その日は朝から雨。piccoloさんという方がメールで

「百均で、フード付の透明のレインコートを、買っていらっ

しゃい」と。

(娘に言ったら、年寄りのくせに、そんな若い人の真似

してたら体壊すよ。と、言われましたよ)

それはともかく、ビニールのカッパを持って、出かけ

ました。

 6時半から開始。6時頃から、なんと、雨が上がってき

たのです。

 細殿の両サイドの神社の杜、どんよりした空、それらが

日没とともに、徐々に暗く沈んでいくのを見るのは、何とも

言えないいい気分でした。自然と一体になったような。

 暗くなって細い雨が降ってきて、雨の落ちる様子がライト

に照らされて光っている。時々、小さな蝶のようなものが

飛んでいるのが、光って見える。

 Akkiの熱唱。澄んだ声。

 その上に仕組まれたAkkiからの、サプライズ。

なんと、Akkiの国立音大の同期のテノール歌手3人が

舞台に上がって、一緒に歌ってくれたのです。

みな、昭和42年うまれ。

柿迫秀、滝賢一郎。Akki。三大テノール。

三人の男性による、声響き渡る舞台。

折から、雨は止み、こんな幸福はあろうかと、うっとり

している私でした。

息子とおない年の三人の若者の共演。

それをみる贅沢。

40代、50代の女性が、熱烈な追っかけをしている。

わかるような気がします。

追っかけの方々と知り合いにもなって、幸せな夕べ

でした。

家に帰り着いたら、11時過ぎ。

大垣から、車で来ている人の方が、11時前に帰り着い

たらしく、あれっと思いました。

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2009年4月28日 (火)

少々ほめられた?

 私の「やっかみの風」、神戸新聞の同人誌評に、とり

あげられました。同人誌評を書いているのは、竹内

和夫氏です。('09,4,25 夕刊)

 書き写してみます。

「夫と死別し、宝物のように育てた息子に裏切られた

失望と疎外感、子供っぽい息子の嫁に対する嫉妬など、

愛情に報われない半生を送った女性の悲哀感が細

やかに描かれている。子離れできない葛藤の細部が

やや型通りで、最後にようやく別居を決心する。4ヵ月

かけて書いたブログ小説だそうだが、作品としてまとめ

て発表するには、一層の磨きが欲しい。」

Oh,my god ! 褒め言葉、どこにもおへん。

いやいや、ござるよ!「細やかに描かれている」。

「ノープロブレム、ノープロブレム。この世界では、載った

というだけで、得意なんよ」。

がたがた言わずに、さあもう寝まひょ。ねむーい。

 

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2009年4月23日 (木)

合評会での批判

 合評会記録

 自作『やっかみの風』に関して

批判点

 ① 典子は60年も生きてきて、夫に満足できなかっ

たからと言って、息子息子と息子にしか眼が向かない

と言うことがあり得るだろうか。子供を育てる過程では

PTAの会合にも出るだろうし、もっと、社会的に視野

が広がっていくはずである。

 ② 息子の洗濯物を抱えて、いとおしいだの、宝物

だの思うことがあり得るか。赤ちゃんのものなら、とも

かく、成人間近の息子を掴まえて、そんなことを思う

母親にリアリティが感じられない。

 ③ たった1度しか、典子夫婦は、しなかった?

そんなことは、有り得ない。その場合、夫の方は、

どうなっていたのか。納得できない。納得出来る

ように夫の側のことも書かなければならない。

 ④ 典子という女は、読者である自分の胸を打っ

てくるものがない。何故なら、典子は自分に対す

る誇りがない。

 典子は、社会をどうみているのか、自分

の生き方に悶々としなかったか。その辺を書いて

貰わないと、読み手である自分の気持ちを

寄り添わすことが出来ない。

 ⑤ 典子が一人の人として、像を結んでこない。

 ⑥ 自分の生活がどんどん侵されていくのに

毅然とした態度をとれない姿に、いらいらする。

 ⑦ 今時、老後の面倒を見て貰いたいから、と、

自分を引いていくような人はいない。

 ⑧ 若夫婦の姿は、現代の若者なら、こういう

のもあると、理解できる。それに反して、典子は

どんな人間なのか、一人の人間として、姿が現

れてこない。
                      以上

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2009年4月22日 (水)

合評会

 今日は、わたし達の同人誌の合評会で、神戸三宮まで、出かけます。ブログで書いた「やっかみの風」を、同人誌に出したのです。侃々諤々。非難囂々。めちゃくちゃぺちゃんこに叩かれたら、どうしよう。歯にきぬ着せぬ荒武者7人。おっそろしいね。
 明日、結果を書きます。

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2009年4月19日 (日)

『市岡裕子ゴスペルをうたう』

昨日、友人に連れられて、宝塚のベガホールでゴスペルを聞いてきました。市岡裕子さんというのは、吉本新喜劇元看板役者、故・岡八朗のお嬢さんということです。歌の間に、ご自分の人生の苦難に満ちた半生が語られました。幼少時の何不自由のない生活から転じて、高校時の母上の自殺。加えて父岡八朗のアルコール依存症。13歳で母の自殺に遭った弟のアルコールによる肝硬変。そして若死。涙なしでは聞かれないお話でした。

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2009年4月 9日 (木)

望月と花

Photo


 昨日のことだけど、亭主が、公園のぼってりと美しい桜の花を見、夜空にはそれはそれは光のきれいな満月を見て、「西行の世界だ」と言って帰ってきました。

 なんたる不覚。

  西行の歌

 ねがはくは 花のしたにて 春死なむ
      そのきさらぎの もちづきのころ

 この歌はよく知っているのに、実景として受け取っていなかった私。
 観念的にしか、理解していなかった私。

 亭主にしてやられた。とは、言葉が悪いけど、感覚の鋭さでは、負けている。

 駅から家への帰路の途中に、桜の美しい公園がある。お墓に接している公園。

 その公園の夜桜は、街灯に照らされて、本当に夜は美しいのだ。

 あつくるしいほど、美しい。それが美しいとはわかるのだが、亭主の言いに

 はっとする。「交通公園の桜は、年取りすぎて、花がまばらだけど、あの公園の桜は

 ぼってっと玉(房)になって咲いている」

 そうなんだ、そう言われてみるとそうなんだ。

 違いがわかった。言われて初めて。

 今夜こそが満月ではないかと、その公園は遠いので、

 近くの公園に写真をとりに行った。

 近くの高校の生徒らしい男子が4,5人たむろしていたので、

 この間の、亭主のかつあげにあったことを思って、恐ろしくて、

 中に入れず、外の木陰に隠れて写真をとったら、フラッシュが光った。

 「カメラのフラッシュだ」という声が聞こえたので、

 彼らを隠し撮りしていたと思われて追いかけられたらと

 思って恐くなり、自転車に飛び乗って帰ってきた。

 追い来はしなかったけど。

 小心者の面目躍如。公園にはよう入らなかった。

 この公園の桜は、花がまばらの方です。

 爛漫と咲き誇る公園のわきは、毎日ぐらい、夜、通って帰ってくるのだけれど、

 西行の歌を、思いつかなかった。思いついていたら、昨日の帰りに撮ったのに。

 なんか私は自然の美しさに感動する心が薄いなあと思います。

 
         

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2009年4月 8日 (水)

歯を抜いた

 今日は、右下奥の、親知らずと、その前の臼歯と2本抜きました。一つの歯を、二つに割って、合計4つ抜くわけですが、3つは早く抜けたけど、最後の一つが、なかなか抜けなくて、悪戦苦闘。麻酔とかをいれて、1時間かかりました。あと、痛みはたいしたことなく、うずくかなという程度なので、痛み止めも飲まずいけています。歯がぼろぼろになっていたので、引っかけて抜こうとしても、歯がぼろぼろと崩れてしまうので、抜きにくかったらしい。なんとか抜けて下さいと、治療台に寝そべって、神頼みをしていました。まあ、なんとか抜けました。それで、歯茎を糸で縫って括って・・・。71歳、苦労でんな。あと1年ぐらいで死ぬと解っていたら、ほっとくのですけど、人の命、いつまで生きるか解らないので、やっかいです。
 いやはや、超痛がりの私でも、麻酔の発達のお陰で、全然痛くなかったです。もし、私より恐がりの人がいましたら、その人に言ってあげます。痛くないですよ!って。

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2009年4月 6日 (月)

神戸女学院大学・見学

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Photo

私、風邪を引いたり、がたがたしているうちに、またもや、ブログに穴をあけました。

でも、先週の金曜日に、美術専攻の友人に誘われて、大丸友の会の催し、「ヴォーリズ」の建築物、神戸女学院

を見学する会に参加しました。その顛末は、ゆっくりと書きます。なにせ、今から、又、お出かけです。


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2009年3月27日 (金)

幼時の記憶・2

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 これも、小学1年か2年のこと、遠足のことを「行軍」と言わされました。学校で教えられるまま、「明日遠足?」って、近所のお姉さんに聞かれたとき、「遠足でなく行軍よ」というと、お姉さんはびっくりして「この頃は遠足を行軍というの?」って、変な顔をしました。変な顔をしたお姉さんに私がびっくりしたのを覚えています。
 また、私の学年には、丑年と寅年がいました。私は寅年で、ある日、担任の先生が、ほっそりした女の人を連れてきて(それは、別のクラスの先生だったのかも知れません)「この人の弟さんが戦場に行くので、千人針を、してあげて下さい」と、特に寅年の子に期待をかけているように言うのでした。玉結びもままならない幼い生徒にも頼みに来るその女の人は、悲しそうで不安そうで、黙って教室の入り口に立っていました。不器用な私は、先生が言うように、もう一度糸を回してと言われれば言われるままに下手な玉結びを作ったのを覚えています。その女の人の悲しげな立ち姿が今でも、目に浮かびます。

写真(絢爛と花もたわわに咲き誇るミモザ・ニースのカーニバルでは、娘達がミモザの枝を車の上から投げれば、それを受け取った者には、幸運が訪れるそうな。今の私に一番欲しい物は、幸運だ。嗚呼)

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2009年3月25日 (水)

幼時の記憶

 私は昭和13年生まれ、71歳です。
 私の記憶の中で一番古いものは小学校1年生の時のことです。
いや、2年生だったかも知れないのですが、学校で、朝礼の時、3,4年生ぐらいの男の子が、どういう理由からかは知らないのですが朝礼台の前に立たされて、先生にびんたを食らったときのことです。その時、男の子は吹っ飛びました。よほど強い力で先生が殴ったのでしょう。恐ろしいと思って見ていました。
 その次の記憶は、空襲警報が出たとき、学校から家にみんな帰されたのでしょうか、防空頭巾を被って帰っている途中、母に会い、「今朝、もっと地味な洋服を着ていき、と、言ったのに、聞かずにそんな派手な、薄い洋服を着ていくから、目立つじゃないの」というふうにたしなめられたことを覚えています。私はあんまりだだをこねる性格ではないのに、その時は水色の大きい花柄のワンピースにこだわったのでしょうか。母の反対を押し切って出て行ったという記憶は、その時も今もないのですが、その言葉だけが思い出されます。(つづく)

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2009年3月17日 (火)

わびのメールとやさしいレス

さて、昨日の歌の発表会では、落ちこんで、

別れてから相方にわびのメールを送りました。

「今日はごめんね。お茶ももらいっぱなしで

すみません。ほんと悪かったです」と

私が打つと、帰りの電車でかなり落ちこんでいた

ことを知っていた相方は、やさしい返事をくれました。

「とんでもございません。とても楽しかったですよ。

出来栄えより時間を調整して一緒に一生懸命

練習した事の方が意義があったと思っています。

眉山さんとお知り合いになりましたし、今日は

これで十分満足しております。眉山さんあまり落胆

しないで下さい。私達は二人で一人前なんですから。

メールありがとうございました。ではまたお会い

いたしましょうね。さようなら。」

先生にも、メールしました。

「なんか、伴奏耳に入らず、突っ走ってしまいました。

すみません。遅れたらいけないと、それしか頭に

なくて。今から思えば、穴があったら、入りたいです。」

と打つと、先生も、丁寧に返事を下さいました。

「わざわざメールをありがとうございます。

気にしているんじゃないかとメールしようと思っていました。

伴奏に合わすのもメロディのリズムも難しい曲でしたが、

挑戦して下さったことホントにすばらしいことです。

本番にいつもの成果がでないことは皆つきもので、

音源とずれるのもありがちなことなんです。だから、どうぞ

気にしないで下さい。歌詞も忘れず、ハモリも

きれいにできて歌の入りも間違わずよかったですね。

練習の賜物です。お二人が歌っている姿を

見せて頂けてよかったです。

今日はとても楽しかったです。

ありがとうございました。」

二人からこんなに丁寧な心のこもった返事を頂いて、

少しほっとしました。

弟子の私がため口で、師が丁寧語。

これは年の功でしょうか。

相方にも、ため口。相方は丁寧語。

これも、恥ずかしい。

歌は「白い色は恋人の色」でした。

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2009年3月16日 (月)

アウト!

昨日の歌は、努力の甲斐なく、アウト!

舞台より降りるなり、先生に「ずっとずれていた。

眉山さん、相棒の方、全然見てなかったね」

と言われてしまった。

言われるまでずれていたと気づかない私。

言われて、そういえば、全然伴奏のCDの音が

耳に入ってなかったと気づく。

唯我独尊。出だしだけは間違えないようにと

音源を聞いたが、後は、自分で4拍子をとって、

自分で突っ走っていた。

相方がリズム感から何からずっと上なのに、

アイコンタクトをとるでもなく、

あがりっぱなしにあがって、一人で

大声を張り上げていたということだ。

それを言われるまで気づかない私。

3番だけは音源とあっていたらしい。

ずれていたので、舞台の袖でスタッフが

手拍子をとってくれていたのが、

相方には目に入ったらしい。

私は、前をにらみっぱなしで、

何も見えていない。

落ちこんで帰った。

滅多にないことだが、ご飯も欲しくないように

思ったけれど、お弁当やで、お弁当を二つ買って

帰った。相方も私も、家人が誰も見に来なかったのが

よかった。

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2009年3月11日 (水)

『声紋都市ー父への手紙』 作・演出 松田正隆

演劇のことは、余り知らないけれど、伊丹市の演劇ホールの催し、エルダー世代のワークショップで、相模友士郎さんを知り、相模さんが、写真を撮ってポスターを作っている、『声紋都市ー父への手紙』という演劇が、伊丹アイホールで上演されたので、見てみることにしまた。
何の前知識も持たず行ったのに、すごく感動したのでした。
帰ってきて、ネットで調べてみると、松田正隆は岸田国士戯曲賞とか読売演劇大賞とか、数々の賞を取っている劇作家なのでした。何よりも驚いたのは、映画「紙屋悦子の青春」の原作者だったのです。これは松田自身の母をモデルにしたものらしいです。この映画は私は見てないのですが、友が見て「よかった、よかった」というので、筋を聞いてみると、筋は特に面白そうにも見えないのですが、大体筋は?なんて聞く方が間違っているようです。もっと心象風景とか、そのようなことを問題にするべきかも。
で、父への手紙は、元日本軍兵士だった実の父に取材・イタビューしたものでした。国家・国民・法・政治・母国言語、など、あらゆる父的なるものを抽出し、日本における「父なるもの」を暴き出そうとしたのらしい。(ネットより引用)
そこに、私は感動したのでした。
(次回に続きを書きます。外出の時間になってしまいました)

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2009年3月 6日 (金)

家族の会話

会話1
 
 私、所かまわず、アカペラで歌の練習。

 孫 「そんなんで、発表会に出るん? かわいそうやな」

 ママ「かわいそうって、誰がかわいそうなの? 聞いてる人?」

 孫 「おばあちゃんや、おばあちゃんがかわいそう」

 私、心の中で。なんじゃいな、ほっといてんか。

会話2

 私 「ちょっと、奈良に佐紀山ってあるの知ってる?

   それ、おばあちゃんの名でしょ。だから、小学校の国語の

   時間、佐保山、佐紀山っていうのが、教科書に出てきたら、

   皆がどっと笑ったんよ。春休み、佐紀山みにいかへん?

   1dayチケットで、バスと電車の乗り放題あるの、電車の

   広告で見たんよ。40年も関西に住んでるのに、行こうと

   思ったまま1度も行ってへん。どう、行く?」

 孫 「ええわ、ええわ、それはええわ。遠慮しとく」

 私 やっぱりなあ。行かへんと思ったけど、言うてみてやろと思ったら、

   やっぱし行かへんかった。

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2009年3月 5日 (木)

大阪城梅林

Siroume


Umebayasi_2


Umenoki_2

3月3日、寒い寒い日、友達3人で大阪城の梅林に梅見に行きました。

満開。種類によっては、もう終っていました。

曇天。ちょっとした空き地やベンチを見つけて、ミニ宴会とまではいかないけれど、仲間で車座になってお弁当を食べている人もいました。

けれど、大半は、ぞろぞろ歩くだけ。

友達は懐炉を三つも貼り付けてきたとか。

梅見は1時間で切り上げて、ニュー大谷で、昼食、喫茶。

4時間半もしゃべっていました。

コーヒーも2杯ずつおかわりして、水は度々ついでもらって、あつかましい老女3人。

35年のおつきあい。5人のグループが3人に減って、俳句の指導をしてくださっていた方がこの間亡くなって、折角始めたばかりなのに、中心がなく、下手な俳句を持ち寄って、「気が抜けちゃった~」とぼやいている。

「死んでしまったら、何も出来ないのね。もう、自分で、第2句集のための選句をすることもできないし・・・」と彼女のことを思っていうと、「熱烈な弟子がいて、後で、その人のことを世に広めて、後世に残るということがあるから、そう言う人の存在が大きいのよ。ゴッホだって、宮沢賢治だって、死んだ後、世に高く評価されたでしょう」と友が言う。

それはそう、ほんとにそうだけど、私の場合、生きている間のことしか考えてないので、例えば、例えばの話、家族が、遺稿集なんてものを出してくれるといっても、いらないわというでしょう。でも、残された者にしては、せめてそういうことをして、偲びたいと思うんじゃないかなとも思います。

この年になると、梅見にも、風流一途でいかなくなって、死の話で、締め括られてしまいます。

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2009年2月26日 (木)

95歳の婦人

相模友士郎さんという

京都造形芸術大学で舞台芸術を勉強された方を

囲んで、年寄り達が過去のいろいろな話をして、

そこから相模さんがシナリオや構成を考えて、

一つの舞台を作り上げるという試みがあり、

年寄りの一員として私も参加しています。

新聞やチラシを見て応募してきた中に

95歳の女の方がいます。

とても、元気。

駅のエスカレーターなんか、じっとして

乗っていません。駆け上がるように

するのです。何度かドアーの閉まりかけの電車に

飛び乗りました。私の方が負けるーです。

目も見える、耳も聞こえる、字も書けると

それはそれは驚きの一言につきます。

その方の話では、テレビを見る時でも、

じっとしていないそうです。体を動かして

体操をしているようです。

またその方の言う事がふるってて、3年前に夫を

なくして、ようやく自由を得たっていいます。

夫は昔かたぎで、自分について来い式の

旧弊な人間で、昔ピアノを習いたかった時にも、

そんなもんせんでいいと習わせてくれなかったらしい。

夫を見送ってやれやれこれから自由だ、なんて思うのは

せいぜい75歳くらいまでかと思っていました。

それよりあとに自由になっても、気力体力なく、

仕方ないわと思うのかと思っていました。

ところがその方の場合は、92で自由になったと

その後の生活を充実させているのです。

そんなこともあるのかと、びっくりしてしまいます。

最初一緒に帰るとき、手を組んで支えてあげねばと

思い、腕を組んだら、うるさがられました。

大またで歩き、私の方がチョコチョコチョコチョコと

追いつこうと必死というさまでした。

気力体力とも、こっちのまけ~、です。

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2009年2月25日 (水)

歌の発表会

この間のダンスのエキストラの舞台が終わって

ほっと一息つけたと思ったら、まだありました。

歌の発表会です。童謡と学校唱歌しか歌ったことがないのに、

近所のヤマハの「ミセス・ボーカル」という

コースに入って、ついに発表会に出る羽目に。

「白い色は恋人の色」を、デュエットします。

今日カラオケで二人で歌ってきました。

採点を、機械にしてもらって、

最初は65点。ふんにゃ。

2度目は、73点。まあいいか。

3度目は、71点。なんじゃこりゃ。

なんで、こっちが点低いの?

年取ってから、緊張を強いられることばかり

はじめています。

このコースも、3月で終わりだから、

最初で最後の頑張りです。

誰にも聞いてもらえない、ちょしっぱずれの歌です。

人に聞いてもらえる歌を歌うのって、

並大抵じゃないと感じます。

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2009年2月21日 (土)

張り切りすぎ

前にアップした写真の人物を紹介すると

右から歌手ユルディケ、マリア、フランク、ガブリエラ、

サミュエルです。

フランクとガブリエラはご夫婦らしい。

エキストラに出る私は張り切りすぎて、数日前に美容院で毛染め

するやら、当日はカット、ブローに出かけるやら、顔も普段しない

化粧をして、頬紅まで塗るやら、素のままでは見る人に対して

失礼だと、一生懸命綺麗にしたのでした。

カーテンコールも、胸を張って、目線を上にして、大袈裟にお辞儀。

見に来ていた娘が、死後の世界の演出に対して、私一人が浮いていた

といいました。他の人は、カーテンコールでも、力を抜いてダランとしている。

私は大阪のおばちゃんのパワー見え見え、元気すぎるということでした。

あの舞台には、いつものぼさぼさ頭、化粧してない生気のない肌が

ふさわしかったと・・。

リハーサルの時、髪の毛はときいたら、フランクが何でもいいといい、

化粧はと聞いたら、ナチュラルでいいと言ったのが正しかったのでした。

綺麗にしないで、見せる舞台があると、初めて、娘も感心したらしかった。

打ち上げににも参加させてもらって、最後の方は、はしたなくも、

自分で紙コップにビールを注いで(この場面は、誰も見てないことを祈ります)

ほろ酔いになって、家に帰ったら12時でした。

公演のあとの出演者を囲むトークにも、大勢の方が残って参加していました。

待つのが嫌いな娘も、あんなすごいダンスはみたことないと

感激して、30分も待って、最後までトークに聞き入っていたとは、

後で聞いてびっくりでした。

女性エキストラの3人(80歳、71歳、69歳)は、生まれて初めて

舞台に立ったと、大感激。男性の方は、だいぶ経験を積んでいました。

娘から「おばあちゃんは、青春してるわ」と言われました。

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Peeping Tom

Belgium


Belugiumpeople


ベルギーのダンス・ユニット、ピーピング・トムの演じた

「ル・ス・ソル/土の下」は、今までに見たことのない

ような、すごいダンスでした。

絶えず3人のダンサー【ガブリエラ(女性)・フランク(男性)・

サミュエル(男性)】が、ぴたっとくっついて激しく踊るのですから、

呼吸も合っていなくてはならないし、体力も相当に

使います。

舞台には土が敷き詰められています。

ダンサーは土の中にもぐり込んで、

消えていき、土の中から出てきます。

マリアは80歳なのに、激しく演じます。

メゾ・ソプラノのユルディケは、澄んだ通る

声で歌い、なおかつスリップ1枚になって、

踊ります。(舞台の袖から見ていたので

正確でないかもしれませんが)

ベルギー発、最高にスキャンダラスなダンス

というのは、3人が絡まって踊るセクシャルな

形からきていると思います。

ところが、その精神は、「生と死」を追求する

という哲学的ものでした。

主催者は言います。

「『Le Sous Sol/土の下』の創作過程で、私たちは

日本映画の傑作、勅使河原宏監督の『砂の女』に

強く触発されました。まことに不思議なことに、私たちの

次回作もまた同じく日本映画である今村昌平監督の

『楢山節考』が出発点にあるのです。

東洋の文化と伝統様式に見る生と死の、我々のそれとは

異なるアプローチは、自分たちの作品のイメージを

探求するなかで数々の問題を提起し、大いなる刺激を

与えてくれました。」

と言っています。

私には、物事を考え詰める素質がなく、生と死を

抽象的に考えたことがないのです。ですから、

ピーピング・トムの集団は凄く哲学的なんだと

尊敬します。映画にもうとく、「砂の女」も「楢山節考」も

見ていないのですが、そこには「東洋的」な生死の

概念が出ているのでしょうか。

一度、生と死について、深く考えてみることを

した方がいいのかなと、思ったりします。

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2009年2月 8日 (日)

ジャズ

ジャズのことは全然解らないのだけれど、

近くに、「Live Spot Arrow」というライブハウスがありまして、

そこで「アロージャズオーケストラ」という楽団が、

演奏しています。

71歳のお誕生日がすぐそこなので、家族で今年は

趣向を変えて、オーケストラの演奏を聞きに行きました。

それが私へのお祝いです。

1930年代から50年代に流行った、スイングジャズの演奏でした。

といっても、私には、右も左も解りません。

でも、聞いているうちに、ジャズのよさが解ってきました。

なまで聞くといいなぁと思いました。

子供たちは退屈して、携帯ばかりして、第1ステージだけで

帰りました。主人と私だけが残り第2ステージも聞きました。

私がカクテル2杯、娘が3杯、主人がビール1杯。

ハンバーグにピラフにコロッケにナッツにチーズにレーズンバターに

コーヒーに、ジュースにコーラー、と、ばんばん飲み食いして、

10時過ぎに夜空を眺めながら、コートの襟を立て、自転車で

帰ってきました。冷える。毎年のこと、なんでこんな寒い時に

生まれたのだろうと思いつつ、帰って来ました。

ジャズにちょっとだけ近づいた夜でした。

曲目などが、申し上げられない(解っていない)のが、残念です。

 

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2009年2月 7日 (土)

夜叉ケ池のパンフレット

夜叉ケ池のパンフレットの写真です。Hanagumi1


Hanagumi2


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夜叉ケ池

月日はあっという間に過ぎて、ブログは一週間も穴あけ。

その間に、節分も立春も過ぎました。

先週の金曜日、伊丹市立演劇ホール「アイ・ホール」で

泉鏡花原作の「夜叉ケ池」という芝居を見ました。

演じたのは、ネオ歌舞伎「花組芝居」。

「花組芝居」という演劇集団、はじめて知りました。

泉鏡花の原作。

「三国ケ嶽の麓の里、龍神が住むという夜叉ケ池。

日に3度鐘をつく掟を破れば、

村はたちまち全て水の底に沈むという」

泉鏡花の妖怪変化、魑魅もうりょうの住む世界って

面白いですね。背筋がぞくっとして、怖くて、そのくせ、

読んだあとにカタルシスのあるような。

というものの、夜叉ケ池は読んでないので、読んでみたい。

日本の伝説の龍神とか、妖怪とか、あほくさと

今までは思っていたけれど、これが日本の伝統かと

この頃思うようになりました。

年をとった証拠です。

ところで、花組芝居は、コミカルなところもあり、

飽きさせないです。妖怪もマンガチックで、全然怖くなくて、

最後の方では、全員で、阿波踊り。

「阿波の殿様、蜂須賀公が・・・」なんて、歌が流れて・・・

これは、わが郷里徳島の・・。

ところで三国ケ嶽って、三田市(兵庫県)にあるらしい。

芝居見ながら、もっと山深い信州辺りかと思っていたら。

山自体も、600メートルくらいらしいので、

我輩でも、登れるか?

いや、無理だろう。

なぜ、この芝居を見ようと思ったかというと、

パンフレットが気に入ったのと、泉鏡花のものであったということでした。

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2009年1月29日 (木)

永久の別れ

もう35年も前になるかしら。

大阪文学学校の通信講座のスクーリングで

彼女と知り合って、つかず離れずの関係でずっと

つき合ってきました。同期の女性6,7人で

同人誌を出してみたり、やめてみたり、

解散したり、元に戻ったり、色々のことが

ありました。が、彼女を含めて、みんないい関係で

ずっとつきあいが続いていました。

その彼女がおととい亡くなったのです。

彼女がご主人の転勤で関東に行っていたときは、

ただ、年賀状だけのつき合いで、彼女が何をしていたのか

知らなかったのですが、関西に帰ってきたときは、

しっかりと俳句をものにしていたのでした。

私たち、小説だ、散文だとしがみついていましたけど、

年をとるに従って、不思議なことに、日本の伝統文学「俳句」に

心を寄せるようになったのです。

元の仲間4人が彼女に教えて貰って、俳句を作り始めました。

第1回がおととしの11月、第2回が去年の2月。

第3回を4月に予定していたところ、彼女の胃癌がわかったのです。

手術はできなくて、抗ガン剤治療を受けて、退院してきて、

7月にもう一度集まって教えて貰いました。

その時は、レストランの1室を頼んでくれて、お料理がみんなの

口にあったかどうか、とても気にしてくれたのでした。

体がしんどかったと思うのに、よく世話をしてくれました。

その時も俳句のことを語るととても熱心でした。

彼女は、自分の病気の状態のことは語っても、

愚痴などは一切言いませんでした。

おととい、お嬢さんから亡くなったと連絡をくださったとき、

「文学関係の方のことは、わかりませんので」と言いましたので、

私は、「○○さんと、○○さんと、○○さんには伝えますから」と

言いますと、解ったようでした。

几帳面な彼女のことだから、文学関係の人は、これこれよって、

書いておいたのではないかと思いました。

自分の身を自分で処する。

立派な死に際だと思います。

彼女の薄いピンクのセーターのきれいな顔写真を

見ながら、爽やかで美しい人であったと思いました。

数え年で76歳でした。

彼女のもの言わぬ端正なお顔に別れを告げたとき、

これで、永久の別れだなあと思いました。

でも、心の中には、永遠に彼女の爽やかな生き様が

生き続けることでしょう。

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2009年1月27日 (火)

桂かい枝

桂かい枝にとてもご縁がありまして、

昨年11月に「英語でしゃべらナイト」に、

英語落語で出演したのを、NHKの収録の時、

武庫川女子大で、一観衆として、見ました。

今度は、2,3日前、ご近所の友達が、知り合いの喫茶店で、

かい枝の落語があると誘ってくださったので、

聞きに行きました。にわか作りの高座。文字通り、

喫茶店のテーブルを寄せ集めて作った高座だから、

高くて危ない。それに狭い。

若いから落ちはしないと思うけど、って心配するくらい。

そこでは、英語でなくって日本語落語でした。

英語落語の時は、必死で英語を理解しようとしていたので、

解らなかったけど、日本語で聞くと、彼は落語が上手なのですね。

芸人です。落語が終わって、ジーンズに着替えて

コーヒーを飲んでいるときの話は、普通の若者の話です。

ひとたび高座に上がると、普通の若者から、芸人に変るのですね。

ふつーの自分らとは違った「芸の世界の人」になるのだって、思いました。

それでこそ、真の芸人。

感服させられた、一夕でした。

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2009年1月22日 (木)

うれしい高得点

運転免許更新に先だって、自動車学校に

「高齢者講習」を受けに行ってきました。

70を過ぎたので「高齢者講習」は義務づけられています。

そこで、ゲーム機みたいなものを操作して、どれだけ素早く

反応出来るかをテストしたのですが、

「運転に必要な基本的反射動作能力」

「状況の変化に対する反応の速さと正確さ」

「注意力とその持続性、ハンドル操作のたくみさ」

「複数の作業を同時に行う能力」

この4項目で、総合判定が「5」でした。

総合コメント「あなたの本検査による機能は同年代と

比較すると大変優れています。

非高齢者と比較しても平均的(普通)です。」happy01

な、な、なんと、いつも動作がのろい、年取った、もうばあさんやな

と、言われている私が、「大変優れています」の判定です(ニコッ)

これは、孫がWiiスポーツをしていて、私にもしろしろというので、

仕方なくやっていたのが、効を奏したのでしょう。

いくらいい判定が出ても、肝っ玉が小さくて、市内をちょこちょことしか

走れないし、他人様もよう乗せないのでは、何の役にも立ちませんが・・・

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宍喰(ししくい)(徳島県)の寒茶

ある方に寒茶の味を聞かれて、どう表現したらいいか困って、
お返事したのが、下記のような文なのですが・・・
これでは、誰もわからないかも・・・
 
【寒茶の味、表現するのがむつかしいので、家族に応援頼みました。娘曰く、「柿の葉と番茶を1:1の割合でブレンドしたような味」ですって。亭主曰く「微妙な味。番茶ではない、薬草みたいだけど、薬草のように臭くない。緑茶みたいに刺激はない」ですって。小さい孫曰く「いい感じに苦い。はまる味」ですって。おおきい孫はひと言「好きだ」ですって。さて、私の感想は、「味がすっきりしてる。あまり煮すぎると苦みが出るので浅く炊き出した方がいい。黄色い色の時が一番おいしい」
これでは、どんな味かわかりませんでしょう。一番近いのは、やっぱり、柿の葉のお茶かな? みんなフードライターにはなれませんわね。(笑)】

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2009年1月18日 (日)

何をしていた?

ついうかうかと日を過ごしていて、早、一週間も経ったとは

思いませんでした。

その間、何をしてました?

寒茶を飲んで、日本酒を飲んで、食べて寝て・・・

夜はいろいろの不安を押しのけて・・・

月曜日は、老年の人と語る若い演出家の会に出て

かんかんがくがくしゃべり合って・・・

いずれは、老人の話から、脚本が出来て、演劇の舞台に

あがるとは・・・

とりとめのない戦時中、戦後の話から、どんな舞台ができるのか

さっぱりわからないけれど、前衛的に思索する彼だから、

なにか、哲学的な舞台が出来るのかもしれない。

その会に集まった、69歳から94歳の元気いっぱいの老人達ーというと

みんなに反発される、お婆さんではありませんとー男性が一人いるけれど。

その人達は、戦中戦後、さんざん苦労をしてきたけれど、

全部前向きに乗り越えて、今は、苦労のない身。のように見える。

戦争の悲惨さを今こそ次世代に語りつがなくてはと、自ら望んで参加した会。

しかし、必ずしも、戦争のことのみを聞きたいというわけではなかったらしい。

戦争のことなら、戦争の語り部の方、満州からの引き揚げ方と、たくさんいた。

震災の語り部の方もいた。みんながそれぞれに語って、言葉が竜巻のように

立ち上がる。あまり出る幕はないが、そこでも、新しい友ができた。

この年になっても、新しい友が出来るのかと不思議な気がする。

家に引っ込んでいては出来ない友。自分の思いのあるところには

出て行くといい。この企画は伊丹の演劇ホールの企画。伊丹は酒所でもある。

明日は月曜日。白雪レストランで酒かすピザを食べようと約束が出来ている。

楽しみだ。

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2009年1月13日 (火)

NHK ふるさと一番!「寒茶」

12日、何気なくお昼の番組を見ていたら、

我が郷里、徳島が出ていた。

場所は海部郡海陽町。

というと、親しい友の居るところ。

どんな風景が出てくるかと思って見ていると、

山に茶摘みに行くところだった。

自然の茶の木から、葉を採って、「寒茶」を

作るところが出ていた。

蒸して、手揉み。

それを炊き出して、黄色いのを飲んでいる。

「甘いですなあ。おいしいです」

と言っている。

なにやら、とてもおいしそうで、つい、迷惑を顧みず、

友にメールを送って、寒茶を買えるのか聞いてみた。

友は、買って送りましたよって、メールを下さった。

有り難いこと。届くのがとても楽しみ。

13日の「ふるさと一番!」は、隣の牟岐に行くらしい。

秋から始まる朝ドラは、その近くのウミガメが卵を産みに来る

海岸の民宿の娘が主人公らしい。

徳島の海が楽しめそうだ。

今から期待しておこう。

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2009年1月11日 (日)

驚きのジャンピング

Bungeejunping_2


昨日、兎の餌を買いに「つかしん」に行きました。

吹き抜けのエントランスに入ったところで、4,5歳の子供が、

ゴムのベルトに乗って〔くくりつけられて〕、ゴムの弾力で(飛び)上がったり、

下がったりしているのです。その高さにびっくり。

ゆうに二階を越えたりすることもあるのです。

余りにも高く上がった時は、見物の人々から、

「ウォー」というどよめきが聞こえます。

それが一人の子に何回も繰り返されるのです。

そんなのが大嫌いな私は、早くやめてくれ!って思いました。

だが、なかなか止まない。

子供も泣いていない。

それにしても、こんな危険な(と私には思われる)ことを、

平気でさせている親って、どんな人かしらって思って、

その子の下りて来たとき、迎えている親を見ると

普通のベージュのコートを着た、若いママでした。

それで終りかと思うと、続いて次に同じ年頃の

男の子が出てきたので、世の中には、私と違う

人が一杯いるのだなて、思いました。

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2009年1月 7日 (水)

お正月の風習

今日、82歳の一人暮らしの奥様の

所に行きました。

彼女はせめてお正月の雰囲気のご馳走を

食べて貰いたいと、もうなくなったと言いつつも、

おせちをお皿にアレンジして出してくれました。

彼女が使っている「寿」のお箸の袋に、

○○子と名前が書いてあります。

「あっ、それは、巷の友人に聞いたお箸と同じだ」と

私は言いました。関西地方の風習なのですか?

奥様が言うことには「元日の朝起きると、家族の名前の

書かれた「寿」のお箸がちゃんと並んでいた。それを、15日まで、

松の内の間使うのよ」と言いました。

わが郷里徳島ではそんな習慣はなかったなぁ。

道理で、以前のことだけど、よく郵便局が景品で

寿のお箸をくれていた。私は、それは来客の時に使う物だと

思っていたので、来客のない我が家では、いつも余っていた。

今でも、10年くらい前の物が、引き出しに入っている。

奥様は、目が悪い、手が震えるといいながら、

手先の器用な人だから、私などよりよっぽど「水茎の

跡麗しい」字をかいている。名前の両側に

小さい字で、何やら書き付けていたのは、

なにを書いていたのだろう。気になりつつ

聞き忘れた。なんでもちょっとアレンジするのが

好きな人だから、願い事などを書いていたの

かもしれない。それは、こんど、電話で聞いてみよう。

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2009年1月 5日 (月)

お買い物

今日は仕事始め。

待ちかまえていたように、パスポートの更新の申請

に行ってきました。1月19日がタイムリミット。

10年使えるから、もうこれで更新はお終いかな?

って、ついついこんなこと書いてしまいます。

今年は5年に1回の運転免許の更新も、もうすぐです。

更新の当たり年です。

今年は元日から4日間遠出せず、家の近くをうろうろしていただけ。

更新に出たついでに、大阪のデパートを、阪急、阪神、大丸と

3カ所うろついてきました。これに三越が出来て4つになると、

忙しいなぁ。三越は建設中。

いつものことながら、自分が何を着ていいかわからず、

店員にとっつかまると、買わないといけないような気になる

気の弱さだから、通路を通りすがりに見るだけだから、

よけい見つからない。いつものことながら、しまいには

寄ってこられた店員に勧められて買ってしまった。

太くて、細身のデザインだったら、13号でも合わないと言う

コンプレックスがあるので、余計買えないんです。

ちょっとこましだけど、Tシャツみたいなもの1枚買うだけに、

デパート3カ所、3時間も費やして、阿呆と言いたくなります。

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2009年1月 4日 (日)

ニューギニア地震

新年4日目も静かに明け過ぎていくなと思ったら、

ニューギニア地震による津波の注意報が

テレビに流れ続けた。

自然現象は時を選ばない。

死者が少なそうなのが、せめてもの慰めである。

お盆の上のコップの水が、手の揺れで波立ちこぼれるように、

地球規模で、海の水がゆれるのだなあ。

改めて、地球規模の出来事の大きさ凄さを思い知らされる。

砂漠化して住めなくなった土地は、捨てて逃げなければならない。

温暖化で、海水が膨れあがり、沈没する島からも、

逃げ出さねばならない。

死守しようとしても、個人の力ではどうにもならない。

そうやって、栄えた街も遺跡になっていくのだなぁ。

寂しいけれど、自然の力には勝てないのだと思い知らされる。

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2009年1月 2日 (金)

potluck party

先の「英検3級」のところで、「お赤飯」って

書いたけど、「栗おこわ」が正しい。

ただのお赤飯より、何層倍も手間がかかっています。

それをいつも男の方が自分で作ってきて下さいます。

私はいつも、出来合いを買って持って行くのみでしたが、

去年はちょっと気合いを入れて、豚カツを作って行ったのでした。

それで、New Zealand 出身の先生に、「豚カツはNew Zealand にも

ありますか?」って聞いたら、「ない」という返事でした。

先生は、そのせいか、全然豚カツは食べていなかったので、

「はずした」と思ったのでした。アメリカ人に、お羊羹を

勧めたときも「はずした」と思ったし、アメリカ人の子供に

あげるお好み焼きにいかを入れたのも「はずして」いました。

外国のかたに気配りってむつかしいです。

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英検3級

Potluck_party


年末に英会話の人たちと忘年会しました。

忘年会は potluck party(持ち寄りパーティ)で、

写真のように、お赤飯をはじめ色々の物が

並びました。(ちなみに、毎年お赤飯を炊いてきてくれるのは

たった一人の男性会員なんですheart04

そこで、英検の話が出て、誰かの知り合いの知り合いとかで

かなり年配の女性が、英検何級だったか忘れたけど、

受けに行ったら、係の人に「付き添いさんは、こちらのお部屋です」

と言われたんですって。そんな話を中1の孫にしたら、

「おばあちゃんと一緒に3級受けようか」とか、結構まじで

言うので、

「おばあちゃんは、3級も受からないわ。Sundayだって、Sanday

と書きそうだし、1月から12月までも、書けんわ」(これ事実)

というと、

「書けんでもいけるのよ。書かさないで選択だから」とかいうので、

へーっとびっくり。英検なんて、はなからでけへんと思っていたので、

問題見たこともなかった。でも、孫のやる気をそいでもいかんし、

やってみるかって、思いだしました。

まだ、問題集買ってないけど、買って勉強してみよう。

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2009年1月 1日 (木)

あけましておめでとうございます

 昨夜は「紅白歌合戦」を見て、眠りました。

 目が覚めると新年です。

 みなさま あけましておめでとうございます。

 今年がみなさまにとっていい年でありますように。

 さて、去年は三宮の生田神社に初詣に出かけましたのに、

今年は、どこにも行きませんでした。

 いただいた年賀状にお返事を書いたりして、

午後3時頃、孫にお年玉を届けようと家を出ると、

町内の家々の門に締め飾りがないのです。

向かいとか、お隣りとか・・・

それで、今年は締め飾りを、何かの理由で、

国家的にしてはいけない年なのかなって考えてしまいました。

そんなことあるはずもないのに・・・

ずっと見ていくうちにしている家がありました。

いやはや、不況で縁起をかつぐこともやめたのでは?

かくいう私の家も、去年から、(小)を買います。

一番安いのを!

小になると車につけるのよりみすぼらしいかと思いますよ。

去年までは、ご近所と比べて、恥ずかしかったのに、

今年はつけていない家とつけている家が半々でした。

私らの町会は開発されてから42年。

当時は若かった町が、今は年金の人が多い。

花よりだんごが切実になってきたのかと思います。

 お正月そうそうしけた話はいけませんわ。

 不況でも、元気を出して生きていきましょう。

 5時過ぎ、孫達が本屋に行くというので一緒に出たら、

例年の元日とちがって、雲がおおっているのです。

孫がいいます。

「何なの、この暗さ。太陽が一日中出ない国のように

陰気だわ」

 そう、そんな天候でした。

本屋は全部休みで、ゲームやと貸しビデオ屋が

開いていました。スーパーもほとんどが休みで、

町は灯が消え、暗かったです。

 いえいえ暗いなんてお正月から言ってはいけませんわ。

心だけは、煌々と未来に向けて輝いていました。
(なんか嘘くさ!)

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2008年12月31日 (水)

私のいろはかるた

とうとう大晦日。

今年もあと6時間あまりとなってしまいました。

つたないブログを読んで下さいました皆様

ありがとうございます。

来年もよろしくお願い致します。

今日大奮闘で作った私製かるた、

私事ですけど、披露致します。

「ゼロ8年 葉子かるた」

い  「板つき」という言葉は出るが 「かまぼこ」が出ない

ろ  ロボット学会兼ねて 息子はやっと帰省

は  歯を入れる 10万円に 四苦八苦の私

に  任天堂のゲームに悩むママとババ

ほ  ほのかに乱れる七十路

へ  へとへとに なっても意地の 観音巡り

と  十重二十重 今年の牡丹 来年咲くか?の 怪しい腕前

ち  チボリ公園 夜の闇も 懐かしき

り  リンゴも 主人が買うのは上等 馬鹿甘い

ぬ  ぬり絵って 昔は楽し 今めんどくさい

る  留守番の者ですと 勧誘断る

を  私ひとりのために ショー「を」する 倉敷のオルゴール館

わ  忘れ物して 電話かけまくる

か  烏を敵視 網を買う

よ  よだれの出る ほどの物を食べてみたい

た  黄昏の時は過ぎて The end の感深し

れ  レンタカー借りて 疾駆したい北海道

そ  空の青さを 紅葉の向うに見た 竜野の聚遠亭

つ 連れ添って 半世紀とは もう飽きた

ね 猫の手も借りたい大晦日でもブログに熱中

な 泣けてくることは年中無休 盛りだくさん

ら ラッコを初めて見た今年 須磨水族館

む 昔はお煮しめよく食べた 今は不人気NO1

う 兎を飼って早4年

の 残そうと思っているが残らないお金

お オレンジ色が広がるのを見たという臨死体験に感動する

く 熊に襲われたら 身を捨ててあなたを守ると力説するが 孫は信じない

や 「やっかみの風」という小説を書いた今年

ま 待ち受け画面 それは恥ずかしいよと 夫に忠告

け 「ケーキバイキングでなくスィーツバイキングだよ」と言う孫の律儀さ

ふ 夫婦向き合って 違う物を食べている 毎日の昼の食事

こ こんな筈ではなかったと 怒る気力もない 老いの道

え 駅までの3キロの道を 雨でも自転車で走る 夫は82歳

て 手の甲も 首も 口の周りも しわだらけ

あ 歩いて来た70年 誇れる物は何もなし

さ 桜の絵に 心ひかれた 年末チャリティ展覧会

き 黄色い長い布 忘れられないエミリー・ウングワレー展

ゆ ゆく年も 来る年も のっぺらぼーなら ありがたや

め 目を閉じれば友が見える千光寺

み 実を結ぶこともはかない歌のレッスン

し 死んだらば あきれられよう 家の雑然

ひ ひっきりなしに落ちかかる火の粉でも 払って生きるしきゃないさ

も 門を閉めるのは 遅く帰った者がすること 夜のこうもりどっちもどっち

せ 先生と呼ばれていた夫の年賀状300枚 うちは60枚よ

す すごろくもしてみたくなる暮れのデパート

ん 私の初夢 富士よ出てこい!

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2008年12月29日 (月)

ケーキバイキング

昨日西宮ガーデンズに孫と行きました。

孫はケーキバイキングが食べたいと言うんです。

見ると中学生以上は1450円だっかしら。

うーん、ケーキはこの年でそんなに食べられないぞ、と、

思ったけれど、ま、孫が付いてくるのももう少なくなったんだから、

ここは、意見を入れようと、損を覚悟(笑)で入りました。

ケーキバイキングは、いつも、損、損、と思って入らなかったから、

昨日初めて入りました。

ケーキバイキングは、ケーキしかないと思っていたら、

パスタとカレーと炊き込みご飯とサラダがあって、

そのほか、シチューやスープもあり、

私はもっぱらその方を食べたのです。

この場合、元はとったぁ!って、さもしいです。

小学生は、子供料金だったので、孫2人と私の3人で、

4000円で200円ほどおつりがあったかな。

昨日は3時にお茶のつもりで入って、慾で御飯物を食べたんだから、

夜は抜きにすればいいのに、夜ご飯も食べて、4回食になりました。

太る、太る。

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2008年12月28日 (日)

倉敷11月27日

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下関に帰ってしまった友と、25年ぶりの再会の日ですが、友は大原美術館に午後到着。私は前夜からチボリで遊んで一人で駅のホテルに泊まっていましたので、午前中美術館のあたりをぶらぶらしていました。友も、チボリはノーサンキューです。孫も娘も夫もノーサンキューです。そういう時は、一人で旅に出るべし。紅葉がきれいでうっとりしていました。

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2008年12月26日 (金)

夜のチボリ公園

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去る11月26日、この12月31日で閉鎖になる

倉敷のチボリ公園に行ってきました。

私は遊園地とかテーマパークとか、人混みとかが、

大好きなのです。前に「ミモザの悲しい旅」という

小説を書いた時に、ミモザと竜道が手に手をとって

落ちていく道行きに、チボリも入れたのでした。

実際は行ったこともなかったのに。ネットで調べて。

それで、ずっと行きたかったのですが、誰も一緒に行こう

という人はいない。「あほらし!」で片づけられます。

そうこうしているうちに、今年いっぱいで閉鎖。

たまらなくなって、ひとりで行ってきました。

夜も、31日のカウントダウンまで、ライトアップしていると

聞いたので、明るいことを期待して、夜行きました。

ともかく、広い。木も多い。だから暗がりが一杯。

人はまばらで、女一人では、ちょい、怖かった。

寂しーい。私くらいの人は3人ぐらいで来ている。

昼間だったら、子供の声とかで、明るかっただろうに!

はずしている。子供のためには、こんな遊園地は要るのに・・・

閉鎖はおしい。閉鎖反対の署名を入り口でおばさんが集めていた。

宝塚ファミリーランドの時と同じだ。署名したけど、駄目だろう。

なんでも閉鎖はわびしい。せめて、12月31日のカウントダウンに

にぎやかに人が集まるといいけれど・・


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2008年12月23日 (火)

臨死体験談

最近友達になった68歳の女性から、聞いたお話です。

5ヶ月ほど前、彼女は心臓の弁を、豚の心臓の弁と

とりかえる手術をされたと言うことです。

集中治療室からでて、個室に入院しているときに、

彼女の心臓は、2度、止まったと言うことです。

その時彼女の見たものは、自分の体がばらばらになって、

乱気流に乗ったように空中を飛び回っている姿だったらしい。

それから、静かになったと思うと、きれいなオレンジ色が

目の前に広がっていったと言うことでした。

それが2回繰り返されたと言うことです。

看護師さんが、

「先生を呼ばなくては」

とか、

「あの器械を持ってこなくては」

とかいう言葉は聞こえていたそうです。

あとで、医師が、「○○さんの心臓は2回止まった」

と、言ったそうです。

私の父が、26歳で結核で亡くなるとき、

「きれいな後光がさしている、車が迎えに来た」

と、いまわのときに言ったそうです。

昭和16年のことでしたから、車は、御所車みたいな感じでは

なかったでしょうか。と、自分はその話を祖母から聴いたときに

思いました。

人は死ぬとき、オレンジ色とか、後光とか、美しい色を

見るのですね。死ぬ本人にとっては、死とは

美しいイメージなのだと、思ったのですが、どうでしょうか。

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2008年12月22日 (月)

秋川雅史 コンサート

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去る12月12日、岐阜県大垣市の市民会館で行われた秋川雅史の今年最後のコンサートに行って来ました。ピッコロさんが誘って下さったので、初めての生歌が聞けたのです。やっぱり、生で聞くのはDVDよりCDよりよかった。みんな、熱烈なファンばかりで、「ヴラヴォー」ってかけ声が飛び交って熱気むんむん。ピッコロさんのお陰で前から4列目の中央の席で見たので、顔もよくわかるのです。顔もDVDよりテレビより実物がずっとイケメン。トークを聞いていると、ライトの当たったAkkiの顔が、何というか両性具有の童子にも見えてくるのでした。ということは、現実の人間を超えた存在になっているのでしょう。でも、それは、こんな婆様の感じ方で、追っかけをしている40代50代の女性にとっては、現実のイケメンの男性そのものなのでしょう。何しろ、Akkiとわが息子とは同い年。昭和42年の10月11日がAkkiの誕生日で、息子は10月27日という偶然です。で、どっちが若いかというと、それはAkkiですね。息子は私に似て洒落気がなく、若白髪そのままです。ただ、同世代だとつくづく感じたのは、Akkiの話の中で、イタリアに留学していたときに、孤独に自己と戦いながら歌の勉強をしていたとき、同じく、自己に打ち勝ちながら、タイムと戦っているF1ドライバーのセナを、尊敬していた。(尊敬という言葉ではなかったかも知れないけれど)それで、セナのレースを見に行っていたときに、目の前で、セナが壁に激突してなくなったということを聞いたとき、うちの息子が「セナが死んだ」と言って、よろよろと立ち上がり、動揺したように室内を歩き回ったことを、思いだしました。あの時代の男の子には、セナは英雄だったのでしょうか?F!のことなど知らなかった私は「セナって何?」とか、あまりの息子のあわてぶりを見て、聞いたのでした。同世代ということは、英雄も同じと言うことになるのでしょう。
さて、皆さんが、出口で待つので、私もついていきました。写真はうまく撮れなかったけどAkkiらしき人が写っているでしょう?握手をしてもらって、ごきげーんでした。

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2008年12月16日 (火)

やっかみの風・29

典子は自分が二階に押しやられて、部屋住みの立場になり、自分の家でありながら、居間に堂々と入って行けなくなるのではないかと思ってしまうのだった。小さい家なので、リビングと言えるほどの立派なものはない。応接間などというものも、当然の事ながらない。日当たりの悪いダイニングで一日の大半を過ごすことになって、リビングに行くのにも、いちいち「ちょっと入ります」とか言う羽目になるのではないかと考えるのだった。
こんな狭い家で、二世帯が住むのは無理だと思いついたが、喜久夫の給料では家を借りることも出来ない。千紗のアルバイトが当分無理だとなると、ますます経済状態は逼迫する。典子はいっそ自分が安くて古いマンションを借りて出ようかと考えた。
 喜久夫は、次の日仕事から帰ってきて、
「おかん、話がある」
と、また同じことを言った。
「何なの、また」
「千紗がベビーベッドとベビーたんすを入れたいというのだ。おかんが使っているたんす、一つ捨てないとベビーベッドが置けない。どうせおかんは二階のおれのたんすを使うんだから、一つ捨ててもいいだろう?」
「ええっ!」
「骨董品というと聞こえがいいけど、もうあんな古い物、どこの家だって使ってないよ」
「あれは、一応、嫁入り道具なんだけど・・・」
「だけど、相当がたがきているじゃないか。頭を切り替えていかないと、ごみ屋敷みたいになるよ」
 典子は言葉に詰まってしまった。確かに、買ったときからそう品のいいものでなかったのだ。親も豊かでなかったし、典子もお金を貯めていなかったので、間に合わせの安物しか用意できなかった。たんすに未練はないのだけれども、ずかずかと典子の領域に土足で入ってきて、典子の世界を破壊していくのが、たまらなく嫌だった。自分の領地がどんどん浸食されていくように感じた。
しかし典子は嫌と言えなかった。どう考えても、ベビーベッドは必要だし、ベビーだんすも要る。典子は不承不承納得した。
「おかん、あさってまでに中をからんぽにしてくれ。あさって、市のごみ処理場に運ぶついでがあるからな」
「あまりに急な・・・」
「あさってを逃したら、今度はいつ行けるかわからない。早くしないと千紗が帰ってくるのに間に合わない」
 なんと身勝手な子なのだろう。あんなに可愛かった子が、どうしてこんなに憎らしい子になったのだろう。育て方の失敗なのだろうか? 千紗の言いなりになっているのだろうか? 
 育て方の失敗は、認めねばならない。だけど、今直面している問題は、喜久夫と喜久夫の子供が、なんとか幸せに暮らせる方法を考えてやることだ。それには、喜久夫の言うとおりたんすを捨ててやらねばならない。
「あさってというのは、あまりにも急な話だけど、仕方ない。中身を明日整理するから、好きにしなさい」
と、典子は言った。

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2008年12月10日 (水)

やっかみの風・28

「かれん」と命名して出生届も出し、そろそろ千紗が戻ってくると思われるとき、喜久夫が仕事から帰ってきて、作業着を脱ぎながら、
「おかん、話がある」と、改まって言った。
 典子は、ドキンとした。喜久夫があちらに住むと言うのではないかと、恐ろしくなった。
「何なの。改まって」
「ま、飯を食いながら言うわ」
「千紗の実家に移るというのではないでしょうね」
「それはないよ、あそこからは、遠くて仕事にいけない」
 それをきいて、典子はほっと一安心した。だが、何を言うのか早く知りたく、悪いことではないかと、胸がつぶれそうになるのだった。
 典子は、気もそぞろにおつゆを暖めた。
「ああ疲れた」と言いながら洋服を着替えて喜久夫が入ってきた。
 喜久夫はご飯を食べるのに夢中で、話をなかなか切り出さない。
 典子はじりじりした。とうとう我慢できなくなって、
「さっきの話ってなによ」
と、聞いた。
「あのな、赤ん坊が帰ってくるについて、下の部屋と上の部屋を取り替えてもらいたいんだ。なんやかや、水を使うことも多くなるし、いちいち、下に来ていたんではやりにくいのよ。下なら二部屋連続しているし、ベビーベッドを置いても、おれと千紗の布団が敷けるしな」
「お母さんが、二階の喜久夫の部屋に変るということ?」
「うん」
 はぁ~と、典子は溜息をついた。喜久夫の顔をじっと見つめた。喜久夫も真剣な顔で、典子を見ている。額の髪の毛の生え際が若々しく輝いている。鼻筋の通った整った顔。典子は喜久夫の幸せを願いたくなる。家の主である自分が二階に追いやられるのは、悔しい。けれど、三対一という家族構成を考えると、自分が二階に上がるのが合理的である。喜久夫の言っていることは正しい。だが、何か割に合わない気持ちがする。だが、自分は負けてしまう気がする。
 家族の団欒という姿に憧れている典子は、かれんが大きくなって、四人で食卓を囲む幸せを夢見ることから自由になれない。ここで喜久夫の言う通りにしないと、典子の夢ははかなく消え去るような気がした。
「喜久夫のいいようにするよ」
と、典子は答えていた。
「おかん、それでいいか。よかった。感謝する」
と喜久夫は素直に言った。
 台所を片付けて床に入ったが、典子は興奮して寝られなかった。
 二階から、喜久夫が電話で話している声が聞こえた。
 おそらく、さっきのことを千紗に報告しているのだろう。喜久夫に負けて、即答してしまったけれど、典子の頭の中では、「軒を貸して母屋を取られる」という諺が、頭の中をぐるぐる回って、寝られるどころの騒ぎではなかった。

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2008年12月 1日 (月)

やっかみの風・23

11月のある日、近所の元お料理教室の仲間の一人が、赤とんぼの町、竜野に行こうと誘ってくれた。そこの「赤とんぼホール」という所で、その方の孫がピアノを弾くので、紅葉狩りをかねて行きましょうと言うのだった。その誘いを受けた時、典子はふっと、自分がいかに家庭内の微妙な心理の葛藤にのみ、心を砕いていたかに気づいた。久しぶりに爽やかな気分になって、みんなと一緒に出掛けるのも悪くないと思った。
 約束の日、駅について誘ってくれた奥さんを待っていると、きれいに髪をセットし、細身のコートにブーツをはいて、見違えるように美しくなった奥さんが現れた。
 典子はすぐさま自分の無様な格好と比べていた。
「戸川さん、今日は誘って下さってありがとうございます」
と、姿形を比較して、みじめになったことを隠して、典子は明るく挨拶した。
「柳原さん、お誘いに乗って下さってありがとう。今田さんは、まだ?」
と、戸川は周りを見回しながら尋ねた。
「もうすぐ次のバスが着くので、それで来るのでしょう」
「あっ、もう着きましたよ。出てきました」
と、戸川は今田が下りてくるのを見つけて言った。
 典子が見ると、急ぎ足で近づいてくる今田も、しゃれた帽子を被り、ヴィトンのバッグを肩にかけて、ファッション雑誌から抜け出してきたような格好だった。
 典子は、寒いといけないと、スーパーマーケットの婦人服売り場で買った新品のズボンをはいて、無地のセーターの上にジャンパーを羽織っていた。
 喜久夫が、おばさんスタイルといい、死んだ夫は何も言わなかったけれど、心の中で田舎のおばさん的な格好しか出来ない自分を、好かなかったのかも知れないと思った。今何気なくおしゃれをしている二人を見て、どうしたらそんな風になれるのか、見当もつかないと思っていた。
「こんにちは。今日はいいお天気でよかったわ。柳原さんとは、随分とご無沙汰でした。お元気そうね」
 と、今田は典子に挨拶する。
「お陰様で、元気です。今田さんは、一段とお若くなられたみたいです」
「そんなことないわ。もうシミが出て…」
「そう? 全然気にならないわ」
と、典子は今田の顔を凝視して、言う。
「切符は、みんな持っているの? さあ、行きましょう」
と、戸川がせかせて、みんなはホームに入って行った。

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2008年11月26日 (水)

旅行

26日から、28日まで、倉敷と尾道に行って来ます。

昔ご近所にいた方で、下関に引き上げられた方と、

一緒に旅行です。かれこれ、20年近く会っていないんじゃないかな。

この頃、いつ倒れるか解らないから、

なるべく会いたい人には会っておこうと思うようになりました。

帰ってきましたら、旅のこと、書きます。

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2008年11月24日 (月)

「英語でしゃべらナイト」

昨夕、「英語でしゃべらナイト」の公開録画を見てきました。

武庫川女子大学の講堂を埋め尽くす2400名が、見に来ていました。

すごい!英語好きが世の中にはごまんといるのだ。

その放映は12月8日です。

 日本の中だけで、英語の勉強をするというのは、

かなり難しいことだと思いましたよ。というのは、

外人の来訪者を想定して、八嶋くんが、「たこ焼き」を

実演しながら英語で紹介。ゲストのソンニが、「おにぎり」を

実演しながら紹介。もえが「ぼうずめくり」を英語で教えるのですが、

みんな四苦八苦していましたよ。

 英語落語の桂かい枝もゲストできまして、一席披露。

題は忘れたけど、失業した男が、動物園で死んだ虎の皮をかぶって、

檻の中で虎になっているというアルバイトを見つけた。

そこまでは、たしか日本語で説明。そのあとが英語。

檻の中で、虎を見ている子供のドーナツが欲しくなって、

人間の言葉で「腹減った。ドーナツ欲しい」みたいなことを言って、

子供にびっくりされる。(そこまでは私にもわかった。)

それでまあ、いろいろ虎の真似をしていると、園内放送が、

とらとライオンのショーがあると放送している。こりゃ大変と

、虎の皮を被った男はあわてた。そこまでは、私に理解できたけど、

その結末がわからない。おちが解からないのだから、笑いも出来ないけど、

みんなが笑っているので、私も笑ったかも。帰りに、中1の孫にきいたら、

ライオンも皮を被った人だったんじゃない、とか言うけど、

これも、英語習い始めたばかりなので、正解かどうか怪しいものだ。

 寄席仕立てだったから、パックンは濃い青の着物の着流しに変身。

これが、背が高いし、意外に良く似合う。青井アナは、燃えるような真っ赤な着物。

普通ではあり得ない色なのに、舞台は魔物。きれいに見えるんだなぁ。

ちょっとだけ、目の保養になりました。

 ところで、クリスマス・プレゼントにサンタ持ってきたものが何かを、

かい枝のグループが当てる。プレゼントは「大阪城」。

私たちは答えを知っていて、かい枝たちが何か言う度に、ノーとか、イエスとか、

拍手とかウォーとか反応してヒントを与えるのですが、

なかなか、正解に近づいていかないので、パックンが、なにか、こちらに質問した。

そのとき私がキャッチした言葉は、プラウドだけ。

プラウドってなんだっけって、おんぼろ頭でかんがえていると、

一人だけYESって、言った。パックン、一人だけって?変な顔。

後で考えたら、それを誇りに思っていますかだったのか。

だとしたら、YESが少なすぎるよね。でもさ、プラウドって言ったかどうか、

私の聞き取りもあやしいよ。でも、大阪城を誇りに思っていますか?

って聞かれたら、乗りのいい大阪人、思っていなくてもYESとか

迎合しちゃうとおもうけど、みんな、聞き取れなかったのかな?

会場はシーン。

なにしろ、自分が英語に弱いから、なーんともいえない、

正解なしの、一人で思い込むままをほざいている、今日の日記です。

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2008年11月19日 (水)

ファンクラブ

昨日、何気なく、歌謡コンサートをつけて、

そうだ古賀政男なんだ、いまいちだなと思って、

食事をしていると、なんと、秋川雅史が出てきました。

「丘を越えて」を、歌ったのでした。私はついに、

秋川雅史のファンクラブに入ったのでした。

ファンクラブ証のカードが届いたとき、

秋川のシンガポールでの出演に合わせて、

シンガポールまで見に行くツアーの募集が

入っていたのでした。シンガポールは行ったことが

ないので、行きたいなと思ったのですが、

諸般の都合で行かれません。なんや、追っかけの仲間の

心理状態に私がなっている。今まで、

そんなこと思ったこともなかったのに(笑)

まだ、なま歌は聴いたことがないので、チャンスをねらっています

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2008年11月13日 (木)

やっかみの風・20

その日は、千紗は二階にこもって、実家に帰るために荷物をまとめていた。典子は、あわててお土産に持たせるお菓子を買いに走った。千紗の実家に、お世話になる挨拶をしなければならないのだけれど、喜久夫に聞いて了解を得てからでないと、また悶着がおこると、夜まで待った。夜、喜久夫に実家の方に挨拶の電話をかけるというと、これは自分らの問題だから、おかんがしゃしゃり出なくてもいいと主張した。
 それでも典子は、
「挨拶もしないでは、私の常識が疑われるわ」
と、言うと、
「おかんは、高飛車なところがあるから、逆効果だ」
と、喜久夫が言った。
「どこが、私が高飛車なの?」
と、典子はとんがった声になっていた。
「いや、高飛車は言い過ぎかもしれないが、おかんは、お世辞とか普通の挨拶とかができないから」
と、喜久夫は言った。
 典子の頭の中に、またもや、夫に愛してもらえなかった人生が浮かんできた。
喜久夫のいうように、下手に出て、思う存分夫を自由に扱うことも出来たのではないか。好いてくれてないと思うと、反発の心のみが出ていた。自分と結婚する前に、夫が女とどんな交際をしていたのか知らないが、長い年月の間に、徐々に徐々に浸食するように、自分の方に愛をし向けることも出来たのではないか? それとも、男はロマンティックな生き物で、添い遂げられなかった女を、一生思い続ける動物なのか?
夫には下手に出られなかったけど、喜久夫夫婦には、自分を殺して下手に出てしまうのは何故なんだろう。その違いは、喜久夫は可愛いというひと言に尽きる。夫は、好きでなかった。好いてくれなかったからということもあるが、女心のわからない冷血漢と、泣かされることもあったのだ。財布は夫が握っていて、喜久夫の参観日に着ていく洋服を買いたいと言っても、贅沢だといって、お金をくれなかった。けちなお陰で、夫の死後、まとまったお金が貯金されていることを、知ったのだけれど、喜久夫がぐれかけていた時に、大分使われてしまった。
あれこれ思っているうちに、夜は更け、千紗の実家に挨拶しないままに、翌日千紗は喜久夫に送られて、実家に帰ってしまった。

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2008年11月 8日 (土)

筑紫哲也さん

今朝の新聞で、筑紫哲也さんが、亡くなったと知りました。

復帰を、今か今かと待っていましたので、

訃報を見て、がっかりしてしました。

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「天平倶楽部」と「子規の庭」


柔さん、お陰で、「天平倶楽部」と「子規の庭」の

ホームページがわかりました。

http://www.tempyo.com/

http://www.shikinoniwa.com/index.html

子規の庭のホームページから、

子規が泊っていた旅籠の名前も解りました。

その名は、屈指の老舗旅館「對山樓」(たいざんろう)ということです。

それから、またもや、私の鈍い頭の動きが、

発覚です。

「對山樓」で詠んだのは、

秋暮るる 奈良のはたごや 柿の味   (子規)

です。

東大寺の近くで、鹿がいて、どうして、法隆寺の鐘が聞こえてくるのかと

辻褄があわなかったのでした。

秋の贅沢。ひとつ、はりこんで、天平倶楽部で、ランチを

致しましょう。

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柿比べ

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時は江戸、文政12年(1829年)、有名な儒学者・頼山陽は、

箕面の紅葉を楽しんだ後、美酒を飲まんと伊丹に来たそうな。(飲兵衛か・・葉子の合いの手)

その時、岡田家の庭にある柿がデザートとして供されたそうな。(じゃじゃーん)

その柿は、あな珍しや、台柿という種類、

へたが台に乗ったように、実が波のように盛り上がっている。

(前々回の写真参照。台柿と、京大にある「菊平」という柿とは、検査の結果、DNAが同じらしい。菊平の写真参照)

酒盛りの中、岡田家の柿を食した山陽は、

あまりのおいしさに、もう一つ、と、所望したそうな。

山陽が愛でた台柿の木、それを守らねばと、

22代当主は、柿衞(かきもり)という俳号を

つけたそうな。

一方、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の、

正岡子規はどんな柿を食べていたか。

子規の孫(正岡家は養子をとった?)に当たる、

正岡明氏の語ったところによると、
子規は奈良の立派な、なんとかいう

(私はペンを持っていなくてメモできなかった=ぬけ作の葉子)

旅館に泊っていた。そこの若い女中さんが美人で子規は気に入っていた。

(こっちは、色好みか?=葉子の合いの手)

で、その女中さんに御所柿が食べたいと子規は所望したが、

その旅館になっている御所柿はまだ熟れていなかったか何かで、

もう一つの木の渋柿が熟したのを食べたのではないかとか

話していたようにおもう。それが、「子規の柿」と写真に出ているものです。

その柿を食べているときに、法隆寺の鐘が鳴った。

その、子規の滞在していた有名な旅館は今はないけど、

そこに「天平クラブ」というレストランが出来ていて、

そこのオーナーが、子規の俳句ゆかりの地ということで、

敷地に子規の庭を作ったらしい。

ちょうど、正岡明氏が、奈良にいて、造園の仕事をしているので、

子規の庭を中心になって造った。

天平クラブは、ちょっと値段が高いけど、食べなくても、

庭だけでも見られるから是非行きなさいと、

坪内氏はいった。

行ってみたい。けど、それがどこにあるのやら。

私はようきかなかった。

鹿も来るとか言っとったが・・

柿比べから、話は転がってしまったが、

家に帰って、高級レストランで、子規の庭があり、鹿も来る所に

行きたくないかい?と言ったところ、いつも趣味の合わない娘が、

行きたい、そういうところは行きたいのだという。

さてさて、天平クラブとやらは、どこだーい?


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2008年11月 7日 (金)

柿衞文庫

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清酒醸造で栄えた江戸期の伊丹では、俳諧文化が華開き、文人墨客(ぶんじんぼっかく)の往来も頻繁でした。この中で蓄積された文化遺産に故・岡田利兵衞さん(俳号・柿衞)の系統的な収集資料を加えて発足したのが財団法人柿衞文庫です。(伊丹市ウエブサイトより引用)

岡田柿衞 酒造家22代当主。俳文学者。柿衞文庫創設者。明治25年~昭和57年(1892~1982)

岡田家の庭には、樹齢300年を超す柿の木があったが、昭和63年に枯死した。

上の写真は、2代目の柿の木である。

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2008年11月 5日 (水)

昨日は何故幸せだったの?

柿って綺麗な色をしています。

柿の実のついた大きい枝が、野趣をおびて、

大きな花瓶に活けれています。

机の上には、子規の柿、や、頼山陽の愛でた

台柿が、白い紙の上にのっています。

その他、伊丹で栽培されているいろんな種類の

柿が、展示されています。

それで幸せだったの?

そうかも。

地元、伊丹市東野の園芸家、久保弥三雄さんという方が、

昨日に合わせて、渋柿の渋を抜いた柿を、

参加者全員に食べさせて下さいました。

その好意が幸せを運んだの?

そうかもしれません。

参加者にお土産に柿を一つずつくれました。

それが幸せな気分にさせてくれたの?

そうかもしれません。

坪内稔典氏のお話が面白いから

幸せだったの?

そうかもしれない。

今日になって考えれば、何がそんなに

幸せだったのかわからない。

夢の世界にいたような。

さて、本題の、子規の柿と、頼山陽の柿の

話は、明日でないと。もう、夜中です。

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2008年11月 4日 (火)

たかが柿、されど柿

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きのう、伊丹市の「柿衞文庫」の講演会

「柿くらべ 台柿(だいがき)と子規の柿」というのを聞きに行って、

とても幸せだった。その顛末は、今夜書きます。

(今日は能率悪く、今夕方6時というのに、

晩ご飯のおかずの買い物に今から出掛けるという

泥縄さんです。)

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2008年10月30日 (木)

石清水八幡宮へ

 富予算 アクセス 書きます。
 
武庫之荘ー梅田ーーーJR大阪ー京橋ーーー(京阪)京橋ー八幡市ーーーケーブル

ーーーの所は、歩きます。JR京橋から(京阪)京橋も、一旦外に出ます。

表示に従っていけばOK.

行きはケーブルでも、帰りは、足で下りてもOK.

行きも歩いても良いけど、ケーブルも面白い。といっても、

男山は小さいので、六甲のケーブルのような、

面白さはないです。 

それから、八幡市駅は鄙びていて、うどん屋ぐらいしかない。

私たち、老婆3人、枚方市駅で、下りて、駅ビルで

スパゲッティ食べてから、又、乗りました。

帰り、走井餅が老舗とかで、そこで、走井餅たべて、

お土産も買って帰りました。

駅前で聞いたら、走井餅の店、教えてくれましたよ。

では、GOOD LUCK! 

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2008年10月29日 (水)

やっかみの風・16

でも、と、典子は考える。喜久夫が千紗に生き甲斐を見いだしていてくれるから、平和が帰ってきたのだ。千紗に対して不満をぶちまけてはいけないのだと。喜久夫が不甲斐ないから、生活費が賄えない。生活費が足りないから、千紗が働いてくれているのだ。典子は今更働けない。とすれば、自分は裏方にまわって、千紗が働きやすいような環境を整えてやるのが使命ではないのかと。
 その日も、典子は、千紗が七時まで働くと喜久夫に答えていたのを聞いていたから、七時にご飯が炊きあがるようにしかけ、冷シャブを作ってお皿に盛りつけ、一人で先に食べる気にもなれないので、帰りを待っていた。
 千紗のパート先のコンビニは一駅向うだったけれど、遅くても三十五分で帰れる。八時にはどんなに遅くても家に着くはずと待っていたが、八時になっても帰らない。喜久夫はその日の都合で、帰宅時間が違うから当てにならなかったが、パートは時間がきっちりしている。七時までといえば七時にあがるはずだ。それが八時になっても帰らないので、いらいらし始めた。先に食べていた方がいいかなと思いながらも、もうちょっと、もうちょっとと、いらいらしていると、喜久夫の携帯から電話がかかった。
「おれだ。今日は千紗と帰りの時間が合ったので、買い物している。帰りは九時頃になる」
と、一方的に言って電話がきれた。
「ちっ」と、典子は舌打ちした。
 千紗が誘い出したにちがいない。それならそれでもっと早く電話をくれれば、こんなにいらいらしなかったのに、と、思い、一つの大皿にきれいに盛りつけた冷シャブから、自分のお皿に一部をとって、一人で先に食べ始めた。待っている自分が無視されたようで、無性に腹が立った。腹立たしさで、食事を味わう余裕もなく、ただ、口に放り込んだような食べ方だった。大皿を見ると、自分が小皿に取ったところが、銀杏型に欠けていて、バランスが崩れていたが、お箸で寄せてきれいに直すのも腹立たしく、そのままラップを掛けて、冷蔵庫に入れた。
 

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2008年10月24日 (金)

やっかみの風・14

十二時前にドサドサドサッと階段を駆け下りてくる音が響いて、喜久夫がトイレに飛び込んだ。その後を追うように娘がゆっくりと降りてきて、ダイニングにいる典子を見つけて、
「おはようございます」
と、悪びれた様子もなく、笑みを含んで典子に挨拶した。
 喜久夫と娘がダイニングに入ってきたとき、典子は、冷蔵庫にしまってあったサラダを取り出し、お湯をわかし、食パンを焼いて、二人にすすめた。
「おかん、あとは自分らで出来るから、おかんは自分の仕事してたらいいよ」
と、喜久夫が典子を追い出すように言った。
 折角だから、みんなと談笑したかったのに、と、典子は思った。あとは自分達でできるって言ったって、あとは、なにもすることないじゃない、今までの準備が大変なのに、と、
典子の心は穏やかでない。
 居間に来て新聞を広げてみるが、読む気にもなれない。そのうちお腹が空いてきてキッチンを占領されているのが、腹立たしくなってきた。聞き耳を立てるわけではないが、二人が典子の知らない人の噂話を楽しそうにしているのが、いつまでも終わらないので、意を決っしてダイニングに行き、
「お母さん、お昼ご飯を食べないと、お昼から約束があって出掛けるのに間に合わないから」
と、言って、お茶を沸かしにかかった。
「すみません、ご馳走様でした」
と、娘が食べたもののお皿を、流しに運んできた。
「ああ、置いといてよ。後で片づけるから」
と、典子は言ってしまった。
「すみません」とまた言って、二人は二階に上がっていった。
 典子は、その日は予定は何もなかったのに、約束していると言ってしまったことに腹が立っていた。また行きたくもないショッピングセンターをさまようことになる。それまでに娘が出ていってくれるといいがと、思っていると、二人はさっさと身繕いして出て行ってしまった。喜久夫に聞きたいことはいっぱいあったのにと、典子は息子までが出て行ってしまったことに失望していた。娘はあどけない顔をして、高校を卒業している年齢に見えない。もし、在学中の子であったり、中学卒業で高校に行ってないとしても、十八歳未満だったら、どうしようかと心配になり、そこを早く聞いてみたかった。喜久夫はもうはたち過ぎたから、結婚も出来るが…。
 その日の夜中は喜久夫一人で帰ってきた。
「喜久夫さん、今日の子はどんな子? 外泊したりして、ご両親は叱らないの?」と、恐る恐る尋ねた。
「両親は田舎にいて、千紗は友達三人でアパートを借りているから、大丈夫だ」
「あの子は、いくつなの? 高校は出ているのかしら? まだ十八になっていなかったら、親の承諾がないと、結婚できないし、無理矢理連れてきたりすると罪にならないかと、心配だわ」
「ああ、アホくさ。そんなこと気になったのか。千紗は高校卒業して出てきたんだ」
「よかった。でも、相手に結婚を迫られたとき、結婚をしたくないような子だったら、うちには連れてこないで。親が黙認してたとなると、私の責任も問われるから」
「もう、千紗とは結婚を約束している。千紗の親が承知してくれれば、結婚することにしてる」
「お母さんには何もなしで、そんなこと勝手に決めて…」
「だから、昨日連れてきて見せてやっただろう」
「生活費はどうするの?」
「お金貸してくれ。生活費は、千紗の親も今のままでは結婚させない、千紗の叔父のペンキ屋で働いて、六ヶ月働きぶりを見てからよかったら結婚させると言っているのだ。だから、給料くれるので、何とかなる。だけど、結婚式も簡単でもしないと、いかんと言うのだ。結婚式の金を貸してくれ」
「そんな話まで進んでいるのに、どうしてお母さんには言わなかったの」
「急に親に会いに行ったのだ。急に決まった話だ」
「勝手な…。お母さんの方に先に相談してほしかったわ」
「おかんは、賛成してくれると思った。向うの親が駄目と言ったら、おかんに先言うていたら、がっかりするだろう」
 典子はその言い分にがっかりした。自分は男の子の親なのに、女の子の親に主導権があるなんて、許せない。喜久夫のようなフリーターの子に、娘の結婚を、まだ若いのに許すということは、娘も手に負えない不良だったのではないかと、口に出かかったが、そんなことを喜久夫が聞いたら、また、暴力が始まると、腹の中だけに納めた。
「おれは、ペンキ屋で来月から働く。六ヶ月働いても、結婚式や新婚旅行の金はできない。な、おかん、五十万円貸してくれ」
「あんた、まだはたちそこそこで、一生あの子とやっていけるのかい。もっといろいろ見て、視野を広げてから結婚しないと後悔するよ」
「いや、千紗がいい。千紗はおかんのようにしっかりしていないけど、柔らかくて可愛い」
 喜久夫、なんていうことを!と、典子は心の中で叫んだ。目の中に入れても痛くないほど可愛がっていたのに!
 典子の心は波打ったけれど、喜久夫が千紗によってまともになっていっていることは、否めないので、喜久夫の言葉と戦うことは出来ないのであった。
「結婚式の費用は、親の役目だから、出して上げます」
と、典子は言っていた。
 二年の間、むしり取られるだけむしり取られて、まだ、五十万円出そうとしている自分に、甘すぎると思いながらも、喜久夫の二年間の恐怖を思うと、退かざるを得ないのだった。
 

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2008年10月23日 (木)

やっかみの風・13

眠られぬまま目をつぶって考えをめぐらすと、ここは怒りを胸に納めて、喜久夫の連れてきた娘を認めてやる方が得策だと思うようになった。この二年間のやんちゃ、無謀、金のせびり、暴力すれすれの突き飛ばし、等々を思うと、娘に寄ってかしらんが、二ヶ月も働きが続き、素行も修まってきた喜久夫に、今更反対をするべきではないと思うようになった。娘に腹を立てる場合でなく、娘に感謝しなければならないのだと、悔しいけれど考えるのだった。そう腹をくくると、すっと怒りが解けて眠りに落ちたのである。
 翌朝、典子はサラダを作り、じゃがいもをゆがいてベーコンと炒め、パン、バター、チーズ、ジャム、と出来るだけのことをして、二人の起きてくるのを待った。二人が起きてきたら、三人で食べようと、心待ちにした。けれど、二人は起きてこなかった。九時まで待って、諦めて一人で先に食べた。それから、庭に水をやったり、洗濯をしたりして、今か今かと起きてくるのを待ったが、十一時が来ても起きてこなかった。
 典子は礼儀を知らない娘だなと腹が立ってきたが、喜久夫を更生させてくれようとしている娘に対して、あらわに嫌悪を表してはいけないし、表面を繕うだけでなく、心から娘を認めていかなければならないと、怒りを抑えるのだった。

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「ロシアの少女」はこれ

Rosianosyoujo


またもや、間違いを平気で書いていました。前にあげた佐伯祐三の絵は、「人形」という絵でした。いま、出したのが「ロシアの少女」です。またもや、人様のブログを見ていて、気がつきました。全くのおっちょこちょいです。題名を間違えていました。

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2008年10月22日 (水)

やっかみの風・12

翌日になると、本当に喜久夫は出掛けていった。どうせ、すぐ嫌になるにちがいないと思っていたのに、意外と二ヶ月も長続きしている。よかったと安堵しているところへ、喜久夫は千紗を連れて帰ってきた。夜中の十二時だった。
「この子な、終電に乗り損ねた。泊めたって」
と、悪びれた様子もなく言う。
 典子が初めて見る女の子は、まだ、高校生のように見えた。
「あれぇ、二階の間は荷物を積み上げてあるので、ちょっと片づけなければ・・・」
「おれの部屋でいいよ」
「へぇ?喜久夫さんのお部屋でいいの?」
「ええよ。な、」
と、喜久夫は娘に問いかけた。
「ええ、大丈夫です」
と、娘はきれいな薄い唇を開いて笑いかけた。
 典子は度肝を抜かれてしまった。
 喜久夫は成人しているのだから、女を知っていてもおかしくはない年だと思わなければならないのだけど、典子には晴天の霹靂という感じだった。
「おかんは、もう寝ていい。おれたちはおれたちでやるから」
と言うと、喜久夫は娘に向かって、
「おれの部屋は二階だ。おいで!」
と言って、連れて上がってしまった。
「ご迷惑をおかけします」
と、可愛い声でべちゃっと甘えるように言ったのが、耳に残った。
 ああ、ああいうふうにして、喜久夫をたぶらかしたんだ。大切な私の息子を、私の腕の中から取り上げていったのだ、と、典子は瞬間思った。
 一生懸命、息子とともに苦労してきたのに、赤の他人がたった二ヶ月で、盗ってしまった。そう思えて、馬鹿馬鹿しくなり、喜久夫が帰るまで、床もとらずに映画に見入っていたテレビのスイッチをパチッと切り、押入から布団を出して横になった。

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2008年10月19日 (日)

人形(佐伯祐三)

Rosianosyoujo


展覧会で買ってきた「人形」の小さい額の絵です。

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佐伯祐三展

今日で終わる佐伯祐三展を、昨日、大阪市立美術館で見てきました。

すごかった。よかった。110点という数の多さ。

大阪出身の画家だから、美術館も力が入っていることでしょう。

佐伯祐三の絵というと、パリの建物、カフェやノートルダム寺院や

が、中心なのでしょうが、私は、「人形」という、死の前、

3ヶ月間に描いた絵を買ってきました。

何かバランスがくずれているようで、きつそうな目の少女、

これはよくない、と、見ながら思ったのに、反発は

惹かれているの反義語、両者通じるところが

あるように思います。反発すると言うことは、

それだけ、心に何かが残っているのでしょう。

それに、大抵の絵は、実物を見ると、

プリントはちゃちで買えないのですが、

この「人形」だけは、その反対で、

プリントすると、一層その華やかさが浮き立つのです。

そういう経験は初めてでした。

帰って、孫たちに見せると、孫はテレビに夢中で無反応だったけれど、

娘が、その絵欲しかったと言うので、置いてきました。

30歳で逝った画家、その夭折が惜しまれます。

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2008年10月17日 (金)

コロー展

この間、神戸市立博物館のコロー展、駆け足で見てきました。

駆け足というのは、孫2人も一緒だったので、退屈して早く早く

って言うからです。

亭主がコローの風景画はいいよって、前々から、感に

耐えないように言うので、すわっと、飛んでいったのでした。

うちにコローの森の絵が、飾ってあります。(単なるプリント)

それを見ていると、森の背後に、何か魔的なものが隠れているような

神秘性を感じていました。そこを、亭主が気にいっているのだなと

思っていました。私もその神秘性が好きでした。

で、実物にふれると、うちにあるのと同じ絵はなかったのですが、

特に、神秘性はなく、写実でした。

それで、少し拍子抜けしているところに、娘が言いました。

おじいちゃんが、コローの風景画が好きなわけがわかった。

生まれ故郷の、新潟、中条の景色に似ているからよ。

ほら、みてごらん。この川、この森。

へぇ!似ているの?

娘は、中条には3回しか行ったことないのに、

よくわかるわねぇ、私は7回は行っているけれど、

気がつかなかった。

で、それが正しいかどうか、家に帰って、

亭主に、娘の言った言葉を言って、質してみました。

そうしたら、「そうだ、似ているからという面もある」と言うのでした。

やっぱり、他人の私より、血をひいた娘の方が、よく理解できるのだ。

わたしは、単に似ているだけで好きだ、と言われたら、

ちょっと、がっくり。単純すぎる。森の背後に潜む神秘性とか、

勝手にいいたい。でも、写実でした。だから、故郷の

風景に似ていて惹かれるでいいのですけど。

それにしても、私は、似ていると思わなかった。

「樽が橋」とか言うところにも行ったのだけど。

娘は、行ってないと思うけど・・・

娘も風景の絵を、買って帰っていました。

亭主が行ったとき、同じ絵を買ってきたとしたら、

それこそDNAですね。それまで、見せないでおいてもらおう。

面白いじゃない。ちなみに、私は何にも買いませんでした。

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2008年10月11日 (土)

ボヴェ太郎

 ボヴェ太郎のダンスを伊丹アイホールで観て来ました。

実はボヴェ太郎さんて、何者だか全然知らなかった

のですが、新聞の小さい囲み欄で、今作『Texture Regained

ー記憶の肌理ー』は、マルセル・プルーストの小説『失われた

時を求めて』に想を得た新作。と紹介されていたのです。

共演者は、文学座の若手女優、渋谷はるかさんとも。

 実は私の学生時代、プルーストの『失われた時を求めて』

は流行っていました。これを読んでない者は肩身が狭い

というほどに。実は私は長編はいつもよう読み切らない。

で、肩身が狭かった。そこで、そんなのに想を得る

舞踏家って、どんな人だろうって、好奇心で観に行きました。

 彼はなんと27歳のイケメン、ハンサム。黒装束に足袋で、

舞台の上でなく、フロアで踊る。ゆっくり、ゆっくりと、粘るように

流れるように。Haruka Shibuya は、ひたすら、プルーストを

朗読する。照明は暗い。スチールの簡易な椅子に座った

観客はたった50名くらい。誰も幕間でも物音ひとつ立てない。

静か。独特の雰囲気。

 私は朗読が終われば、音楽が奏でられると思っていたけれど、

最後まで、音楽はなく、Haruka Shibuya の静かな朗読に合わせて

踊り続けたのだ。

 うーん、こんなのは初めて観た。プルーストの文章はさすがだ。

空想をかきたてる。テキストは<ちくま文庫>と書いてあった。

 おそまきながら、私も買ってきて読もうか。読み切れるか?

投げ出すのがおちか?

 あの観衆の静けさはどこから来たのだろうか?

見に来る人の嗜好にもよるだろうけれど、大半が私のように

一人で観に来ているので、しゃべる相手がいないからだと思う。

 ひとりで行動する一匹オオカミに好かれる舞踏なのか?

わからない。だけど、なかなかに心にしみる公演でした。


 

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2008年10月 7日 (火)

悲しくも霞に満ちた浮き世かな

Ataminonagame

熱海の同窓会に行って来ました。

皆70か71歳。元気な人のみが来るから、

信じられないくらい、みんな元気です。

今年は、関西で6月、関東で10月と2回ありました。

関東だけにしか出席しない方には、3年半ぶりのお目もじです。

この歳になると、亡くなった方への黙祷から、

同窓会が始まります。この3年半の間に

関東の世話役をずっとつとめて下さっていた方も

亡くなり、知っているだけで、4人の方々が亡くなりました。

全部男性でした。私達は学年で同窓会をしているので

同じ学年の卒業者は350人。同窓会に集うのは

大体メンバーが決まっていて、いつも35人前後です。

その時々で、出欠が入れ替わるから、あと、30人くらいは

参加される人がいますので、65人くらいが、

同窓会に興味を持っているといえましょう。

5人に1人の割合です。

ところで、帰りしな、熱海城を見学しました。

山の上に立っている熱海城の最上階6階の

展望台よりの眺めは抜群です。

近くには初島があり、太平洋の海が広角で

眺められます。

一方では、熱海の街が見えます。

写真は、熱海城の展望台から、熱海の温泉街を

眺めたところです。

ところで、お城の地下の展示場で、何が展示されていますか?

はい、浮世絵です。浮世絵でも、「はる」画です。
(このように書かないと、○ッちコメントがくるので、ご想像ください)

で、見学者は、70歳の主婦あがり(?)の女性5人。

気持ちが悪いという人も出てきました。

「喜んでるのは、葉子さんだけだ」って、みんなが囃して、

葉子さんは、嬉しそうに大声で、げらげら笑う始末。

お城に△△画。似合わない。温泉所、熱海の人寄せ作戦か?

それはさておき、雨女の葉子さんのご「臨席」で、

やはり雨。

いつでも、靄や霞や霧のかかった海や山を眺めています。

ああこれが私にふさわしい眺めなのかと。

靄のとれた、晴れた海を眺めてみたい。

霞かかる海を眺めながら、「私の人生もこんなものかな。

晴れ渡る時はない、いつも靄のかかった人生だ」って、

思いました。まあ、浮世絵も見たし、「浮き世かな」って

タイトルを締めくくりました。


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2008年10月 4日 (土)

努力

「私の辞書に『努力』という言葉はない」と言うくらい私は人生に於いて努力をしなかったのです。(はずかしや)

 気の向くままに生きていたら、7年前に買ったスカートが、7㎝合わなくなったのです。1年に1㎝ずつ、ウエストが大きくなっていったのです。

 巷の友人はそれはひどい、スイミングをやりなさいと言いました。
一方、うちの旦那は目的に向かって努力するタイプみたいで、今まで、自転車は乗れるし、社交ダンスは出来るけれど、歩くとふらふらして歩けないといって、50㍍も歩いたことがなかったのに、高野山に一度行ってみたいと思い出したらしく、それには、歩けないと行けないと思ったようで、この頃では公園で自転車を停めて歩く稽古をしているというのです。また、堤防に登る坂道を登ることも繰り返しているとか。

 我が輩もここでいっちょ努力するか、と、思ったのです。

 たまたま、道で昔の公民館のジャズダンスの仲間にあい、公民館祭に出演するからと聞いたので、見に行きました。そこで、ストレッチだけでもまたやりませんかと誘われて、10年のブランクがあるのに、今日から仲間に入れてもらったのでした。公民館活動ですから、そんなに激しくない。月3回しかないので、メタボにどれくらい効果があるかわからないのですけど・・・ウエストがくびれていなくて、お腹が突き出ているので、鏡に映った自分は、ビヤ樽そのものです。うーん、こんな自分を、よく昔の仲間が呼んでくれたと感謝しています。

 明日の夜は熱海でビールやら、ご馳走やら。また、太って帰ってくることでしょう。

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頓挫

小説を書くことが、途中で止まっています。

合宿から帰ってきて、もう1週間以上たちましたのに・・・

今朝書こうと思って、PCを開いたら、一人暮らしの81歳の

ご近所の奥様から電話があって、1時間以上しゃべり、

外出の時間になったので、PCを閉めました。

この奥様から学ぶことはたくさんあります。

時代の先端的生き方ではないでしょうか。

全財産の管理を、福祉を心がけている弁護士に

すべて預けました。

月々入る年金の通帳と、若干の余裕の金子の入った通帳だけ

手元に置いて、あとは、管理してもらっています。

この方は元もとお金をいじりまわすより、

好きな趣味に生きているのが好きな方です。

家計は全部自分が握っておきたいという私とは大違いです。

よくしたもので、うちは、亭主が、この奥様的です。

そして、奥様の亡くなったご主人が私的で、ぜんぶ経済的なことは

していたのです。だから、夫婦間で、お金の奪い合いは起らなくて・・・というわけでした。

彼女は、自宅と駅の1.5㎞の間を、病院に行くために

うろうろするだけなので、洋服もいらないし、装身具は

一通り持っているので、欲しい物もないし、お金はいらない

ということでした。それが10年後の私の姿かと思います。

ただし、今は、まだまだお金のいる欲望ばかりです。

5日と、6日は、またまた同窓会があり、熱海に行きます。

着ていく洋服がなく、大丸と阪急を経巡りましたが、

ふとっちょに合う洋服は高く、

「あーあ、お金に糸目をつけずに、10万円くらい

ぽんと出せば、ふとっちょでも、貴婦人に見える

洋服があるのになあ」と、溜息の出るしまつ。

(ふとっちょ=159㎝65㎏)coldsweats01

彼女は自分みたいになるとつまらないよと

言っていますが、絶望はしていません。

思いついたことを、5,7,5 にまとめてみたり、

水墨画をノートに書いたり、PCでゲームして

遊んだり・・・と。

目は両眼とも黄班変性症になっていて

見えにくいのですが、朝の調子のいいときに、

字を書いています。15分くらいすると、

ぼーっとしてくるので、止めるそうです。

自分の黄班は、飛び出す方でなく、

陥没する方だから手術はできないと

言っています。でも、明るい。

見習うべきです。

才能豊か。お花などいけると、本当に上手。

ユーモアもある。

私と彼女の共通の友が、山口に帰って久しいので、

二人の写真を送ろうと撮りに行くと、

「いま、ダイヤの指輪を出していたのよ。さあ、この指輪の

手を撮って。『誰しもひとつはキラッとした物を、持っているというけれど、

私の持っているキラッとした物は、ダイヤだけ』」って、いうの。

そのギャグには笑っちゃった。わざわざ、探して出して実行するのが面白い。

勿論、その写真も撮って送りました。

そんなこんなで、気の合う二人。1時間や2時間の会話は、

あっという間に過ぎてしまいます。

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2008年10月 2日 (木)

シャガール展2

恋人が抱き合って空を飛んでいる。

夢があって楽しいです。

子供が生まれて、男の子を期待していたのに

女の子だって、がっかりして、なかなか祝えなかったけど、

最初に贈ったお祝いの花束が、鈴蘭の花束。

やっぱり画家の花束だけあって、センスがいいなあ。

私も自分にこんなのを真似て、鈴蘭の花束を贈りたいなあ。

花屋の前にたったら、高くて買えないだろうなあ。

ミモザの中の恋人たち。いいなあ。

シャガールだと子供にも楽しめて、

孫と一緒に見られてよかった。

「あの自画像うまかったなあ」と、

学校で、鏡に写した自分を描いた孫は言う。

「弟ダヴィッドの像も迫力があったよ」と私。

ゴーゴリの「死せる魂」の挿絵のための、版画。

あれは地味だけど、ゴーゴリーの小説を読んだ

者には、わかりそう。シャガールが自分から

選んで、死せる魂の挿絵をかいたこと。

ロシアを愛していたのだろうけれど、

革命政府に夢を託して、後に次第に

失望していったこと。などなど、解説を読んで

よく解りました。

シャガールの絵を、タピストリーにした人。

まるで、布に油絵の具で絵を描いたような出来に、

私は、何度も端に行って、裏を覗きました。

織り糸の端が見えました。

赤色の好きな私、シャガールの赤にも吸い寄せられ

るようです。

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シャガール展

Syagarusora Syagarubira

Syagaru

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つぶやき

人生が嫌になったのなら、自分一人で死ねばいい。

関係のない15人の命を奪って自分は生きているなんて・・・

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2008年9月27日 (土)

彦根・竹生島・玄宮園

同人誌の合宿は、お天気に恵まれ、まず、彦根港から竹生島に渡りました。40分の船中もおしゃべりであっという間でした。この時は5人。ひとり、大阪から敦賀行の新快速に飛び乗ってしまって、湖西線の方に行ってしまい、軌道修正して湖北を回ってきたものの、乗船時間に間に合わず、一時間後の船で、島に到着したという人もいました。happy01 皆も笑い、ご本人も笑っていました。帰りの船では、「あれが比叡山?」と私が聞き、「比叡山は反対側、あれは伊吹山」とか笑われて、物を書きたがっている人の集まりとしては、かなりおつむの方があやしい集団ではあります。夕食はかんぽの宿でとって、そこからマイクロバスで、夜の玄宮園に連れて行ってもらいました。玄宮園では、「虫の音を聞く会」という行事が、9月30日まで行われていました。では、チラシのキャッチフレーズ紹介します。「虫の音(ね)が綾なす 名城の月夜の夜想曲(ノクターン)」ですとさ。「日本の音風景百選」とも。

ライトアップされたお庭に入ると、池に逆さに大木が映っていて、物恐ろしく深く深くどれだけ深い水かと思わせられるし、水はとても澄んでいて綺麗だし、大層幻想的な風景が展開されていました。で、案内の男性ガイドさんに聞いてみると、実際は落ちても大丈夫な位の深さだし、水も、そんなに澄んでいるのではなさそうです。ライトアップによるトリックでした。紅い毛氈の床几の下に、鈴虫の籠が置かれていました。これは、自然ではなく、置いてあるのでした。でも、それもよし。

夜の、大名庭園を満喫して帰ってきました。

さて、恒例の句会。いつものことながら、わたくしは、ポンコツ頭を叩いて、ひねりだすことに。

ライトアップ 池水に映る 秋の樹々

湖を はるかに下る 萩の道

たそがれの 堂を出づれば 紅芙蓉

弁財天 守る宇賀神(うがじん) 秋の堂

草の実は ルビーの朱(あか)よ おかあさま

翌日は、持ち寄った自前の作品を朗読して合評会。この時はもう一人増えて7人の女性。皆、60歳以上かな。

お昼まで何とか私の体は持ちましたが、お昼頃から、熱っぽくおかしい。喉が少し痛かったのに、治るだろうと出てきたけれど、悪い方にいってしまったらしい。きつね蕎麦を注文したものの、3口と食べられない。ふらふらする。ひとり先に部屋にかえって、思いついて、フロントに病院を紹介してもらった。彦根市民病院が、時間外だけど診てくれるといったので、タクシーを呼んでいきました。まあ、近いと思いましたら遠い遠い、往復3000円かかりました。熱は38度3分。もらった薬は、「PL」。これなら、家に飲み残しがいっぱいあったのに、持って出ればよかった。時間も2時間半くらいかかっている。不用意なお馬鹿さん。あとは、みなが侃々諤々やっている傍で寝てばかり。おかげでましになって、夕食は食べられ、翌日は長浜の黒壁街まで足を延ばして帰ってきました。

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2008年9月22日 (月)

明日から

明日から、同人誌の合宿で、2泊3日で彦根に行きます。

ブログは26日までお休みします。

行ってきまーすsun

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2008年9月15日 (月)

布引の滝

那智の滝の記事にコメントして下さった、

圭太さんのブログを見ましたら、

きれいな布引の滝の写真が出ていたので、

刺激されて、昨日、布引の滝に行ってきました。

もう35年は行ってないと思います。

私が記憶していたのとは違っていて、

沢には下りられませんでした。

どうして、こんなに記憶は曖昧なのでしょう。

がっくりきました。

岩から岩に飛び移って、水に手をひたしたという

思い出があったのに・・・

記憶とはかくも当てにならないものかと、

嘆いています。

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2008年9月14日 (日)

同級生

同級生が亡くなり、涙がでます。

小学校4年生から、3年間、組替えなしの

持ち上がりで、ずっと一緒のクラスでした。

彼はいつも級長。

詩を作り、絵が上手でした。

文学の道に進みたかったようなのですが、

諸事情があったのでしょう、医学を究め、

精神科のお医者さんになりました。

昨年の8月に胃ガンの手術をしたと言い、

「だけど、まだ2,3年は死なないからね」と

言ってくれました。

本人がそう言うのだからと、信じていたのに・・・

この間の、6月28日の南港での同窓会には、

奥様と一緒に徳島からバスで来て、一泊、

海遊館まで見学して帰ったのに・・・

今から10日も経っていない前、きのう入院しましたと

奥様から電話いただき、お見舞いに

帰る日を、ぐずぐずと模索している間に、

突然亡くなってしまいました。

「まだ、2,3年は死なないからね」という

言葉が強く残っていて、まだまだ大丈夫と

楽観していたのが、いけなかったのです。

同窓会では、お食事に全然手を付けなかった

って、聞いたのに、離れた席にいたので、

実感がわかなかったというのも、世慣れない

私の愚かなところでしょう。

お見舞いに行って、何を話すということも

ないのだけれど、心残りです。

戦後の小学校の校庭で、駆けずりまわって

遊んだ記憶は、懐かしいものです。

ゆっくりと思い出を話し合うひまもなく、

彼は逝ってしまわれました。

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2008年9月 9日 (火)

那智の滝

Natinotaki

有名な那智の滝を見たことがなかったので、ツアー

に入って見てきました。滝はやっぱり下から見るのに

限ります。青岸渡寺の広場から見たのでは、見る高さが

滝の中程までになっているので、落差133メートルと

いう凄いところが感じられないのです。もっといえば、

滝のしぶきを被るという場所で見るのが最高と思い

ますが、残念ながら、ここはそうなっていませんでした。

その点、箕面の滝や、神戸の布引の滝は、滝のすぐ

近くまで行かれて、楽しいです。(だいぶ前に行った

記憶ですから、今はどうなっているやら)

たしか、高校の修学旅行で行った華厳の滝は、

その後も一度行きましたが、水量がすごかったと

思います。二、三年前に、ほうほうの体でたどり着い

た養老の滝は、緑がきれいでした。

だんだんと、足腰が弱くなるけれど、今のうちに

少しでも、見ておきましょう。

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2008年9月 7日 (日)

秋川雅史

 「千の風になって」の歌から、秋川雅史のファンになって、

コンサートに行きたいなって、調べていたら、適当な

近場がなく、ひょっと日本直販の広告にひっかかって、

DVD「秋川雅史 '07 東京 千の風になって」という

のを、ネットで購買しました。4800円のものが、

代引き料、荷造り料をとられて、6045円。

4800円ならいいが、6045円となると、高かったかな

って、感じたのだけれど、今日見てみて、大満足でした。

彼はイケメン。声、顔、姿、洋服、髪型、歌い方、態度、

すべてにおいてイカシテています。

うっとりしていて、ふと気がつくと、彼はわが息子と、

生年月日が、6日しか違っていないとわかりました。

(秋川が6日早い)

へぇ、息子のような子供に憧れているのだなって、

おかしな気持ち。息子を1時間半もうっとり眺めている

ってことはないです。そこが、芸術の力なのでしょうね。

秋川が小さい頃から音楽家になるのを夢見ていて、

「夢の形は、その時々によって、形を変えるけれど、

夢の大きさはずっと変っていない」と語った言葉が

心に沁みて、孫にいい言葉でしょうと言うと、

「それは誰かが書いたのを、言ったまでだ」って、

醒めているので、「そんなことはない。自分の言葉よ」

と、言ったのです。

 さて、ファンクラブは、年会費5000円。息子のような

子供に、ファンクラブの会員になるのは、おかしいかしら。

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2008年9月 1日 (月)

塩田千春展

Kutu  

私、現代美術って本当にわからないのですよ。

やたら大きくて、廃品の山みたいなものがあったり、

許容量の小さい私の感性では、消化不良になるものが

多かったのです。いけないと、思いつつ・・・

 でも、この間、モディリアーニ展の所で、同時に展示

されていた、塩田千春の、赤い糸で、おびただしい古靴を

結び付けた作品は、糸の美しさで、私を惹きつけたのでした。

糸の色や、素材が美しいというだけでなく、糸の張り具合が

何ともいえなく、気持ちがいいのです。それに、よく見ると、

その糸の先に結び付けられている古靴(片方のみ)には、

その靴にまつわるエピソードが、ひとつひとつ違った字で

書かれているのでした。ゆっくりそれを読んでも、

楽しいことでしょう。その作品のタイトルは≪大陸を超えて≫

というものらしいです。

その他に、ベッドがたくさん並んでいて、そのベッドの

一つ一つの周りを黒い毛糸で網の目みたいに

取り囲んだ作品も、何か分からないけど心地よい。

(解説で、黒いのは毛糸と知ったけれど、自分の

見た目には、黒い針金と思っていたというあほ)

気持ち悪いのが現代美術と思っていたけれど、

気持ちのいい現代美術もあるのだ。と、

あくまでも、ありきたりな感受性で、考える私でした。

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2008年8月24日 (日)

帰省

こんな年になって「帰省」というのも、おかしいかしら。

「故郷に帰る」のが帰省なら、使っていいかな。

明日から3日間 故郷 徳島に帰ります。

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2008年8月22日 (金)

帽子と日傘

 うちの旦那が、見知らぬソフト帽を被って、

待ち合わせ場所に現れたので、

「何、その帽子?」っていうと、

「中原中也の真似をして、買ったんだ」って、

粋がっていたけど、それと裏腹に、

「実は、来る途中で、帽子が飛んだので、

急ブレーキをかけたら、自転車がひっくり返ったのだ」

というではありませんか。「幸い骨は折れなくて、

打ち身だけでよかった」って。

年甲斐もなく、洒落のめすからよって、思いましたわ。

 さて、先日、私が、日傘をさして、スピード出して、

自転車で急いでいました。狭い歩道に向こうから

自転車が来たので、右へよけたら、よけすぎて

溝をガードしたフェンスに右腕をこすって、

倒れたのでした。

 倒れる瞬間、自転車から手を離さないと、

一緒に倒れると思って、自転車のハンドルから

ぱっと手を離したので、右腕をこすっただけで、

怪我なしでした。

 年寄りの冷や水。

もう、帽子も、日傘も、やめなければ・・・

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2008年8月18日 (月)

今日のトピック

今日、道で女友達に会って、立ち話。

「医者の前で、血圧を測ると160にもなって、

そんはずはない、しばらく待ってって言って、

測りなおしてもらうと、140。家では正常なのに。

私、意外とキ○○マが小さいのね」

えっ! なんかこの言葉違う! と思うんだけど、

わからない。

それで、私のとっさの言葉。

「なーによ、そんなもの持ってないくせに」

これも、おかしい。

「いや、きもったまの小さいことを、アリのキ

○○マっていうでしょ」

えーと、これもどこかおかしい。

その後、ランチの席で、この話を披露すると、

アリでなく、蚤だった。

なにやら、おかしい会話でした。

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2008年8月15日 (金)

北京オリンピック・1

体を動かすことや、運動に、関心薄い私ですが、

今度のオリンピックは、開会式は全部liveで見、

北島康介の100Mも200Mもliveで見たのでした。

直前にスペインの選手の泳ぎを見たから、

いつもより関心が高まったのでした。

で、200Mで、プールサイドに北島康介が現れる時、

どんな顔で出てくるのか、ドキドキしている私でした。

金メダル間違いなしと言っているけれど、何かの

ことで、駄目になりはしないか、その時北島康介の心は

どうなるだろうか、などと、余計な心配をする私でした。

その時、北島康介が、出てきました。

NHKのアナウンサーが「緊張感あふれる

いい表情」をしていますとレポートしました。やっぱり、

どんな表情で現れるか、気になっていたのだなって、

思いました。アナウンサーが「緊張感」と言ったとき、

私のことを言われたのでないかと錯覚するくらい

私はそのとき緊張していたのです。一人で身を乗り出して

声を出して、応援していた自分にびっくりです。

200Mは、心配することなく、余裕しゃくしゃくでゴールイン。

初めの緊張に引き換え、こんな楽な気持ちの応援は

なかったです。プールサイドにあがった北島を、

アナウンサーは「もはや敵なしの王者の風格」と

言いました。その時、何故か、ライオンキングの

たてがみを後になびかせたライオンの顔が浮かんで

きて、笑いがでたのでした。「敵なしの王者の風格」。

ふむふむ。この形容って、いいようで、おかしいようで、

常套句的なようで、あてはまっているようで、

評価したいような、したくないような、気持ちでした。

 一夜あけて今朝、夢うつつの中に、テレビから「北島

引退」の言葉が飛び込んできました。

 「何故?」って、素人の私は驚きます!

その後、「とくダネ!」の小倉キャスターの説明などで、

事情を納得していきました。

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2008年8月 8日 (金)

富士山5合目

富士山には縁なき素性と思っていた私が、

5合目まではいけるんだと喜ばせて

くれたのが、向かいの奥さんでした。

向かいの奥さんが、車で簡単に5合目

まで行って、素晴らしい富士を眺めて

帰ってきたと、お土産を下さいました。

富士というと、高原病、体に自信のない

私は、富士は新幹線の窓から見るものだと

決めていたのでした。

なーんだ、5合目までは簡単に、座ったままで

行けるんだと思い、真似をすることに決めました。

ちょうど、孫を見に東京に行くのに、

1日ぽっかり空いた日が出来たので、

はとバスにでも乗って時間つぶしをしようと、

はとバスのホームページをあけたら、「富士山5合目と

箱根1日コース」というのが出てきたのです。

チャンスとばかり、申し込んだのでした。

さて、向かいの奥さんの言った、晴天の素晴らしい

絵に描いたような富士が見れると思っていたのに、

なんと、私が行った日は、富士のふの字も見えない

霧以外に何も見えない日だったのです。

それでも、まだ、俄に風が霧を吹き飛ばし、富士が

雄姿を現さないかと、一縷の望みを抱いていたのに

1時間の間には奇跡は起らなかったのでした。

はとバスに乗り合わせた28人のうち、3グループ

は、アジアからの観光の人らしかった。きっと、

山頂に雪をかぶった、富士の一番良い姿の写真

などを見て、来たのだろうと思うのに、気の毒に

若い夫婦で、5歳くらいの女の子を膝に乗せて

朝8時20分から、夕7時40分まで、バスに

乗りづめとなったのです。芦ノ湖で30分ほど

遊覧船に乗ったけれど、それだけで、楽しかったかなぁ?

日本語がわからないようなので、ガイドさんは日本語しか

出来ないし、我々は説明をきくだけでも、ためになったけれど、

退屈だったのでは、と思いました。

他の観光バスで、外人さんばかりが乗っているのに

出くわしましたが、そんなツァーは、英語でガイドさんが

説明しているのでしょう。はとバスは基本的に

日本のお上りさんが、東京観光という図だったのでは

ないでしょうか。向かいの奥さんの話で、勢いこんで

いただけに、霧しかなかった富士は、がっかり度が

大きくて、ましてアジアから勢い込んで来た人は

どんなにがっかりだっただろうと、勝手に

想像するのでした。富士は見えない日の方が

多いという知人もいます。統計を研究して、

季節を選んでいくといいのだなぁと考えました。

ちなみに5合目のその日の気温は22度で、

用意のジャンパーなどは、全然いらなかったのです。

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2008年8月 7日 (木)

間違い

自分の書いた「モディリアーニ展」というブログを

読んでいて、大間違いを発見。

「目がある絵を」発見したのに、

「目のない絵」を発見したとか、

間違っていて、なんじゃいな。

これじゃ、意味不明です。

あると、ないとは、正反対でした。

ひぇ~。

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2008年8月 1日 (金)

モディリアーニ展

この間、巷の友人と、大阪国立国際美術館に

モディリアーニ展を見に行きました。

単純な私の頭で、「えっ、モディリアーニが

目のある人物を、描いているよ!」って、驚くの

でした。モディリアーニの人物が、全部目が描かれて

いないと思う方がおかしいですわ。それだのに、私は

そう思っていたのでした。モディリアーニの絵に、

発見は何もないという人がいたけれど、私は、

そんな「目がない絵もある」という、

単純な発見もしたけれど、絵の背景などの

沈んだ茶色に、暗い絵と思いながら、惹かれるの

でした。妻であり、私が思うには、モディリアーニにとっては、

永遠の女神である、ジャンヌ・エビュテルヌの写真と、

多数描かれたジャンヌのポートレートとの間には、

輪郭などからは、別人になってしまったような

デフォルメがあるけれど、

その内面から発していくる柔らかい光は

変らないように思います。

丁度、その日、「モンパルナスの灯」という

映画が上映されていました。最後、生活に

行き詰まって、バーで、紙に似顔絵を描いては、

そこの客に何フランかで、買ってくれと差し出す

のですが、誰も首を振って見向きもしません。

アー、私がお金持ちだったら、パトロンになるのになぁ

と、思うのですが、それはお金を持っていないから

思えることかも知れないと、思います。

もし、お金を持っていたら、有名な、すでに評価の

決まった絵ばかりを、買い漁るのではないでしょうか。

モディリアーニの絵は、死んでから値が上がると見て、

それに、お酒で体を悪くしているモディリアーニは

もうすぐ死ぬとみて、後をつけまわす画商は

悪魔の画商に見えました。

そんな話を孫にして、子供用に作られた冊子(800円?)を

購入して、渡しました。孫が、私を描いて、「これ

5000円で買って」とか、ふざけていました。

モディリアーニ風とか言って、目を塗った絵を描いたり

ひとしきり、モディリアーニで、話が盛り上がりました。

ジャンヌは、モディリアーニの死後、直ぐに、自分も

みずからの命を絶ったそうです。

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2008年7月30日 (水)

廃品回収

この間、月に一度の市の「小型ゴミ」収集という日に、

掃除機と、卓上掃除機みたいな小型の物と、

やかん3個、あとは、土鍋とか、柱時計とか、

その他色々を出しておいたら、先まわって廃品を

集めるおじさんが来て、掃除機のコードを、ひっぱりだして、

根本からピシッと切って持っていった。

小型の掃除機の少々細いコードも、同じようにして

持っていった。やかんに、磁石みたいなのをくっつけて、

ひっついたように思ったのに、持っていかなかった

のに、しばらくして出てみると、やかんの蓋が一つだけ

残っていて、後はなくなっていた。コードの何が

お金になるのかしら?疑問、疑問。やかんの蓋1つだけが

残っているのも、訳が分からない。

世事にうといおばさんです。

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2008年7月29日 (火)

オリンピック・スペイン水泳選手団

オリンピックのスペイン水泳選手団が、北京に行く前に、

尼崎市の『スポーツの森』のプールで練習していると、

『とくダネ』で、放送したものだから、嬉しがりの私は

それっ!とばかりに、飛んでいった。

プールの2レーンは、一般の人も泳いでいいと

聞いたので、選手のそばで泳げるなんてすごいと、

娘と孫を誘った。

下の男の子は、スイミングに行っているので、ママと

一緒に入り、上の子は、途中でやめたので、自信なしで、

私と一緒に観覧席にいた。

さぞかし、すごい泳ぎっぷりが見られることだろうと

思ったのに、朝は体をならす程度なのか、ゆったりと

泳いでいた。

観覧席はどんなにか人で混んでいるかと、想像していたのに

ガラガラ10人くらいしかいなかった。入り口でスペインの

旗を渡され、振って応援するぞと、意気込み満々。しかし

誰も振っていない。丸めたまま、膝に乗せている。

上の孫も私に旗を渡すので、私は2本の旗を振っていた。

途中、観覧席の方に、監督らしき人と、女性の選手が来て

見ている。私は、孫に、「今日は」ってスペイン語で言って

おいでと言ったけれど、「そんな雰囲気でない」と尻込み。

それに、スペイン語の「今日は」は知っているけど、

アクセントがわからないとかいうので、それなら、日本語でも

いいよ、というと、日本語で良いなら、おばあちゃんが行き、

とかいうので、「こんな年でおかしいわ」っていうと、

また、「今は仕事モードでしょ」とか。内気者の二人です。

そのうち、監督らしき人が、大声で、叫び出す。泳いでいる

人に指示しているらしい。女性の選手は、カメラで写真を

撮っていた。監督の叫ぶ声はびっくりするほど、大きかった。

何を言っているかわからなかった。監督がプールサイドに

戻ってしまったので、旗を眺めた。スペインの国旗は

複雑できれいだ。クラウン(王冠)あり、花あり、

盾みたいなものあり、PVみたいな、子音ばかりがあり、

意味はわからなかったけど、赤と黄で、きれいだ。

初めてつらつらと見た。

一方、泳いでいたママと男の孫も、ものすごく気持ちが

よかったらしい。レーンの巾が広い、水は1,8メートルで

深い。選手の体はきれい。すごく楽しかったようだ。

それに泳いでいる人は、1レーン3人くらい。

プールから上がって立っている孫のお腹をちょっと

叩いて、通っていった人がいた。「アミーゴ」って

言って、叩いていったらしい。

スペイン女子選手の中で、銀メダル候補の人が

いると聞いたらしく、ママはプールサイドの

日本のスタッフにどの人か聞いたらしいけれど、

知らないと言われて、どの人かわからなかったらしい。

何でも17歳とか。噂だから、確かかどうか分からないけど。

スポーツは何にも知らない私ですけど、お調子者なので

行ってきました。楽しかったです。

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2008年7月26日 (土)

私はどれ?

Portrait1

Portrait234 Portrait5

孫(小3)が私のportraitを、描きました。

一体どれが私でしょう。

(私を知っている方は、投票をhappy01

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地震予知

おとといの岩手の地震の時、まだ、テレビをつけていて、

NHKBS2か、Hiビジョンかどちらかを見ていました。

すると、地震予知の画面が出たのです。

はっと、反射的に身構えました。

それから、ふっと見ると、岩手とか地方名を

書いてあったので、ここでない、と、思ったのでした。

でも、本当に来るのかしら、と、思っていたら、

1分ぐらい後だったか、定かでないけれど、

実際に地震が起ったと、速報が出て、

画面は、中途で地震のニュースに切り替わったのでした。

で、本当に予知が間に合ったのだと感心していたら、

どうも、予知は間に合っていなかったみたいですね。

地震の方が先だったみたいですね?

さて、私は予知を先に見て、あとから、実際の

地震報道を見たのでしたが、その間、私が現地の

人であったら、どうしたかしらと、思いました。

むやみに立ち上がっただけのような気がします。

阪神大震災を身をもって経験しているのに、

何も考えてないと思いました。

立ち上がって、「キャー」って言っていただけの

ような気がします。

しっかりしてない。運を天にまかせて生きている。

経験から学ばない。喉もと過ぐれば、熱さ忘れる。

こんな自分を改造しなければ・・・と、つくづく

思います。

(岩手・宮城の方たちを、案じつつ・・・)

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2008年7月22日 (火)

むかわり

 今生きていたら111歳になる私の祖母が、よく「むかわり」

という言葉を使っていたけれど、今はあんまり使わなくなって、

大抵の場合、「一周忌」という方が多いと思います。 

 去る六月、近所の一人暮らしのご婦人の、今は亡き

ご主人のむかわりの法事がありました。

 ご自分の兄弟姉妹は全部亡くなり、ご主人の兄弟も全部亡くなり、

お子さんもいないから、甥が一人千葉に居るにはいても、

普段は交流がないから、天涯孤独といえば天涯孤独です。

 ご主人の兄弟の妻とか、姪とか甥とかはいて、葬儀の

時は知らせましたが、あんまりつき合いもないのに、わずらわせる

こともないと考えて、また、ご自分も81歳という高齢で、準備も

億劫となり、私だけがついて、お寺に行きました。

 お寺につくと、広い本堂の畳のうえに、椅子が4つ並べて

ありましたが、使うのは2つだけ。新築のお寺で、お庭も綺麗だし

畳みも真っさら。かててくわえて、しびれの心配がなく、

気持ちよくお経を聞いて、瞑目しておりました。

 奥様は天真爛漫な方。ご主人の看病の直前まで、老人の

コーラスを仕切っていただけあって、綺麗なソプラノです。

そのソプラノで、「なむあみだーぶ」と、唱和するのです。

コーラス風に。お経を唱えている若いお坊さんの心を

みだしはしないかと、苦労性の私は心配です。本人は

大まじめ。ソプラノは続きます。

 そのうち、外は俄の雷鳴と激しい雨。かえりが大変だと

取り越し苦労をしているうちに、お経の終わる頃は、ぱっと

晴れ上がったのでした。コーラスの奥様には、雷鳴も、

雨音も聞こえなかったとかで、涼しいお顔。

 さて、本堂の障子の外側の回廊を廻って裏に行き、

骨壺を納めた、Aー何番とかいうガラス戸の前で、

電気仕掛けのろうそくを点け、手を合わせると、

お墓参りは終りでした。

(ガラス戸は施錠されていて、開けられません。

それはそうです。うっかり開けて、沢山の骨壺から、

お骨が盗まれるということがあってはなりますまい。

何か、物足りなくも感じましたが、お墓でも、

いちいち開けて骨壺を見るわけではないので、

同じといえば同じです)

 奥様は、自分が死ねば、ご主人の骨壺の上3分の1を

空けてあるので、そこに入ればいいと、自分の始末も

決まって、肩の荷が下りたと喜んでいます。

 その話を、私が知人にしましたら、誰がそこにいれて

くれるの?って、追求されたのですが、そこは、楽天家の

奥様のこと。そんなことは、何も考えていない様子です。 

 その、可愛い性格が気に入って、つかず離れずで、

長年おつき合いが続いています。

 さて、頼んであったタクシーが迎えに来て、家の近くの

仕出し屋に直行し、お昼を頂き、500円の割引券を出して、

お勘定をすまし、奥様はまたひとつ肩の荷を下ろして、

帰って行きました。

 

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2008年7月20日 (日)

鼻血

10日ぐらい前の夜中、連れ合いが鼻血を出しまして、2時くらいから

3時半くらいまで、止まりませんでした。いつも、よく鼻血を出す人

なので、大あわてはしません。3枚のタオルが、真っ赤になって

捨てました。でも、これくらいでは、出血多量で死にはしないと、

わかります。途中、2回くらい「救急車呼ぶ?」と聞いたけど、

頭を横に振るので、自分が一番自分の状態を知っているという

タイプの人なので、ただ、横に座っているだけでした。鼻血というのは

口の中にも落ちてきて、すごく気持ちが悪いらしい。と人ごと

みたいにいうのは、私は鼻血を出さないタイプだから・・・

これも、遺伝するのか、隔世遺伝か、孫たちは、よく

鼻血を出します。

ともかく、連れ合いは、もう20年以上も、血液さらさらの

薬を飲み続けています。それで、血が止まりにくい。

2年くらい前には、口からがぼがぼと血をはいたので、

その時も夜中でしたが、救急車と叫んでも、

行かない。結局翌日入院して調べたら、

どうも、気管支の血管が炎症で切れたらしい。

らしいというのは、気管支鏡というのを、

絶対しないので、CTとか他の検査で

癌はないとなったらしい。

本人は糖尿の悪化で、鼻血が出たのではないかと、

それが一番こわいようでした。ところが、

翌日、耳鼻科に行くと、糖尿と関係ない、

鼻の中の炎症です、といわれて、安心したようでした。

「血がとまらなかったら、救急車を呼んで

行きなさい。夜中でも、どこかに、当直医がいるから」と

医者に言われたようでした。止血剤、アドナを3日分

もらって、帰ってきました。

止血剤アドナは、なじみの名前です。

結婚当初から、眼底出血の繰返しで、当時は、

自分でアドナの皮下注射をしていました。

毛細血管の弱い体質なのでしょう。

もう50年も、あっちが悪い、こっちが悪いと

言われ続けていると、オオカミ少年を飼って(失礼)

いる気持ちです。もうすぐ82歳、弱い弱いと

言い続けていた人が、誰よりも長く生きています。

今、50軒の町内会で、3番目の長老です。

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2008年7月19日 (土)

My treasure

今のところ、私の宝物は、携帯の中に入っている、

1枚の写真です。

 兵庫県立芸術文化センターで、佐渡裕監督・指揮の

喜歌劇「メリー・ウィドウ」を見たとき、佐渡裕のサイン会が

あるといったので、残って待ってました。マーラーの

「交響曲第5番」のCDとメリー・ウィドウのTシャツを買って。

さて、サインをして貰った人が、全部、携帯で、佐渡裕の

横に立って、写真を撮っているのです。それなら、私も、と、

気の弱い私が、CDとTシャツにサインをもらってから、

図々しくも、横に立って、ツーショットで、

写真を撮って貰ったのです。

何故かその写真を見ると、見るたびに、心が

浮き浮きして来ます。

だから、私の宝物・・。

場違いの筈のざこばも、芸達者だから、なんか、

おかしくおもろかったなぁ。宝塚の平みちも、座席のそばを

通って舞台に上がったけど、うっとりするほどかっこいい。

 また、歌劇などというものを、観に来たいなと

思わせた舞台でした。

 

 

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2008年7月16日 (水)

「生」 「直火」

天然ばあさんと、利口、中1孫、レストランに入る。

天然ばあさん、メニュー見ながら、

「なま醤油??なにかいなあ、このなま醤油ちゅうのは」

孫(男子)、あきれかえって、軽蔑のまなざし。

「それ、き醤油だろ」

「あっ、そうか、ゲタゲタゲタ(笑いでごまかす)」

「ほんま、ええ年して、なま醤油って、やっぱりあほや」

天然ばあさん、軽蔑されて、きっとなる。

そこへ、ウエイター。

「お飲物は何か?」

ばあさん、決然と

「きビール、中ひとつ、下さい」

又あるとき

「ちょっか焼きって書いてあるよ」

孫、軽蔑のまなざし。

「じかびだろ」

そこへウエイター。

ばあさん、「ちょっかしょう(焼)のたたき下さい」

一番の被害者は、ウエイターでした。

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2008年7月15日 (火)

『ジャスミンの花開く』

 昨晩何気なくテレビを入れたら、

チャイナドレスを着た美しい女性がベッドの上で

いらだったり泣いたりしてる。

余りにも美しい女性なので、チャンネルを変える

ことができず、見入っていたら、その歩く姿の美しいこと。

ドレスのスリットから惜しげもなくあらわになる脚の美しいこと。

また、チャイナドレスの薄緑の色のきれいなこと。

もう、チャンネルを変えることも、切ることもできず、

最後まで見てしまいました。後で知ったことだけど、

美しい女優は「チャン・ツィー」という有名な女優でした。

場所は上海。1930年代から1980年代を生きた、

母、娘、孫娘の三代の女性の生き方なのでした。

原題は「茉莉花開」。発音は?『茉』はたしか「モー」?

莉はリー?花は?台湾の歌なら花はホエだったけど、

なんか違った気がする。ともかく、母は茉。娘は莉。孫娘は花。

この3代の女性を、ひとりの女優「チャン・ツィー」が演じたのでした。

茉は戦前だし仕事は女優、一番華やかです。

莉は文化大革命の時代で、地味。花は現代に近い。

だがそれぞれ男運がなく、父のいない子を育て苦労する。

花が最後の方で、日本に行った夫に離婚を迫られながら、

おろさず、子供を産む場面は、淒絶極まりないものでした。

出産間近のある夜中、破水していることに気付き

タクシーを求めて部屋を出る。

折から、雨、風、雷に見舞われ、土砂降りの街中を

タクシータクシーと叫びながら、ずぶ濡れになりさまようが、

タクシーどころか人っ子一人いない。

遂に産気づき雨のたたきつける中、

美しい路上で、一人で子供を産んだのである。

生んだ後、救急車がやってくる。

「そんななら、まだ、家にいた方が良かったじゃない」って、

私は何度も言いました。(見ながら・・馬鹿みたい)

私は、出産の場面は、書かないのですが、

巷の友人が前に書いていた、

日本の農作業道具置き場小屋で、雨の中、

自分で出産する場面を書いているのを

思い出していました。出産は怖いものだけど、

醜いものではなく、美しいものなのだと言うことを、

この映画で思わされました。

中国の現代小説は、読んだことがありません。

魯迅とか、そんなところで、とまっているのです。

映画も見たことなかったし、この映画はいい映画だと思ったのでした。

ところで、お笑い、茉莉花は、ジャスミンか~~~

知りませんでした。茉莉花という、どんな花だか知らないけど、

そういう花が、別にあると思っていたのです。(もの知らず)

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2008年7月12日 (土)

戦陣訓

「生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」

このように、戦陣訓でたたき込まれていた日本の若者、兵士たちは、

名誉の戦死をして靖国で会おうと、勝ち目のないことは承知の上で、

最後の戦いに挑むために、脱走を試みる。

 死にたくない人は、大勢いるのに、最後に、○、×で、決起に賛成

か反対かを、配られたトイレットペーパーに書くとき、にらみをきかせている者も

いるし、集団が陥っている狂気に、捕われていって、みずから○を書いてしまう。

×と自分の気持ちに正直に書けたのは1人でした。

 兵士たちだけでなく、日本中が、その考えで固まっているから、現実に、捕虜になった

兵士の家族が、村八分にあった例があると、知人は教えてくれた。

 そうなれば、ますます、捕虜になった者は、生きることを、否定せざるを得ない。

国中が、そういう狂気のるつぼに陥らないように、どうしたら出来るだろうかと

考えさせられるドラマだった。

 事件は1944年8月というから、終戦の1年前でした。

(自分が兵士と仮定して、×を書けたかというと、多分、書けなかったと思う)

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2008年7月 8日 (火)

あの日、僕らの命はトイレットペーパーより軽かった

昨日、なにげに、テレビのスイッチをつけたら、

8日の夜9時に読売テレビで放映される

「あの日、僕らの命はトイレットペーパーより軽かった」

というドラマの予告をしていた。

戦時中、オーストラリアにも、捕虜収容所があって、

日本兵が捕虜になっていて、そこで、大脱走を起こし、

二百何十人かが銃殺され、今でも、そこに日本人墓地

があると言い、そこを訪ねている映像が映った。

シドニーの西320キロ、カウラという町だ。

この間、台湾の日本人の墓をみて来たばかりであるし、

オーストラリアにまさかそんなものがあるとは

知らなかったので、感興深く眺めた。

生き残った者は、語りたくない。重く口を閉ざす。

その気持ちは痛いほどわかる。だから、

なかなか、事件は公にならない。今度の場合は、

生き残った兵士の孫が、ライターであったから、

たまたま日の目を見た。そんな貴重なドラマを、

絶対見てみよう。

この間、90歳で亡くなられた知人は、大陸から

引き揚げてくる途中で、小さいお子さんを亡くし、

木の下に埋葬して帰ったが、何十年も経って、

目印の木を探し、場所を特定しようとしたけれど

できなかったと、おっしゃっていた。そういうお話を

して下さる方は、非常に少なくて、この方は特別の

力のある方だと、尊敬した。ぼんやりの私は

その方がどこから引き上げてきて、何処で、お子さんと

別れたのか、はっきりしない。ともかく、命が

トイレットペーパーのように軽く扱われる戦争というものは

反対だ。

このドラマは絶対に見ようと、思っている。

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2008年7月 6日 (日)

歌 雨夜花

もう終わったと思ったのに、まだありました。

台湾の歌を、ガイドが、「台湾の吉幾三です」と言って、

バスの中で、アカペラで歌ってくれました。

歌詞

    雨夜花

1 雨夜花 雨夜花  (ウーヤーホエ ウーヤーホエ)

  受風雨吹落地   (シューフィンホーツェロォテェ)

  無人看見瞑日怨嗟(ポーランクァキムイリィウァンツゥェ)

  花謝落土不再回  (ホエシャロィトォプーツァイホエ)

2 花落土 花落土   (ホエロートー ホエロートー)

  有誰人可看護    (ウーシャーランタンクゥアコィー)

  無情風雨誤阮前途 (ポーチィンフィンホーゴーゲン

                チェントー)

  花蕊墜落要如何   (ホエルイラァローベェルーホー)

日本語の歌詞は

    「雨の夜の花」

1 雨の降る夜に咲いてる花は

  風に吹かれてホロホロ落ちる

2 白い花びらしずくに濡れて

  風の間に間にホロホロ落ちる

3 あすはこの雨止むかもしれぬ

  散るを急ぐな可愛い花よ

台湾の代表的歌らしいけど、知らなかった。

ガイドさん、吉幾三とまでいかなかったかも

知れないけれど、だいぶ、上手でした。

テレサ・テンも歌ってる?

台湾のサービスエリアの売店でCD見てみたけど

見つからなかった。

  

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2008年7月 5日 (土)

ようやく終り

Maruyamadaihanntenn

台湾旅行の記事がようやく終わりました。

5月14日から17日までのことが、ようやく終わったのです。

のろまです。

(写真は、圓山大飯店のベランダです)

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台湾土産

Junisi1

Junisi2

帰る日の朝、泊っていた圓山大飯店の売店で、写真のような12支の

飾り物を買ったのです。それをみて、女の子の孫が言いました。

「中国は、いのししがないのよ。豚だ」って。

なるほど、見て見れば最後は豚でした。

私に対して、いつもクールな娘が言います。

「そんなもの、誰がほしいと思う?」

「さあ」とか私が言ってると、

「一人いると思う」って、男の子の孫が。

「誰?」って聞くと、

「僕がほしい」と。

 だから、孫って可愛いのだね。

 気を使って言っているのでなく、本当に欲しいのだ。

 小学生と私はレベルが同じ。

 娘の喜びそうなお土産は、免税店で買う、

ブランドの化粧品とかでしょう。

 でも、ノーメイクで一生来た私には、何を買ったらいいやら。

銘柄指定されても、どうせ、とんちんかんな物を買うよ。

 へへ、娘にお土産はありませんでした

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ビリケン

やれやれ、ビリケンのこと、何も知らず「神様かしら」なんて書いていて、

もう、大阪のおばちゃんに、はり倒されるところでした。

ちょっと、よそのブログを覗いたら、「幸運の神様 ビリケンさん」で、足の

裏を掻いて願い事「合格祈願や縁結び」を頼むとかなうんですって。

花柳界では「幸運のマスコット」「福の神」として、珍重されているのですって。

台座のビリケン由来記にも、「奇怪な神の姿を夢見て作った像」と書いてあるのに

由来記も読めないような写真を出して、大恥です。ビリケンは始めから

神様でした。足の裏をさすって来なくっちゃ。

そうそう、ビリケンは、1908年に作られたので、今年が100周年らしいです。

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通天閣とビリケン

Tuutennkaku

Birikenn

(写真・上 通天閣からの眺め)

(写真・下 通天閣に祀られているビリケン)

台湾から帰国の機中で知り合った香港のお嬢さんが、

京都や姫路城を巡り、大阪に来ました。巷の友人と私は

香港のお嬢さんと一緒に、通天閣に登りました。今、

通天閣は観光として人気があるらしい。このコースは

香港で決めてきたものですから、外国人に人気があるの

でしょう。うーん、その訳は、何でしょう?

展望台には、ビリケンが鎮座ましましていました。

キューピーに似てるけど、キューピーよりとんがっていて

色が黒いビリケンは、アメリカの女流美術家が考えて、

人気になったらしい。今は信仰の対象なのかしら?

ぼんやりの私がぼんやりとった写真の両側に写って

いるのは、絵馬ですよね。

大阪に隣接しているけど兵庫県である尼崎市に住んで

いるから、ここに来て40年にもなるけれど、微妙に

大阪のことは、わかっていない。

通天閣や新世界が、大阪の大阪的なものを、ふんだんに

持っていて、大阪の象徴なのかしら? やっぱり我が輩は

よそ者だなあって感じます。

〈写真集〉昭和の大阪 〈写真集〉昭和の大阪

著者:青木 茂夫/杉田 米行
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2008年7月 4日 (金)

黒檀

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高雄の公園で、ここ、ここって、なにやら草を分けて

見せてくれたのが、黒檀の木の切り株。切り株の真ん中

だけが、黒くなっていて、その部分だけが、いろいろの

物を作る場合に使える、とかいって、黒檀の貴重さを

強調するガイドさん。日本のデパートのパンフを示して

「この黒檀の靴べらがいくらだと思いますか?」あたったら

何か上げようみたいなことを言う。皆、沈黙。そんな時、

しゃしゃり出てしまうのが私。真っ先に「3万円」って、

言ってしまう。そうしたら、次々と、5万とか7万とか。

「ほほう」ッて、ガイドは余裕。1万6千円が正解。

その後、黒檀の店に。そこでも、違い棚のついた黒檀の

小箪笥。「これは、注文後、1ヶ月後に日本に着くが、

130万円の正札のものを、今ならいくらにできるか

当ててみて」と言われて、真っ先に答えるのが、またもや私。

「65万円!」すると、75万とかいろいろ飛び出す。

それは、結局45万円くらいでした。

 黒檀って言えば、われわれの世代では、最上等品。

箪笥は置き場所もないし趣味でもなかったので、

鶴の置物を5000円で買いました。それと、黒檀の

お箸です。鶴の口がとがって、上向きなのを、帰ってから

先端恐怖症の私は気づきました。お床もつぶして、本棚に

してしまったし、置き場所なく、老人夫婦が転んでも

絶対目を刺さない高ーいラックの上に飾りました。

写真は、日当たりのいい外のドアーの前です。

まあ、悪くはない買い物だったかなって、先端さえ目を

つぶれば、思っています。

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帰国

 これで、すべての観光を終え、午後2時空港に到着。

4時発の飛行機で、日本に帰って来たのでした。

 まあ、今度の旅行は、いろいろのお店に連れて

行かれたのですが、飛行機に乗る前にも、duty-free

の店に、ここは、何処よりも時計が安いというふれ込みで

連れて行かれました。私と、巷の友人(日本で一緒によく

街をさまよっている友)は、ブランド志向でないので、

(私の場合は、金欠ゆえ、ブランド志向になれないという

のが、正しいか)一通り見たら、見るものなく、時間を

もてあましたのでした。そこで、初めて、自分らだけで

外に出て、その辺をうろつこうということに、なりました。

ところが、旅慣れない2人、私は現地の「元」は使い

果たしているし、友は、その前に寄った軟膏や貼り薬を

売る店が、コインまで円に替えてくれると、ガイドが

勧めるので、全部現地のお金を円にしてしまって

いるのでした。「お茶を飲もう」と、入るのが、

スターバックスというのも、まあ、冴えないね。入って

はたと元がないのに気づいて、慌てて「日本円、OK?」

って聞くと、「No」。カードならいいと言われたけれど、

何となく出て、結局、近くのホテルで、飲みました。

勿論カードで。それから、スーパーマーケットで買い物

したけど、それもカードで払いました。ゆめゆめ、お金は

空港につくまで両替してはいけないと思いました。その

カードの支払い請求が、今来ています。3~4000円

くらいのものです。

現地に行って、現地らしい店には、よう入らず、コンビニ、

スターバックス、マクド(ここには寄る暇はなかった)、

スーパーマーケット、などに入って、全く!

おまけに、「桃園駅」のコンビニで買ったものが、

グリコの「ポッキー」です。そのポッキーをちょっと食べて、

残ったものを、お土産に持って帰ったら、孫も、娘も、

「日本のポッキーと味が違う」と言ったのが、面白い。

「違いのわからない女」の私は、全然気づかなかったが。

 いよいよ、機上の人となり、3人席の窓側にいた香港の

お嬢さんと言葉を交わし、日本語、英語、漢字の筆談

などで懸命にコミュニケーションをとっていると、帰りの

2時間はあっという間に過ぎたのでした。

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2008年6月30日 (月)

屋根の違い

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上の写真は、保安宮の向かいにあった建物の屋根です。

屋根の上に、飾りが一杯あるので、珍しくて撮りました。

下の写真は、台北忠烈祠の建物の屋根です。

上のように、そっくりかえった屋根は、中国でも、南の方

の屋根と、ガイドが説明していたと思います。下のように

真っ直ぐで重々しい感じは、北、北京の屋根です。

日本の公園などにある、中国式のあずまやは、大抵、

屋根が反っくり返っているから、南の方のを、取ったので

しょうね。私は今まで、中国の建物というと、屋根は、

みんな反っくり返っているのが特徴なんだなと、

思っていました。

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2008年6月27日 (金)

taipei 保安宮

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Hoannguu

旅行4日目。今日はもう日本に帰る日です。午前中、

孔子廟と保安宮に観光ですが、孔子廟は改修工事中

とあって、外から見るのみでした。台湾には、「孔子廟」

と「忠烈祠」が、至る所にあるような気がします。

さて、保安宮(ほあんきゅう)って何?

医学の神様、保生大帝の廟なんですって。保生大帝って

いうのは、10世紀に福建省にいた、実在の名医という

ことです。霊験あらたかで、病気回復と長寿を願う人々

が、祈りを捧げています。

おかしなもので、信仰というのも、その地ならではという

所があるように思います。私は、あまり信仰心のない方

なのです。そこから来ているのかどうか、地元の人たちが

一生懸命、木で出来た、マンゴを二つに割ったような形の

ものを、地面に投げて、その裏表の組み合わせで吉凶を

占いながら、いい目がでるまで何度でも投げているのを

見ても、自分でもそれをしようとは思わないのでした。

その土地で、周りの人がみんな信仰しているから、自分も

霊験を信ずるというところが、あるのではないでしょうか?

例えば、日本の天神、試験に合格すると信じて、絵馬を奉納

するけれど、それを見て、台湾の旅行者が、心から信じて

真似をするということが、あるでしょうか?

「郷に入っては、郷に従え」の美女たちは、どうしたかしら?

門前に、花とお線香を売るおじさんがいました。お花と言って

も、おさらに載せた、花の頭(?)だけだったように思うので

すが・・・

バスの中に、おじさんに貰ったって言って、香りの高い白い

花を持ち込んできた方がいて、「どれ、どれ」なんて言いながら

みんな、うっとりと、花に鼻をあて、臭いを嗅いでいました。

 白い花 香りゆかしく 人を呼ぶ

(下の写真は、保安宮の柱。石を刻み込んで作られている)

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2008年6月24日 (火)

TAIPEI 101

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布袋さんの宝覚寺(台中)から始まった3日目の旅は、

まだ終わらず、夕食後、タワーに登ったのでした。

高さ508mで、世界第2位の高さらしい。

89階の展望台に、5階の入場口から、エレベーターで

38秒で着き、下りは、それよりやや長い1分ちょっとで

着くと、ガイドが言ったので、その早さにびっくりしました。

そして、一番に気になったのは、耳。私は用心深く、

最初から、耳を押さえっぱなしで登ったのでした。

下りも同様。すると、何にも問題なく、快適そのもので

到着です。科学の粋を集めたエレベーターでした。

(日本の企業が加わっていると思います)

世界三大夜景は、香港、函館、ナポリらしいけど、

TAIPEI はちょっと暗いかな。(日本人は、三大なに

なにと言うのが、好きな国民らしい)

91階は屋外に出られます。塔をぐるっと回って360度

景色が見られます。風の強い日で、恋人には見られた

くないなというくらい、髪の毛がぼうぼうになりました。

そう、今気がついたのだけれど、101は昼間登った

方が景色が綺麗なのだと思います。88階には

世界一高いところのレストラン街があるみたい。

写真の遠くの方にピンクの塔が見えているのは、

何でしょうか。2つめの写真にも小さく写っています。

今となっては聞く人もいませんが・・・

 夜の街 天使となりて 空を飛ぶ

(ふふ、誰が天使? 私です。ニコッ。誰も納得しない)

ようやく、3日目の観光が終わりました。

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2008年6月23日 (月)

故宮博物院

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Keyholder

故宮博物院は、誰でも絶対に行ってみたい所ではないで

しょうか? 私はずっと行ってみたいと思っていたのです。

でも、その割には、勉強不足であったので、誰もが絶対に

見てくる、「翠玉白菜」を、見落としたんですよ。これこそ、

言語道断、馬鹿につける薬はない、です。「翠玉白菜」

こそ、故宮博物院の代表的所蔵品なのですって。清

(1644ー1911 AD)末の瑾妃という后が、嫁入りの

時に持ってきたのですって。白菜は、清廉潔白・純潔を

現し、葉っぱの上に彫られている「きりぎりす」は、多産

を意味するのですって。2匹、昆虫が葉っぱに止まっていて

以前は2匹とも、「きりぎりす」と思われていたらしいのですが

昆虫学者が鑑定して、1匹は「いなご」となったとか。「いなご」

は何を意味するのでしょうか? まさか「豊穣」ではないわね?

だって、いなごはお米を食べ尽くす。

私の融通のきかない、固い頭では、「白菜」というものが、

絵とか彫刻の対象になると思えなかった。

白菜といえば、漬け物。

庶民的、美的でないと、こんなふうに考えたのです。

「ほうれん草」も、画材にならない。

葉物で画材になるのは、私の頭では、見つからない。

玉葱、画材になる。じゃがいも、なる。

葱、なる。大根、なる。なすび、なる。かぼちゃ、なる。

三つ葉、なる。うり、なる。ごぼう、なる。

ああ、途中から、間違った。絵じゃなく、彫刻だ。

彫刻となると、葱、だめ。大根、駄目。三つ葉、駄目。

牛蒡、駄目。

というように、細長いものは、皆、私の感覚ではあかん。

人参は、いけそう。

だから、バスの中で、ガイドさんが、何とかクイズを出し

たら、たった一人だったけど、「白菜」って、女の人が

答えたの。その時、「白菜」って、何言ってるのって

軽んじたのが運の尽き。翠玉の白菜ですよ。すごい

値打ちです。それを見てない馬鹿がどこにある。

下の写真は、白菜のキーホールダー。

いつのまにか、衛兵の横で写真を撮っていた私の姿

が、商売の写真屋に撮られていて、白菜の裏は、わたしの

顔写真になっています。バスの中で、いくらしたか

忘れたけど、嬉しげに買い込みました。bleah(愚か者)

さて、帰りの飛行機で隣同士になって、仲良くなった、

香港のお嬢さんが、この台湾旅行記をよんでくれていて、

「台湾民主記念館」は、最近まで「中正紀念堂」と言われていて、

「中正」は、蒋介石の名前だと、メールで教えてくれました。

またもや、Wiki で調べてみたら、蒋介石の、

名は「中正」 字(あざな)が「介石」で、

台湾では、蒋中正というのが一般的だと出ていました。

日本では、中国の人の名前を言う場合、大抵、名字の次に

(名)をつけ、(字)をつけるのは、例外的だと出ていました。

何故そうなったかは、わからないみたい。

 翠玉の 白菜の虫は 永久(とわ)の命

(字余りにて、姿と整わず 悪し)

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2008年6月21日 (土)

台北 忠烈祠

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台湾には、忠烈祠が至る所にありますが、台北の

忠烈祠では、1時間ごとに衛兵の交代式があります。

ここには、辛亥革命で戦死した兵と、抗日戦線で

戦死した兵士33万人が祀られていて、軍が管理しています。

衛兵に選ばれる兵士は、軍隊のなかでも、

超エリートなのだそうです。背は180センチ以上

でなければならない。また、立っている1時間の間は、

瞬きはいいとして、身体は、直立不動

微動だにしてはならないようです。横で、写真を撮るのは

いくら撮ってもいいのですが、身体に触ると、がちゃっと、

怒りのサーベルが鳴るとか、言っていたように思います。

で、イケメンの好きな私は、もちろんこの兵士と並んで

写真を撮りました。

さて、日本に帰ってきて、筋骨隆々、胸板の厚い男性が好きと

言う日本の女性に「台湾で、いい男(ひと)いた?」と聞かれました。

「いたよ」と、この兵士をイメージしていえばいいのに、

私ったら、この人は、人でなく人形のように思えて、「うーん

あんまり、若者に会わなかった」なんて、言ってしまいました。

彼女曰く、前に「花より男子」の台湾版(リメイクされた)を

見たとき、なよなよした、日本のジャニーズ系の若者より、

台湾ドラマの主人公が、体格が立派で、ずっと魅力的

だったというのです。私ら、名所旧跡派と、目の付け所が

違います。その目で見てくればよかったlovely 70ばあさん

がそんなことしたら、きもい。道一杯横並びして、バイクを

乗り回している若者をもう少し観察すればよかった。

朝7時半から、夜9時まで、観光バスに閉じこめられて

現地の人と言葉を交わす暇がなかった。旅はやっぱり、

そこの人と触れあわなくっちゃね。味気ない。

さて、衛兵の交代式を必死でビデオで撮っていて、

帽子を被っているのを、注意されました。日よけの

ためのつばのものすごく広い、綿の帽子だったので

カジュアルすぎ、礼を失していたようです。

建物の周りの回廊に、等間隔に、写真のような

胸像が多数ありました。

社殿の中を撮るのは御法度かと思ったけれど

撮りました。

 さて、例の俳句・・・

 乙女らの 憧くがるるごと 魂(たま)ゆらぐ

季語がありません。

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2008年6月19日 (木)

台湾民主記念館

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Minnsyukinennkann

Hana

いきなりの、空恐ろしくそびえ立ち、目は彼方を見ている

ものの、我らを見下しているように見える像は、蒋介石

の銅像でした。こんなに天高くに見上げる像は、初めて

でした。塵一つなく、黴のしみ一つなく、ぴかぴかで、つ

るつるの空間。無機質に美しい。私の心は、そこから、

恐ろしいものを、感じたのでした。

さて、奥の部屋に行きましたが、この銅像の他に、

大した展示はなかったように思います。

この民主館の前で、横断幕を拡げて、ツアーの記念写真

を撮るのが定番のようです。私達もそうしました。

さて、見学を終えると、「トイレは?」とか、はしたなく聞き

ました。トイレ帰りに民主館の横側から撮ったのが、2番目

の写真です。正面にも階段がありますが、この階段の数は、

蒋介石が89歳で亡くなったのを、記念して、89段あるのだ

そうです。余りにも整いすぎた、無機質な場所で、トイレ帰り

に見た、南国の花(葉)が、何故か心をひきました。

 物思い 胸に抱く花 名も知らず

(恋の句ってとれません? 物思いに沈む紳士が、ふと

行きずりの女性を抱いて、いとしい女とおもいつつ、

まだ、名も聞いていない、いや、聞いてはならない、これは

現実を超えた、幻の恋だから・・・とかなんとか)

(それで、現実、この木は何て名でしょう。教えて下さい)

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2008年6月17日 (火)

モンゴリアンバーベキュー

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さて、この日の台中での昼食は、「モンゴリアンバーベキュー」。

なんやこの、かまどのような鉄板が面白くて、写真を撮りました。

アルミの器に、焼いてもらいたいものを取って、このお兄ちゃま

に渡すと、かくのごとくに焼いて返してくれるのです。

で、食材は、マトン、ポーク、ミート、トマト、キャベツ、もやし、

と、何でもありぃです。並んでいるものを、片っ端から

アルミの器にとっててんこ盛りにして、みんなが持っていくので、

「りゃりゃ、トマトも焼くのかい?」って、素朴な疑問を抱きつつ、

何のためらいもない皆様に従って、自分もめちゃくちゃ積み上げて

持って行ったのでした。

あとは、たれをかけて食べるだけ。「うん、焼きトマトもいけるわ」

ところで、この度の台湾料理は、おいしいなぁって、舌鼓を打つ

ような料理には、一度もありつけなかった。あぎとの落ちるような

美味しいものを、たべたかったなぁ。美味しかったのは、高雄

の夜市で買った、マンゴの剥いたのと、釈迦頭という果物だけ。

で、何故かということについて、つらつら哲学してみれば、

はたと、思い当たった。例えば、日本で言えば、修学旅行の

お兄ちゃんたちが、姫路城を見たとして、その近くの

おみやげ物屋の2階なんかで、昼食をとる、てなものばかり

食べていたのです。その哲学の結果を、娘にもらせば、

「かわいそーう」という返事が返ってきました。

コメントの「ちょこじろう」さんの「マイすいーと台北」

というツアーと大違いでした。今度はそういうツアーも

いいなぁって・・・happy01

 トマト焼き マトンも焼いて 頬張りぬ

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2008年6月15日 (日)

日本人墓

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宝覚寺に、南方で負傷して、日本まで送り返されずに、台湾に運ばれて来て、
そこで亡くなた日本人兵士の墓がありました。亡くなった人の数は、1万4千人とも言います。
墓前には、南国の色鮮やかな花々が、活けられています。台湾の人々が、手厚く祀っていてくれている様子がうかがえます。台湾人の優しさを感じました。
そのようなお墓があるとは、つゆ知らず、お線香も花も持っていません。
見れば、線香に混じって、赤いひごの先にさしたたばこの吸い殻が何本も立っています。ガイドのいうことには、お線香を持っていない場合、たばこの吸い殻をさして、供養するというのです。日本では、自分が口を付けたものを、お祀りするというのは、失礼かなって思うものですけど、台湾は合理的、同じ煙に違いはありません。
たばこを吸わない私は、茫然とたっていました。そうしましたら、件の「郷に入りては、郷に従え」の、2美女、布袋尊の一人が、たばこを出して吸って、吸い殻を赤いひごにさして、祀ったのです。赤いひごは、そこらにあったのかなあ? ぼんやりの私は思い出せません。「美女と煙草」、この組み合わせに、「美女と野獣」よりも驚いて、私は、呆然と、淑女たちの後に立って見ていました。
さて、その日本人墓から、ちょっと歩いたところに、台湾人の戦死者の墓がありました。
(写真・上)日本国に徴用されて、20万人の台湾の方が亡くなったと、ガイドさんが説明してくれました。戦争の傷跡は、60年たったぐらいで癒やされるものではない。
先日、わが連れ合いが、十三(じゅうそう)の映画館で、「靖国」という映画を見てきました。肉親を靖国に祀って欲しくない、返して欲しいと、台湾の遺族が、強く靖国神社に訴えているとききました。その気持ちはよくわかります。深く深く、お墓に向かって頭を下げることしか、できませんでした。

 花シャワー 兵士の御霊の 安かれと

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2008年6月12日 (木)

宝覚寺

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次は台中市内の宝覚寺です。ここには、金色の

(写真が金色に写ってなくておしい。実際は本当に

 輝くばかりの金色です)布袋さんの大仏があります。

 ガイド(男性)さんが、布袋をいたく信仰している様子。

バスにも黒檀の布袋様が置いてありました。

どうも、日本人が布袋さんに抱く感情と、

台湾の人の布袋さんに接する接し方が違うと思っていたら、

[Wikipedia]で調べてみると、中国では布袋は、

弥勒菩薩の化身とされているのだそうです。

布袋は、唐末に実在した異形の僧で、様々の伝説・逸話をもっていて、

弥勒の化身となったようです。

 日本では、七福神の中の一つの神となっていて、

なにか信仰というより、笑いの対象みたいで、その姿は、

私にとっては、グロテスク。台湾では、お腹を撫でたり、

頭を撫でたり色々の所を撫でるそうですが、ガイド曰く

「胸をなでるな、それはエ○チに効く」と言ったか言わなかったか。

それは冗談か?まあ、そんなことをいうと、

真剣でないと言われそうだけど、台湾の人々にとっては、

布袋は真面目で深い信仰の対象のようです。

 ガイドの話や、大仏を見て、ツアーの中の、

可愛らしい女性の二人組が、「ホテルでね、本当に可愛い

布袋がちょうど二つ売っていたので、一ずつ買ったのよ」って言うのです。

私にとってはグロテスクが、「可愛い」ですって。

いろいろ、感じ方もあるものね。

旅に来て、「郷に入っては、郷に従え」の良き面が出たのでしょうね。

布袋腹を撫でるのには、事欠きません。

私と布袋が、どっちがどっちかという布袋腹ですもの。

 さ